妖怪大魔王・コバ法王日記

オートバイを分解して磨き、正確に組み立て独自理論でラインを探り、ストップウォッチと頭脳で感性を磨き、日々の想い語ります

Born to Create

2019-02-15 23:41:06 | 人として生きたい
人は誰も、その人だけの創造する為、生まれる。
だから僕も、僕にしかできない創造をしたい。

食事と栄養が、人の身体の質を決めるように、
受けた刺激や興奮が、僕の創造物の質を決める。

運動の継続が、人の身体を鍛えるように、
創造の継続が、僕の創造物を鍛え育てる。

だから、良い刺激と興奮を受けながら、創造を続けたい。
やがて、眠りの時が来るまで。

Everyone is born to create that person alone.
So I'd like to create creations that I can only do.

As the food determine the quality of the human body,
the stimulation I receive determine the quality of my creation.

As continuation of exercise strengthens human body,
continuation of creation will cultivate my creations.

So I want to continue creation while receiving good stimulation.
until the time when sleep comes.




僕は、僕にしか出来ない創造をしてきた!
誰にも真似は出来ない! と信じた時もあった。

でも、ふと気付いて、後ろを振り返れば、
何も残っていない。深い虚無感に襲われる。

血反吐を吐くほど、打ち込んだわけでなく、
露頭に迷うほど、生活全て賭けたわけでもない。

そんなお前だから、何も創れないのさ!
僕を責める言葉、僕が言う。

I have done creation that I can only do!
I believed that nobody could imitate it.

But, looking back, there is nothing left.
I get struck by deep emptiness.

I did not impossibly to exhale blood stasis,
I did not spend all of my life on creation.

Because you are such a person you can not create anything!
The word that blames me, I say.




よく人は、教育が人生を決めると言う。
よく人は、お金で人生は決まると言う。

けれど、豊富に知識やお金があったとて、
見せびらかすよに、浪費する人生が素敵と思えない。

人生の目的が、創造する事であるならば、
人生の価値は、その人の魂と創造物で決まる筈。

人は創造するゆえ、人類文明が築かれた。
せめて僕も、砂一粒の創造物を遺したい。

People say that education decides life.
People say that life is decided by money.

However, as there were abundant knowledge and money,
I can not think that the life that wastes them is wonderful.

If the purpose of life is to create,
The value of life depends on the soul and creation.

A person created, the human civilization was built.
At least, I'd like to leave a creation of a drop of sand, too.





妖怪動画 ・ 編集&公開、少しずつ

2019-02-13 23:19:58 | 妖怪ガレージ、奮戦記
GRAのアーカイフ資料 と アーカイブ動画の公開作業、少しずつ進めていると・・
フラストレーションを覚えるのが 自分の動画編集だ。

とは言っても、先ずは GRAを優先しなくてはいけない。
だから、GRA作業の “ スキ ” を見つけて、時々アップしていく事にした。

今日は、1993年のデモラン映像を一部修正してアップした。

http://gra-npo.org/

以前アップした時より編集技術は向上している筈だから、次の機会は、また編集し直してアップする予定です。




今冬のヒット品、 2点

2019-02-11 16:14:50 | 日記
大寒が過ぎ、各地から雪の報せが届いていますが ・・・
我が家(?)で、この冬に新しく購入して、ヒットした品2点紹介します。


一つ目は 足元専用のパネルヒーター。
デスクの下に置いて使えば、冷気の流れを遮りつつ、三方から輻射熱で足元を暖めるパネルヒーターは、予想以上に効果的に働いてくれている。
デスクに座っている限り、エアコンはもちろん、ガスファンヒーターも使わずに居られるし、消費ワット数も圧倒的に低く抑えられている。


もう一つは、座面がバケット状に成形された椅子・チェア 。
それまでに使っていた椅子、以前の勤務先での販売商品は、スタイルは良いけど、長く座っているとお尻が痛くなっていたから、近くのホームセンターで廉価で販売されていた品を購入した。
成形された座面と背面(背もたれ)は予想以上に快適だった。
ただ、僕の身長(180cm)には あまりにも低過ぎたので、約 5cm かさ上げする加工をして満足点になった。


この 2点のお蔭で、深夜、5~6 時間連続ワークも 快適になった。
さあ、今日も やらなくっちゃ !♪




ボランティア、 嫌い

2019-02-10 02:25:39 | 人として生きたい
最初に、無駄な誤解を与えないために題名の意図を説明する。
ボランティアをしている人々や、ボランティア行為が嫌いなのではない。
「 ボランティア 」の言葉に含まれる矛盾が嫌いなのだ。


『 ボランティアの意味 』

「 ボランティア 」( 英語 : Volunteer )は、もともとは徴集兵の「 Drafts 」とは対極の意味で、十字軍軍遠征時の 自発的な「 志願兵 」を示す言葉として始まり、現在では個人かグループが、自発的に、無報酬で、個人や団体等に対して行なう社会的な奉仕活動の事を指す。

つまり、自発的に、無報酬で、社会的な活動を行なう事が「 ボランティア 」行為だ。



『 ボランディアの矛盾 』

一般的な理解だと、障害を持った人々の生活介護などの他に、災害現場などへ出向き、被害を受けた家財道具の清掃・修理をしたり、避難所での一時的な生活を余儀なくされている方々の食事を提供したりトイレ整備などが「 ボランティア 」として使われているようだ。

では、そういう肉体的活動ではなく、歌や演奏で慰問的活動をする人達はどうだろうか? 生活に困っている人々の為に食品や生活用品を送っている人達は? 外出はせずに義援金を常に送金している人達は「ボランティア」でないのか?

