座談会の続きです。
この別冊宝島は1991年に出版されていますから、約30年前の座談会ということになりますね。
そして座談会の場所は神田・エリザベス会館です。
これも歴史ではあります。
ところで、皆さん、男の声で話していらっしゃるんですが、声を女の声にしたいという気持ちはないんですか?
道子 声は直らないですよ。歌う時だけ、ー生懸命、裏声出す人いるけど、醜いですよ。声は男、仕草は女という落差がいいんで、女声使うとかえって、違和感があります。
アキ でも、女装で外出してる時は、絶対に「ボク」とは言わない。完全に女言葉になっちゃう。周りが注意するんですよ。「声が男になってる」って(笑)。
--女装でセ○○スしてる時も、女声になるんじゃないですか?
アキ 完全に女声ですよ。それが自然に出ちゃう。
理佐子 発声器官が自動的に変わることは、考えられますね。
アキ 「いやあーん」とか、ありったけのものを使います。感情のおもむくままですけどね。
--皆さん、だいぶのってきたみたいなんですが、ここで皆さんが女装している時、いちばん楽しい瞬間は何か、を教えてもらえますか?
アキ 私は、服を着て、お化粧して、女の格好ができあがった最後の瞬間ですね。今日は着替えて、お化粧して、最後のプロセスがイヤリングだとしますね。最後にイヤリングをした瞬
間、これで完壁という瞬間です。
理佐子 それは分かる。できあがった瞬間、これから新しい時間が始まるという期待感みたいなものがある。
道子 まだ経験の浅い人は、同じように下着をつけた瞬間だろうね。憧れていた、柔らかくてスベスベしたものを身につけたわけだから。
アキ 身につけただけで、出ちゃう人もいますよ。
--ぺニスが大きくなって、スキャンティからはみ出しちゃったりしてね。
アキ アレは情けないですよ。要らないものだから。
--やっぱり、大きくならないほうがいい?
佳枝 あの時は小さいほうがいい。
道子 できれば、お尻の穴の中に、全部入れてしまいたい。叩きこめればいい。
(ここで珠絵さん、登場。珠絵さんは四十四歳。妻子持ちで、子どもは中学生である。長いブランクがあったが、仕事が楽になったこともあって、ふたたび女装を始める。話は意外な方
向へと進んだ)
--珠絵さんは家庭を持っていらっしゃるんですが、家族にばれそうになったことはないんですか?
珠絵 ありますよ。脚を剃ったりしたりしてチラッ、チラッと出てますからね。それがどの程度ばれているかは、分からないけど。
道子 他人は面白がるけど、身内は絶対ばれると駄目ですよ。自分の身にふりかかってくることだから。
--そうですね。「あそこのお父さん、女装者だよ」つて言われたら、家族はたまらない。
アキ そう言ってくれないからダメなんですよ。女装者じゃなくて、絶対、オカマだつて言われますよ。世の常識ある人は、そう言いますよ。
--ゲイの人たちのなかでは「カミング・アウト」つていう、自分がゲイだって名乗るのが盛んになってきています。大阪の高校の先生で、自分はゲイだって公言して、
生活してる人がいますが、女装者は公言できないんでしょうか?
道子 まったく属性が違うんですよ。ホモってのは、男とも女とも違う第三の性なんです。直しようがない。だから、基本的に違う。あの人たちは、女装者なんかは気持ち悪いと思って
ますよ。彼らは我々を軽蔑していますよ。
アキ あの人たちには、あの人たちなりのロジックがあるから、それでもって、自分たちを認める市民権を、となるわけだけど、私たちの存在とは違うからね。
道子 一般的にいうと、女装は趣味なんですよ。ゲイつてのは、完全に性的なものを伴うし、やめられないんですよ。女装は知られたら恐いなあ、というそのギリキリのところが、快楽
なんですよ。そこそこの社会的地位や家庭生活があったほうが、女装生活は楽しいわけです。その危険がネガティブなものだけに楽しいわけです。解放されちゃったら、快楽は減ります
よ。
珠絵 私なんかもそう、 解放されたら、やらないと思う。
--ゲイを第三の性とするならば、女装者はニ・五の性とでも言えるかもしれませんね。
アキ そうそう、厳密に言えばそうなんでしようね。入り混じっちゃうから、コンマ五がついちゃう。どこかの雑誌が「境界線上の人々」つてとりあげてましたけど、そのコンマ五がど
う評価されるかなんです。
--別の言い方をすれば、何者でもなくなっちゃう。
アキ 世の中の人は、すべてを整数で割り切ろうとするじやないですか。それに対して、私たちだけがコンマ五をもっている。そのへんの問題ですね。
--近い将来、男性、女性、ゲイという三つの性別に分かれるとしても、女装者の属するところは、そのどこでもないわけだ。
道子 女装者としての市民権を得ようなんて誰も考えないですよ。ただ、個人的にはスカートをはいて、会社に行きたいって、願望はあるけどね。
アキ ファッションが混乱してしまえばいい。男もスカートをはいて、化粧する世の中になればいいんです。
--でも、今、徐々にだけど、そうなってきているでしょ?
