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2015年10月まで、右半身麻痺で車いす生活だった母を介護しながら、日々の出来事や思いを書き綴っていました。
在宅介護の様子や心の葛藤をできるだけ隠さず書いたつもりです。 もし参考にしていただける部分があればと思い、古い情報になる日記もそのままにしてありますのでお許しください。
いやはや すごい台風でしたね 数時間の暴風雨のあいだ怖かったです。
うちの市で 風速43.1メートルを記録した とニュースで言ってました。
停電といい 大量の帰宅困難者といい、 真っ暗になるとあの震災後の物不足のパニックまで思い出されていやな感じでした。
あんなことは二度と起きないような気がしたけど、いつまた起こるかわからないってことですね。
実家は古いので、今度こそ家が壊れるかと思いましたよ。
母のベッドの横で暗い天井を見上げていたら
あれ? なんか色が違う陰のようなものが壁までだんだん広がってくるよ??
あー! 雨漏りしてるんじゃん
ミシミシ ゴーゴー ポタポタ バキッ とか いろんな音が聞こえてました。
よしなさい って言ってるのに外の様子を見に行ったオジーサンが 「桃の木が倒れた・・」
うわー 庭の木が倒れるなんて両親も初めての経験だそうで プチショック受けてました。
近所では物置の屋根が飛ばされたり、神社の大木が倒れて通りかかった車を直撃して運転していた人が怪我をしたそうです。
2階のベランダの戸袋に毎年蜂が巣を作るんですが、今年はまったく蜂を見かけないんですよ。
生き物は危険を予知してるからだって聞きますが本当なのかもしれませんね
くわばらくわばらです
やっぱりカメラの調子が悪いのでケータイで撮ったけどどういう向きで撮ったのかもわからない
まあなんと暑い9月になったことでしょう どうなっちゃってるんでしょうね
十五夜のお月様は今年は実にきれいに輝いたそうです。
オジーサンが一人でハシャいでました。
月を見るならやっぱり座布団の穴から見るのが見慣れた風景ですわねー ホホ
この夏は特に母の体温調節機能が衰えて、毎日朝から晩までエアコンで部屋を冷やしたりさらに顔に扇風機の風を当てたり、しかも足には真冬の靴下とレッグウォーマーとひざかけ・・
マッサージ師さんが言うには、麻痺した足に痺れがある人がいるのと同様に
痺れを感じる神経が麻痺しているとそれを痛みや冷たさとして感じてしまうことがあるんだそうです。 へえー
キャベツの使い切りメニューに悩んでいたらこれ、キャベツたくさん使えますよ
って写真撮ったんですけどカメラが壊れたのか? 撮ったはずの写真が消えた
見た目はコロッケのように見えて、中味は チンしてみじん切りしたキャベツとツナ。 パン粉を付けて焼いてあります。
すごく軽く食べられるんですよ~~
ピクルスもきれいに出来たから撮ったのにそれも消えた
うちの周りは水田地帯なんですが、調査結果では米からセシウムは検出されなかったそうです。
すぐ近くの狭山茶は出荷停止になってるし、ヒヤヒヤしてた人が多いと思います。
出荷する人には死活問題ですよね。 放射性物質は、実を結ぶ部分に集まりやすいんだそうです。 植物なら果実、米も、“実”ですしね。 動物も・・です。
神経質にはなりたくないですが、 だから若い人や子供さんは気をつけてもらいたいのです・・・
『東京に原発を』 25年前に広瀬隆さんが書いたこの本、見覚えある方もいらっしゃると思います。
当時も世界じゅうの人が身を震わせる事故が起き、日本でも原発への関心が高まりました。
ある都立高校ではこの本が副教材になりました。 当時高校生だった人達は覚えているでしょうか。
本の内容は、今は誰もが知ることになった原子力発電の危険性、発電すると(していなくても)“死の灰”が大量に溜まっていき、それを処理する能力を人類は持ち合わせていない。
経済活動を維持するために必要なら、原発を東京に造ればよい。 広瀬さんの理屈によれば “都市型原発”というのはじゅうぶん可能だそうです。
人口が集中しているから危険? じゃあ人口が少ない所ならいいのか?
ホントにそうですよね。
他にもいろいろ興味深い内容があります。
広瀬さんが今年3月の震災後に書いた本も読んでみましたが、ほとんど同じことが書いてあるのです。
25年前の本のほうが、(語弊はありますが) 面白いです。 当時だから書けた、ということも多々あるんじゃないかと思います。
今となっては原発を造る問題は過去のことになるのでしょうが、
放射能との戦いは、事故が起こる前から始まっていて終わることはないのです。
体の中へ取り込まれた放射性物質は、甲状腺に、あるいは骨に、蓄積されて何十年ものあいだ体の中で放射能を放ち続けるものもあるそうです。
もしも数年後に放射能の影響独特の病気になる子供が増えたとしても、私たちはそれを放射能のせいだと立証する術がないのです。
特に低線量被爆には、過去の調査もないし根拠になる数値がないのです。
まさに日本人はパンドラの箱を開けてしまった ということになるのでしょう。
福島の事故がレベル7だというのは、チェルノブイリと同レベルの量の放射性物質を撒き散らした ということなのです。 しかし事故の性質が違うから影響の出方が違うのでしょう。
それほどの事故を、私たちは起こしてしまったのです。
除染しても、安心して住むことはできない、 若い世代の人、子供たちを思うと本当に胸が痛みます。
影響の少ない地域へ避難したくても、いろんな事情で避難できない人が沢山いることを思うと、どうしたらいいのか、 私などが何を言えるでしょう。
せめて、日本じゅうの人がいつも支援していることを忘れないでいてほしい・・ そして、政府の発表やマスコミに出る報道がすべてだと思わないで。
あれから半年、これからも記憶が褪せることはないでしょう。
私自身も東京であの日以降経験したこと、恐ろしい揺れ、停電のパニックと暗い町、価値観さえ覆され、・・ きっと皆さんそうですよね。
そのうえで、原発に NO! とはっきり言えないでいました。
なぜなら、私達が使う電気のために造られた発電所のおかげで振り回され、人生台なしにされながらも今なお事故収束のために身を削って取り組んでいる人にとってみれば、『何をいまさら』 ということになる と聞いたからです。
しかしそれでも、茨城県東海村の村長さんは脱原発を宣言したそうです。
東海村と言えば、日本の原子力発祥の地、発電所だけでなくあらゆる原子力施設が集まる場所、原子力によって生活を支えられている住民が沢山いるのです。
村長さんの話を聞いて (ユーチューブは削除されていたので貼りませんでした。もし興味ある方は検索してみてください)、 私も NOと言っていいのかな という気がしました。
節電しない奴が何言ってるんだ って言われそうですね
でもコマメに電気消したり節電してますよ。 未来を生きる人たちのために残す世界を考えなければね。。