雲上快晴

プーさん爺じが、何の変哲もない日々を綴る

日本一のホラ吹き男

2007年03月29日 | 徒然
 植木等さんの追悼番組を見たのですが、何かとても元気をもらえたのです。
 現実社会ではあり得ないことかもしれませんけれど、本気になれば少しはフィクションの世界に近づけるんじゃないでしょうか。

 現代の日本社会に欠けてしまっているバイタリティ、会社に行けば高齢化高齢化と、出来ない理由の一番手として声を大にしていますよね。

 うちの会社は、50歳で退職再雇用という制度を導入しているのですけれど、人間の寿命って、125歳まではあるのだそうですよ、そうしたら50歳なんてまだまだガキの部類ですよね、これからですよ。

 「俺は、私は、125歳まで生きるんだ」と思ったら、生き方・考え方が違ってくるのじゃないでしょうか。

 いつまでも若々しく生きる、年齢じゃないですよね、気持ちですよ。
 「意識が変われば行動が変わる、行動が変われば結果が変わる」のです。

 眠ってしまった、固まってしまった、体のあらゆる部署に目覚まし時計を鳴らして、起こしてみましょう。
 「お~い、朝だぞー!」ってね。

『漆膠(しっこう)の身ということ』

2007年03月26日 | 卓球
 『武蔵とイチロー』という本の中に出てくる言葉なのです。
 少し本文を引用してみます。

 『漆とは「うるし」、膠とは「にかわ」です。漆はトロトロの液体で塗料や時に接着剤、膠はベタベタの接着剤として使われます。
 ここで武蔵は、「漆膠とは相手に身を密着させて離れないことを言う」と書いています。』

 私が子供達に指導するときにいつも言っていたこと、「ボールにすうっと軸足を近づけて、ボールをキャッチしてから投げるように打っていくんだ」、これがまさしく『漆膠(しっこう)の身ということ』ということなのです。

 追求の道筋はどうやら間違ってはいないようです。どこまで辿り着けるのか、焦らず騒がず歩いて行きたいと考えています。

物理の先生に教えてもらって

2007年03月20日 | 卓球
 「武蔵とイチロー」という本を読み出しました。
 実に共鳴出来ることが多く書いてあります。

 結局、辿り着くところは『脱力』になるようですね、昨日の練習で武蔵の剣の持ち方を真似てラケットを持ってボールを打ち合いましたが、信じられない効果がありましたよ。

 脱力=抜く。。。これって感覚論なので、なかなか他人に説明することが難しいのです。

 今日、テレビでシンクロナイズスイミングを見ていましたが、カナダの選手達は見事に体が割れていましたね、プールに向う歩き方からして違っていました。

 体が左右に割れる感覚が判ると、とても気持ちよくなるのです。

 体格で欧米に劣るアジア民族は、体を割ることによって欧米人に勝るとも劣らない高さ・長さを体現出来るのですよ。

 イチローや野茂の体の使い方を真似すればいいのにね、折角の見本があるのに、もったいないなぁ。。。

言葉

2007年03月10日 | 徒然
 人、三つの立ち様を持つと思う。
 爪先立ちと土踏まず立ちと踵立ち。
 爪先で立ち続ければ、前に進むことは出来ても休むことは出来そうにない。
 踵で立ち続けると、その立ち姿に乱れはしないが前に進み難くはあろう。
 土踏まずの立ち様は進むも休むも可能の立ち方。
 若者は爪先で立つ。激しい夢、持つ程に爪先で立つ。
 40歳過ぎて自在の立ち様となる土踏まず立ちか。
 そして70歳過ぎれば踵立ちとなり行く様な気はする。
 ・・・・
 ・・・・

 これ、3月20日号の「ビックコミックオリジナル」の『風の大地』のエンディングに書かれている言葉です。

 不思議な気持ちになりました。

ナンバの効用

2007年03月07日 | 卓球
 今日、椅子に座っていて、ホントに何気なくふくらはぎを触ったら、今までと違う感覚に『ん?』となってしまって、それから何度も何度も左右のふくらはぎの感触を確かめてしまいました。

 私、昔はフットワーク推進論者だったので、自分でも結構なフットワーク練習をやっていました。(蟹の)
 その結果、太ももは太くなり、ふくらはぎはパンパンに張っていて、ウエストに合わせたジーパンでは足が入らないという体型になっていました。