アキ でも、スカートはいて、就職試験には通らないでしょ(笑)。
--話を元に戻して、サナエさんがいちばん楽しい時は?
サナエ メイクしてる最中かな。何か作るのが好きなんです。だから、メイクし終わったら、それほど楽しみはないですねえ。髪もカツラでなくて、自毛でやりますから。
--メイクするのに、どれくらいの時間がかかるんですか?
サナエ 早い時で十分くらいかな。手抜きすれば五分で終わります。
道子 俺みたいにまるっきり変えちゃうには二時間かかりますよ。ただ、心底、女っ気をもっている人は、厚化粧を軽蔑しますね。つまりナチュラル派ですよ。
--では、ほかの方は?
佳枝 私は洋服を買っている時ですね。買ってしまったら、もう早く着たくてしょうがない。待ちきれなくて近くのトイレで着ちゃうこともあります。
珠絵 どんどん変わってきますね。女装してる時ももちろんなんだけど、化粧、落としてもまだもの足りなくて、ホテルに行ってまたお化粧して、夜中に街に遊びにいったりします。行
きつけの店をつくって、そこでチヤホヤされると、朝まで遊んじゃう。全然、眠くならないしね。二時間くらい寝て、会社に行く。それでも全然疲れない。
--もし息子さんが、女装始めたら、どうしますか?
珠絵 その時は、私のメーク道具や服を譲ろうと思う。今、息子はすごく真面目で受験勉強してるけど、考えてみたら、私も真面目だったし、似てるかもしない(笑)。
--では、道子さんは?
道子 洋服、買う時がいちばん楽しい。洋服見ながら、イメージするんですよ。いろいろやってきたけど、イメージする瞬間が楽しいね。あとは街を歩いていて、男がすり寄ってきた瞬
間だな。甘い蜜にひっかかってきた、という感じ。女装者にとって、男に媚を売るのが最終的に残された恥なんですよ。その恥が被虐的な快楽なんだな。
いずれにしても、女装する人は、フツーの人よりも感性がシャープですよ。想像力がフツーよりすぐれているんじゃないですか。シャイで内向的な人が多いですよ。
--皆さんの話を聞いていると、女装で外出する方がけっこう多いようです。まず鏡に写った、女装したもうひとりの自分に恋をして、オ○○ーするのが第一歩だとすると、外出するの
は第三者の視線にさらされるわけで、全然違ってくると思いますが。
アキ あれは快感ですよ。
道子 自分がキレイになってくると、それを他人に見せたくなる。他人に褒めてもらいたくなるんです。
アキ それは自然でしょ。
--でも、不安感が先に立つんじゃないですか? ばれたらどうしよう、みたいな。
道子 あの人は私をどう見てるのか? 男と知って見てるのか、女としておかしいと見てるのか、それともキレイだと思ってるのか、醜いと思っているのか....、視線がチリチリす
る。ものすごい快感なんですよ。
--馬鹿な質問なんですが、そういう時はトイレは男性用に入るんですか、それとも女性用?
