雲上快晴

プーさん爺じが、何の変哲もない日々を綴る

今年のGWは「家族・友の絆」がテーマだったような

2011年05月09日 | 徒然
 5月2日と6日に休みをもらったので、今年のGWは10連休、さて何をしようかとあれこれと考えてのスタートとなりました。

4月29日
 朝の8時に、年に一度のメンテナンスを終えた「旭」を、なかしさんが自宅から1時間かけて運転してきてくれました。さらにはまた家の周りの草対策として除草剤を撒いてくれたのでした。
 当然ながら、私はまだ「夢の中」、除草剤が撒き終わった頃に起き出して、「どうもねぇ」という全ての感謝の念のこもったごあいさつ。
 たなかしさんが帰った後も午前中はグダグダしていたのですが、せっかく持ってきてくれたのだからと一念発起して、午後から畑の田んぼに出陣し、約4反部の荒地を耕し終わりました。
 畑が終わってテクテク歩いて帰ると、ちょうど買い物から帰ってきた妻と娘に家の前で会って、「ラーメンが食べたい」という娘のたっての希望を取り入れ、近くのラーメン屋さんに歩いていくことに・・・すると途中で畑の耕し具合の見回りを終えたバイアレス(たなかしさんのバイク)と遭遇し、一緒にラーメン屋さんに行くことになりました。

 タイミングがいいというのか、以心伝心なのか、何となくお互いの行動パターンが読めるということなのでしょうか・・・

4月30日
 この日が今GWにおけるメインイベントが開催される日でした。東京駅近くの丸ビルの一室で、大阪と栃木の二家族の調印式です、初めて会うことになった大阪のご両親の前で緊張MAXでしたが、相手のお父さんが会話をリードしてくれて、終始和やかなムードで3時間の時が経過しました。(何回にも分けて運ばれてきた料理の味は無味無臭でしたけれど・・・)
 その後、お父さん一人が大阪に、うちの息子はアパートに帰って、5人での皇居巡り&二次会ということに相成りました。
 二次会も終了し、大阪の母子と娘は東京に一泊して翌日東京見物のあと大阪へ行く予定でしたので、私と妻はここでバイナラ、今回はアパート探しの大阪行きなので、すぐにまた帰ってくるのですけれど、「とうとう行っちゃったな」というのが妻と私の共通の感覚でした。

5月1日
 午前中は虚脱感が全神経を支配して、私も妻も何にも行動に移すことができませんでしたが、夕方からKATSUさん一家とたなかしさんが来ることになっていたので、午後からやっと「なまけもの」のように動き出し始めました。
 これまたタイミングがいいというのか、娘が行っちゃってポッカリと心の真ん中に空いてしまった穴を友が一生懸命パテ埋めをしてくれるのです、親友というのは心友ですね。

5月2日
 単身生活も丸3年を過ぎて、福島の社宅にも物が多くなりすぎたので、一度整理をしたいと思い、息子のSURFを借りて妻と社宅の整理をしたのです。
 何と言っても困っていたのが、調子こんで買ってしまった大物「囲炉裏」、分解して家に運びました。
 
 踏み込み式の囲炉裏になったので雰囲気が変わりました。

5月3日
 息子が埼玉のアパート近くの駐車場を借りたのでSURFを取りに帰ってきました、私達が落ち込んでいるだろうということを察して彼女も一緒に連れてきてくれて、居酒屋さんでの晩御飯は大いに盛り上がり、「早く嫁に来てくれないかなぁ」などと右肩上がりの思考の芽が出てきました。

5月4日
 前日の話の中で、急遽、妻の実家の墓参りに行くかということになって、朝5時に起きて、開通なった北関東道路から関越、県央道、中央高速で山梨へ。
 メインはお墓参りと姪っ子の子供達に会うことでしたが、姪っ子の家で飼っているセントバーナード(1歳半)とも遊びたくなって行って来ました。

 これが人懐っこくて可愛いのです、まだまだ大きくなるそうです。

 帰りはすでにユーターンラッシュが始まってしまったので、中央高速を途中で降りて「雁坂峠」ルートで4時間半の旅になりました。

5月5日
 この日は30回目の結婚記念日でした、「すべてはお母さんのおかげだね」と大阪から娘が電話してきました、本当にそのとおりです。
 昨日の疲れが残っていたので、行き当たりばったりで温泉にでも行こうということになって、日光(昔は今市)の「カタクリの湯」に浸かってきましたが、温泉に行く途中にトンネルがあってライトをつけたことをすっかり忘れ・・・・・JAFのお世話になりました。

 夜には先輩夫婦が岩魚を持ってきてくれたので、新装なった囲炉裏で遅くまで語り合いました。<さやかガンバレ>

5月6日
 昨日の二日酔いのせいか頭が痛くて布団に入っていましたが、どうもいつもの二日酔いの感じとは若干異なるので、体温計を挿してみると「37.7℃」、数字を見た途端に瀕死状態になってしまいました。
 連休中初めてアルコールが体内に注入されなかった日となりました。

5月7日
 この日も体調がもどらず、妻も風邪で午前中病院に行って、夜中に帰ってきた息子も寝不足でグダグダしていたのですが、3時半頃に娘が大阪から帰ってきた途端、一気に家の中の空気が高速循環を始めました。
 やっぱり娘が我が家の中心だということを3人ともに思い知らされたのでした。

5月8日
 まだ喉が痛くて完治していなかったのですが、今日中には福島に戻ろうと、4時くらいに家を出ました。
 と、鹿沼ICのゲートをくぐって本車線に合流した直後、あることに気づいてしまったのです、、、携帯を充電したまま家に忘れてきてしまいました。
 宇都宮で降りて戻るか、宅急便で送ってもらうか、てなことも考えたのですが、一番速いのは大谷PAまで持ってきてもらうこと。。。久しく使ったことのなかった公衆電話で妻にお願いをしたのです。
 約30分後、妻と娘の乗ったウィルが私の携帯を運ぶためだけに到着してくれました。


 家族に感謝、心友に感謝   これからも末永くよろしくお願いします。