 それが、自分の練習を辞めてからは、どんどん筋肉が落ちて、ふくらはぎなどは細くてプヨプヨ状態になってしまっていたのです。
 風呂などでふくらはぎを触るたびに『ああ、随分と筋肉が落ちちゃったなぁ、でもまあいいか、筋肉を使う卓球じゃないから』などと、自分で自分を慰めていたのです。

 ところが今日、何気なく触った私のふくらはぎは、明らかにプヨプヨではなかったのです、太さも間違いなく太くなっていました。
 何故?と考えて思い当たったのは、たった一つしかありませんでした。
 それは、昨年の10月半ばに、正しいナンバ歩きを見つけたこと、これしかないのです。

 そのあと、ゆっくりと一歩一歩ナンバで歩いてみると、前に出した足にしっかりと体重が乗った瞬間、ふくらはぎが緊張することを実感できました。
 ナンバ関連の本に出てくる挿し絵に描かれている江戸時代の人たちは、必ずふくらはぎがパンパンになっていることを思い出しました。
 ナンバで歩くと、足の後ろ側の筋肉が緊張するのです、緊張するということは発達するということですね。

 よくプロ野球選手などが足の肉離れで戦線を離脱したという記事を目にすることがありますが、そのほとんどが太ももの後ろ側とかふくらはぎですよね。
 要するに現代の走り方・歩き方では、前面の筋肉が鍛えられてしまって、後面の筋肉とのバランスが崩れてしまう、その結果として肉離れという現象に繋がる、ということなんじゃないでしょうか。

 やっぱり、ナンバは正しい体の使い方ですよ、どんどんナンバにはまっていく自分がいます。

 

タンポポって

2007年03月04日 | 卓球
 今日の練習の後半に、私・女将さん・ユ○エ・サトウキビ・タンポポの5人のリーグ戦をしたのです、サトウキビとタンポポにはハンディをあげての。

 一試合目、サトウキビVSタンポポ、タンポポには4本のハンディを上げました。
 1セット目は、試合というだけで緊張島倉千代子のサトウキビがミスを連発したために、タンポポが11-9で取りました、するとタンポポは自分の実力で勝ったかのようにニコニコ顔だったのです。
 しかし、2セット目以降は、少しづつ平常心を取り戻したサトウキビのペースになって、結果、タンポポが1-3の逆転負けを喫しました。
 お兄ちゃんとは言え、一緒に卓球を始めたわけなので、同期生に負けたことがよっぽど悔しかったのでしょう、敗戦が濃厚になり出してから、どんどん表情が険しくなっていきました。

 そしてタンポポの二試合目は私。
 8本ハンディをあげての試合です、9本か10本ハンディでもいいのですが、時々目を見張るようなスマッシュが入ってくるので、少しでも長く1セットを経験させるのには丁度いいハンディなのです。
 ところが、今日はたまたまスマッシュが全く入らずに、結果、3セットともに11-8で私の勝利となってしまったのです。
 そうしたら、タンポポは卓球台に顔をうずめて微動だにしなくなってしまったのです、泣いてるんですよこれが。

 二人目ですよ、私に負けたことが悔しくて泣いた子は。
 私としては、そのことを喜んでいいのか怒っていいのか、、、まあ、喜ぶべきことなのでしょうね、頬が緩んじゃいましたもの

変クラ30周年

2007年03月02日 | 回想録
 トップページにも書きましたが、変人倶楽部が出来たのは30年前だったのです。(正確には31年かな?)
 当時のメンバー諸君は、今、どこで、何をしているのでしょうかねぇ?

 とにかく何かに憤りを感じていた奴らが集まってきたサークル?でした、何の決まりも無い、メンバーも行き当たりばったり、悪さをしてみたり、本気で議論をしたり、体の内側から湧き上がってくるマグマをコントロールすることができない面々の集まりだったのかもしれません。

 もうすぐ50に手が届く年になって、ひょんなことから「たなかし」さんとの現象面での付き合いが復活して(何年会わなくても気持ちは繋がっていたのですよ)、こんなホームページも作ってしまったし、カマド小屋まで作ってしまった・・・
 生き方・考え方も現代の一般常識から見たら、十分変わっているでしょうし、卓球も変わっている、でもそれが楽しいのです。

 変人でも過半数を占めた途端に常識人になってしまうのですよね、そうなった時には、また違った角度で物事を見てしまうのでしょうね私達は(達はないか)。

 卓球という一手段によって、世の中の常識をかき回してやろうっていう、いたずら心満杯の自分を感じているのです。