アキ 女性用です。スカートをはいている人が女性用のトイレに入るのは自然なわけです。女性は順応性が高いから、その場で男であると分かっても騒がないしね。
--では、そろそろまとめに入りたいと思います。皆さん
の話を聞いていると、女装のキッカケは小学生くらいで、スカートをはいてみたいとか、オシャレをしてみたいという自然発生的な願望が起こってきて、それがしだいに大きくなってき
ています。もちろん、なかには明日香さんのように、家庭教師に誘われたという他人誘導型もありますが、ほとんどが自発的にそう思うようになった。
この時期は、服装とかの形から入っていってるわけですね。つまり、フェミニンな服とか下着、セーラー服や口紅のようなものに、フェティッシュな欲望を抱いている。
それがエスカレートしていくと、それらを身につけるようになり、ふと気づくと鏡の中に美しい「もうひとりの自分」がいたと。 それで、まず鏡の中の自分に恋をするわけです。
アキ そう、無意識的にね。
--その鏡に写ったものが、嫌いなものだったら、そうはならないわけですよ。
アキ そうそう、余分なものが入ってくると「私のアングルに入ってくるんじゃないツ」つて感じになる。
道子 結局は自己完結してるものだから、さっきのゲイの市民権みたいにつるむ必要はまったくないわけだ。
--そこでフェティシズムからナルチシズムへと移行する。さらに、そのナルチシズムは女である自分に向けられているわけだから、女であるという状態そのものへの歓びが出てくる。
自分が男性でいる時よりも女性でいる時のほうが歓びが大きい。そこまではだいたい皆さんが同じ道をたどってくるわけだけど、そこから微妙に道が違ってくる。
外出したりする人、さらに観念だけで満足できなくて、肉体的な接触を求める人も出てくる。アキさんみたいに、女として男とセ○○スをする人や、そこまでいかなくても、本物の女
性としズビアン的なセ○○スをする人が出てくる。これは、先ほどの話によれば、女装者の理想とするセ○○スらしい。
ぺ○スもあるわけだから、女であると同時に男であるという、シーソーみたいなゲームが楽しめる。
アキ ペ○スは使わないで、楽しめますよ。私がプレーする時は、相手が誰であれ、射精はしない。男性器は使わないんですよ。これはク○○○スなんだ。女性器のー部なんだと思って
るから。
--ただ、あくまでも服装倒錯であり、シーメール、性転換までいくと、女装の範疇を越えてしまう、というわけですね。
アキ そうですよ。あくまでもコンマ五がつかないと。三になっちゃったら、それは私たちの知っている世界とは違う。
--では最後に、女装はばれてしまえば、社会的地位を失いかねない、危険を伴った趣味なんですが、なぜ、そうまでして、女装をするんでしょうか?
アキ そうまでして、というのは言い方としておかしいんですよ。たしかに他のものを犠牲にする可能性はあるんだけど、ごく自然に女装を選んでいるわけだから。
道子 結局、したいからするんだろうな。人生のー部に組み込まれているんだな。
アキ いろいろな趣味があると思うけど、入ってしまえば同じですよ。苦労してやってるわけじゃないから。
道子 男性は皆、女装したいという願望は持っていると思うよ。ただ、その女装カルチャーをインプットする機会があるか、ないかなんじゃないかな。
アキ 女装はやめたいのに、やめられないんじゃないんです。やりたいから、やってるんです。
--最後に力強い言葉が聞けました。この座談会を読んで、多少なりとも女装を理解する方がふえてくれればいい、と思っています。本日は長い間、ありがとうございました。
別冊宝島「変態さんがいく」(宝島社刊)から引用
引用者注:座談会の出席者の名前は引用原本とは異なります。引用者の判断で仮名に置き換えております。
約30年近く前の座談会でしたが、いま読み返しても、いろいろと学ぶところがあります。
ご感想など、コーイチローにお送りいただければうれしいです。
この別冊宝島は1991年に出版されていますから、約30年前の座談会ということになりますね。
そして座談会の場所は神田・エリザベス会館です。
これも歴史ではあります。
ところで、皆さん、男の声で話していらっしゃるんですが、声を女の声にしたいという気持ちはないんですか?
道子 声は直らないですよ。歌う時だけ、ー生懸命、裏声出す人いるけど、醜いですよ。声は男、仕草は女という落差がいいんで、女声使うとかえって、違和感があります。
アキ でも、女装で外出してる時は、絶対に「ボク」とは言わない。完全に女言葉になっちゃう。周りが注意するんですよ。「声が男になってる」って(笑)。
--女装でセ○○スしてる時も、女声になるんじゃないですか?
アキ 完全に女声ですよ。それが自然に出ちゃう。
理佐子 発声器官が自動的に変わることは、考えられますね。
アキ 「いやあーん」とか、ありったけのものを使います。感情のおもむくままですけどね。
--皆さん、だいぶのってきたみたいなんですが、ここで皆さんが女装している時、いちばん楽しい瞬間は何か、を教えてもらえますか?