自発的に、無報酬で行なう社会的な活動が「 ボランティア 」であれば、上に挙げた人達も全てボランティアと言えるだろう。


『 日常生活とボランティア 』

私達が生きている “ 社会 ” は、私達が共に協力し合って作るもの。
そういう意味で、日常生活の中で困っている人が目の前に居たら、自発的に無報酬で、何等かの行為を行なう事は人の務めだ。

また、困っている人に対してだけでなく、自身や周囲の人々などに損害を与える可能性の高い行為をしている人が居れば、自発的に、無報酬で、サポートする行為も務めの一つだろう。

だから、日常生活での人としての務めに焦点を当てず、被災地や障害を持った人々だけに対する行為を「 ボランティア 」だとすれば、僕は「 ボランティア 」という言葉に違和感を感じるのだ。


『 ボランティアって何? 』

社会的な活動に、僕は小さい頃から興味は強かった。
地域で行なう社会的活動を除けば、中学校時代に手話を覚えて、大学時代以降に出会った “ ろう者 ” の人達とは50音と簡単な手話で会話をしてきた。
20代後半には、休日の暇を持て余して、福祉事務所へ出向き、生まれつき車椅子生活をしている女性と知り合い、彼女の社会的な活動に合わせて、日本全国各地で開催される会合に付き添って移動を助け、女子トイレにも一緒に入ったし、ノルウェーへの9日間の旅にも同行するなど、「友達」として付き添う生活を約2年間してきた。
そんな彼女のお蔭で、全国各地の身体的な障害を持った人々とも多く知り合い、その人達とも旅に同行するなど、「友達」としてお付き合いもしてきた。

1995年1月、阪神・淡路大地震で自宅が全壊扱いになった際には、近所の人々に助けられ助ける生活が当たり前だったし、2011年3月の 大地震の際には、生まれ故郷が被災した友達数名を通じてお金を支援したのも当たり前だった。

でも、僕は一度も「 ボランティア 」だとは思わなかったし、今も思わない。


『 日常生活の当たり前 』


見て判断できる障害を持った人々や被災地の人々に対する慈善的行為だけを取り上げて「 ボランティア 」と表現する事が誤りを招いている。

日常生活の中で、目には見えない障害を持っている人々に出会う機会や、被災地ではないけど生活に困窮している人々に出会う機会は、誰でも多くあるもの。
また、自身や周囲の誰かに損害を与える可能性のある行為に出会う機会もある。
そういう機会を捉えて、可能な範囲で、社会の為に、自発的・無報酬の行為をするのを務めとして、社会に住む人達が行動するのが “ 当たり前の社会生活 ” でしょう。

仮に、日常生活の中のそういう機会に一切目を向けず、「 ボランティア 」と認められる特別な行為だけに注力するとすれば、決して悪い事では無いけど、とても偽善的に見える。

だから、「 ボランティア 」という言葉が嫌いだ。




ミーティング、 前々日

2019-02-08 21:49:56 | 夢を追いかけて ・・
2月10日(日)に 『GRAミーティング』(NPO法人総会)を開催するけど、イベントを開催するよりナーバス、少し神経質になっている。
なぜなら、走行&講習系のイベントとは違って、参加する人との意識ギャップが大きい経験しかないからだ。

オートバイを走らせるイベントであれば、オートバイを走らせたりするだけだから、意識の方向が多少違っていても大きな問題にはならない。

しかし、NPO法人の運営の事になると、実際に日常的に運営業務に携わっている人だけが来る訳ではないから、日頃から見ているモノや経験が違う。
せめて、週に一度以上は 公式Webサイトやブログサイトの記事を確認して、他の 同様な活動を行なっているNGOやNPO団体のサイトのチェックもしていてくれると良いのだけど、そういう人は滅多に居ない。

年に一度だけのミーティング、年に一度しか会う事が無く、実際の運営に携わらず、GRAの活動内容をチェックもせず、昔参加した時の 走行&講習系イベントのイメージのままで参加されると少し困る場合もある。

「 現在の活動方針や運営内容を、一から細かく説明するべきなのか ? 」と 悩ませられる経験は毎度の事だ。

さあ、どういう風に理解と納得を広めて、更に前進させられるか? 毎年が腕試し、技術向上の機会だ。


【 GRAミーティング 】
http://gra-npo.org/schedule/meeting/meeting_top.html