雲上快晴

プーさん爺じが、何の変哲もない日々を綴る

なんで、どうして

2007年12月27日 | 徒然
 何も判っていない「奴」に与える?
 「奴」に与えても何にもならないだろう。

 解っている俺によこせ。

 なんで、どうして「奴」に与えたいんだ、欲しいのは俺だよ。

 俺ならそれをうまく使えるけど、「奴」では使い方が解らないよ。

 だから俺にくれ、頼むから俺によこせ。

 何でも欲しがるマミちゃんの俺にくれ。

今年もいろんなことがあったな

2007年12月22日 | 回想録
 家族が寝静まってしまった今、パソコンに向かいながら焼酎をチビチビと飲んで、まったりとした時間を過ごしている。

 「今年もあと10日足らずで終わってしまうのだなぁ、思い起こしてみると、今年も話題には事欠かなかったなぁ」などと考えている。

 1月に前のクラブを辞めて津田一真塾一本にしたのだった、30年以上もほったらかしにしていた休耕田の草を刈り、野菜の種を蒔きだした。

 かまどの部屋を作ったのも今年に入ってからだったろうか?1日半で作り上げてしまった掘っ立て小屋だったけれど、ランプと蝋燭の灯りの中にいると妙に心が落ち着いた。

 べし号やじゃじゃ馬も買ったのだった、思いのほか大飯くらいのベシ号だったし、じゃじゃ馬には痛い思いをさせられたっけ。
 「アキラ」の登場は感激だったな、真っ暗になるまで草刈をしていたところに、まるでサーチライトをつけた戦車のように登場したのだ、あの時はほんとに勇気付けられたよ。

 初めて蕎麦を蒔き、石臼やクルリ棒、唐箕まで揃えてしまった、やっぱり変人だと思われても仕方がないか。

 卓球のほうも紆余曲折あったけれど、シンノスケ・タンポポ・ヒマワリ達が第一期の塾生として元気に頑張ってくれた。
 谷戒さんやヒデさん、卓球太さんや悟空さん達もも定期的に来てくれて、楽しい時間を共有できた。

 最期に来ての義父の他界はきつかったけれど、いつかは訪れる世の習いだから、しっかりと受け止めなければいけないことなのだな。

 さあ、来年はいったいどんなことが待ち受けているのだろうか?
 平々凡々とはいかないだろうということだけは、解っているつもりだけれど。

 山あり谷ありだから面白いのだよな、真っ平らな道じゃ眠くなっちゃうよな。

 「レッツ ビギン」、とにかく何かを始めよう!

歴史

2007年12月20日 | 徒然
 会社の販売優秀者に対する表彰式を、日光の「金谷ホテル」で行ったのだ。
 この「金谷ホテル」は創業130年あまりの栃木県で最も古いホテルなのである。

 しかし、ホテルの中に一歩足を踏み入れると、全く今までの空気と違う異次元の世界が待っていた。
 たしかにパーツパーツを見れば、古臭いしガタもきているものもあるのだけれど、一日では決して出来得ない重みを感じたのだ。

 いくらお金を投じても、この歴史を買うことは出来ないな、と思えた。

 130年前に建てられたホテルの中に立って、自分が何のために生まれてきたのか、何をすべきなのか、、、そんなことを真摯に考える時間をもらったな。

 ボンヤリとだけれど、見えてきたような気がしているのだ。

竹の花

2007年12月11日 | 戯れ言
 120年に一度花が咲くと言われている竹。種類によっては60年に一度とも言われているが。
 
 めったに咲かない竹の花、そのメカニズムを知ると切なくなってくる。

 「寿命」が花を咲かせるという仕組み、自分が枯れて朽ち果てる寸前に、残ったエネルギーの全てを出して花を咲かせ、実を宿して大地にその実を落として枯れ行く竹の一生。
 この世に生を受け、最期は「種の保存」という神に与えられた営みを終え去り行くのである。
 感動すら覚える厳粛な自然界の営みではある。

 今年、私の知る人間の言葉を操る、50に手の届きそうな北海熊が子孫を誕生させた。
 神を恐れぬ人間達が、必要以上の森林伐採をし続けた結果、棲家と餌場を失った北海熊が里山を降りて集落に出没し、人間の暮らしを脅かし始めたために、駆除という名目で次々と命を奪われていった。