アキ 私は、服を着て、お化粧して、女の格好ができあがった最後の瞬間ですね。今日は着替えて、お化粧して、最後のプロセスがイヤリングだとしますね。最後にイヤリングをした瞬
間、これで完壁という瞬間です。
理佐子 それは分かる。できあがった瞬間、これから新しい時間が始まるという期待感みたいなものがある。
道子 まだ経験の浅い人は、同じように下着をつけた瞬間だろうね。憧れていた、柔らかくてスベスベしたものを身につけたわけだから。
アキ 身につけただけで、出ちゃう人もいますよ。
--ぺニスが大きくなって、スキャンティからはみ出しちゃったりしてね。
アキ アレは情けないですよ。要らないものだから。
--やっぱり、大きくならないほうがいい?
佳枝 あの時は小さいほうがいい。
道子 できれば、お尻の穴の中に、全部入れてしまいたい。叩きこめればいい。
(ここで珠絵さん、登場。珠絵さんは四十四歳。妻子持ちで、子どもは中学生である。長いブランクがあったが、仕事が楽になったこともあって、ふたたび女装を始める。話は意外な方
向へと進んだ)
--珠絵さんは家庭を持っていらっしゃるんですが、家族にばれそうになったことはないんですか?
珠絵 ありますよ。脚を剃ったりしたりしてチラッ、チラッと出てますからね。それがどの程度ばれているかは、分からないけど。
道子 他人は面白がるけど、身内は絶対ばれると駄目ですよ。自分の身にふりかかってくることだから。
--そうですね。「あそこのお父さん、女装者だよ」つて言われたら、家族はたまらない。
アキ そう言ってくれないからダメなんですよ。女装者じゃなくて、絶対、オカマだつて言われますよ。世の常識ある人は、そう言いますよ。
--ゲイの人たちのなかでは「カミング・アウト」つていう、自分がゲイだって名乗るのが盛んになってきています。大阪の高校の先生で、自分はゲイだって公言して、
生活してる人がいますが、女装者は公言できないんでしょうか?
道子 まったく属性が違うんですよ。ホモってのは、男とも女とも違う第三の性なんです。直しようがない。だから、基本的に違う。あの人たちは、女装者なんかは気持ち悪いと思って
ますよ。彼らは我々を軽蔑していますよ。
アキ あの人たちには、あの人たちなりのロジックがあるから、それでもって、自分たちを認める市民権を、となるわけだけど、私たちの存在とは違うからね。
道子 一般的にいうと、女装は趣味なんですよ。ゲイつてのは、完全に性的なものを伴うし、やめられないんですよ。女装は知られたら恐いなあ、というそのギリキリのところが、快楽
なんですよ。そこそこの社会的地位や家庭生活があったほうが、女装生活は楽しいわけです。その危険がネガティブなものだけに楽しいわけです。解放されちゃったら、快楽は減ります
よ。
珠絵 私なんかもそう、 解放されたら、やらないと思う。
--ゲイを第三の性とするならば、女装者はニ・五の性とでも言えるかもしれませんね。
アキ そうそう、厳密に言えばそうなんでしようね。入り混じっちゃうから、コンマ五がついちゃう。どこかの雑誌が「境界線上の人々」つてとりあげてましたけど、そのコンマ五がど
う評価されるかなんです。
--別の言い方をすれば、何者でもなくなっちゃう。
アキ 世の中の人は、すべてを整数で割り切ろうとするじやないですか。それに対して、私たちだけがコンマ五をもっている。そのへんの問題ですね。
--近い将来、男性、女性、ゲイという三つの性別に分かれるとしても、女装者の属するところは、そのどこでもないわけだ。
道子 女装者としての市民権を得ようなんて誰も考えないですよ。ただ、個人的にはスカートをはいて、会社に行きたいって、願望はあるけどね。
アキ ファッションが混乱してしまえばいい。男もスカートをはいて、化粧する世の中になればいいんです。
--でも、今、徐々にだけど、そうなってきているでしょ?
アキ でも、スカートはいて、就職試験には通らないでしょ(笑)。
--話を元に戻して、サナエさんがいちばん楽しい時は?
サナエ メイクしてる最中かな。何か作るのが好きなんです。だから、メイクし終わったら、それほど楽しみはないですねえ。髪もカツラでなくて、自毛でやりますから。
--メイクするのに、どれくらいの時間がかかるんですか?
サナエ 早い時で十分くらいかな。手抜きすれば五分で終わります。
道子 俺みたいにまるっきり変えちゃうには二時間かかりますよ。ただ、心底、女っ気をもっている人は、厚化粧を軽蔑しますね。つまりナチュラル派ですよ。
--では、ほかの方は?