 その結果、「絶滅の危機にある種」となってしまった北海熊が、「種の保存」のために老いた体に鞭打って、子孫を誕生させたということなのだろう。

 周りは笑うかもしれないが、私は決して笑うことなど出来ない、「そこまで北海熊を追い詰めたのは、我々人間の傲慢さなのじゃないか、そんなに人間って偉いのか」と人間である自分を責める毎日なのである。

 人間種族の一員である私に出来るせめてもの罪滅ぼしといったら、基本が出来た後に預かって、老い熊に変わって「津田一真塾」でしっかりと指導・育成していくことだと思っている。

 自ら人間族を代表して、険しい道程を選択する、そんな自分が大好きだ。

9時9時ー!!

2007年12月09日 | 卓球
 昨日の農作業による身体的疲労とと関東ホープスの打ち合わせによる精神的疲労で爆睡していた今朝だった。

 すると、枕元で「かんとく~」というヒマワリの声がして、「もう朝になってしまったのか」と筋肉痛の体に鞭打って起き上がり、卓球場へ行くと、シンノスケがつかつかと寄ってきて、「今日は9時9時でお願いしま~す」と深々と頭を下げてきた。
 「へっ?9時から9時?嘘だろ?」と思いながらも、初めてみせたシンノスケの殊勝な態度に、内心やるっきゃねぇかと決心し、ラケットを手にした。

 すると信じられない光景が目の前で展開されたのだ、あの練習嫌いで練習したとしてもテレテレやっていたシンノスケが手を抜かずに真剣にボールを打っている、休憩中も「早くやろう早くやろう」とうるさいくらいに急かしてきたのだ。
 今までろくに聞かなかった私のアドバイスも素直に受け入れて・・・
 「こいつ、熱でもあるじゃねぇか?」と思いつつも、ついついシンノスケとヒマワリのやる気に押されて、9時9時の練習をやらされてしまった。
 3時半ころに別の用事でやってきた昔の教え子も、練習するつもりはなかったはずなのに、最後はシンノスケとヒマワリを交互に指導してくれてしまった。

 帰りの車の窓から、「来週は9時10時ねぇ~!」とシンノスケが吠えていた。
 少しは俺の年を考えろ!(笑)

選別

2007年12月04日 | 戯れ言
 津田一真塾のオブジェの一つに「ふみえちゃん」なるものがある。
 この「ふみえちゃん」は、主に週末になった時、火鉢の部屋の壁にもたれ掛けさせて置くのであるが、これがなかなかの優れもので、「ふみえちゃん」に装備されているフィルターを通すと、人間の「夢と欲」がきれいに識別出来るようになっているのだ。
 そして「ふみえちゃん」のフィルターで「欲」と出た人間は、二度と塾に訪れることが無くなる不思議な神通力を持ったオブジェなのだ。
 ただ南天喉飴なことは、神棚であれば「水」と「榊」をあげれば済むのであるが、「ふみえちゃん」には500のバドを数本あげないことには神通力を発揮しないのである。

 まあ今まで「ふみえちゃん」だけに頼っていた私も悪かったので、自ら選別するために「唐箕」を備えようと決意したのである。
 とは言っても、いまどき「唐箕」などという代物は、超レア・プレミアムものであるから、なかなか手に入らずに困っていたのだが、知り合ってから4年経って初めて役に立つ情報をトンボさんが持ってきてくれたのである。
 私が愛の鞭を諦めずに打ち続けた効果が、4年経ってやっと現れてきたということなのだが、「石の上にも三年」という諺を超えた辛い四年間ではあった。
 いや、言うまい、芽が出てきてくれたことを神様に感謝すべきだな。

 話がそれてしまったが、スチール製ではあるものの、念願の「唐箕」によって、蕎麦の実ばかりか、人間をも選別してみようと考えたB型の私なのである。
 ただ残念なのは、この貴重な情報をもたらしてくれたトンボさんが、「唐箕」によって真っ先に飛ばされてしまうということ、そんな話をしたらトンボさんは、「私はとりあえずは唐箕の中に入れてもらえるから良しとしますが、卓球太さんは唐箕に入れる前の箕の段階でアウトでしょ」と、自分の顛末を棚に上げて勝ち誇っていたのである。

 そんな二人が、不憫で不憫で、「♪ぼ~く、ぼ~く、笑っちゃいます♪」と厳格な夜を噛み締めている、そんな自分が大好きだ。