佳枝 私は洋服を買っている時ですね。買ってしまったら、もう早く着たくてしょうがない。待ちきれなくて近くのトイレで着ちゃうこともあります。
珠絵 どんどん変わってきますね。女装してる時ももちろんなんだけど、化粧、落としてもまだもの足りなくて、ホテルに行ってまたお化粧して、夜中に街に遊びにいったりします。行
きつけの店をつくって、そこでチヤホヤされると、朝まで遊んじゃう。全然、眠くならないしね。二時間くらい寝て、会社に行く。それでも全然疲れない。
--もし息子さんが、女装始めたら、どうしますか?
珠絵 その時は、私のメーク道具や服を譲ろうと思う。今、息子はすごく真面目で受験勉強してるけど、考えてみたら、私も真面目だったし、似てるかもしない(笑)。
--では、道子さんは?
道子 洋服、買う時がいちばん楽しい。洋服見ながら、イメージするんですよ。いろいろやってきたけど、イメージする瞬間が楽しいね。あとは街を歩いていて、男がすり寄ってきた瞬
間だな。甘い蜜にひっかかってきた、という感じ。女装者にとって、男に媚を売るのが最終的に残された恥なんですよ。その恥が被虐的な快楽なんだな。
いずれにしても、女装する人は、フツーの人よりも感性がシャープですよ。想像力がフツーよりすぐれているんじゃないですか。シャイで内向的な人が多いですよ。
--皆さんの話を聞いていると、女装で外出する方がけっこう多いようです。まず鏡に写った、女装したもうひとりの自分に恋をして、オ○○ーするのが第一歩だとすると、外出するの
は第三者の視線にさらされるわけで、全然違ってくると思いますが。
アキ あれは快感ですよ。
道子 自分がキレイになってくると、それを他人に見せたくなる。他人に褒めてもらいたくなるんです。
アキ それは自然でしょ。
--でも、不安感が先に立つんじゃないですか? ばれたらどうしよう、みたいな。
道子 あの人は私をどう見てるのか? 男と知って見てるのか、女としておかしいと見てるのか、それともキレイだと思ってるのか、醜いと思っているのか....、視線がチリチリす
る。ものすごい快感なんですよ。
--馬鹿な質問なんですが、そういう時はトイレは男性用に入るんですか、それとも女性用?
アキ 女性用です。スカートをはいている人が女性用のトイレに入るのは自然なわけです。女性は順応性が高いから、その場で男であると分かっても騒がないしね。
--では、そろそろまとめに入りたいと思います。皆さん
の話を聞いていると、女装のキッカケは小学生くらいで、スカートをはいてみたいとか、オシャレをしてみたいという自然発生的な願望が起こってきて、それがしだいに大きくなってき
ています。もちろん、なかには明日香さんのように、家庭教師に誘われたという他人誘導型もありますが、ほとんどが自発的にそう思うようになった。
この時期は、服装とかの形から入っていってるわけですね。つまり、フェミニンな服とか下着、セーラー服や口紅のようなものに、フェティッシュな欲望を抱いている。
それがエスカレートしていくと、それらを身につけるようになり、ふと気づくと鏡の中に美しい「もうひとりの自分」がいたと。 それで、まず鏡の中の自分に恋をするわけです。
アキ そう、無意識的にね。
--その鏡に写ったものが、嫌いなものだったら、そうはならないわけですよ。
アキ そうそう、余分なものが入ってくると「私のアングルに入ってくるんじゃないツ」つて感じになる。
道子 結局は自己完結してるものだから、さっきのゲイの市民権みたいにつるむ必要はまったくないわけだ。
--そこでフェティシズムからナルチシズムへと移行する。さらに、そのナルチシズムは女である自分に向けられているわけだから、女であるという状態そのものへの歓びが出てくる。
自分が男性でいる時よりも女性でいる時のほうが歓びが大きい。そこまではだいたい皆さんが同じ道をたどってくるわけだけど、そこから微妙に道が違ってくる。
外出したりする人、さらに観念だけで満足できなくて、肉体的な接触を求める人も出てくる。アキさんみたいに、女として男とセ○○スをする人や、そこまでいかなくても、本物の女
性としズビアン的なセ○○スをする人が出てくる。これは、先ほどの話によれば、女装者の理想とするセ○○スらしい。
ぺ○スもあるわけだから、女であると同時に男であるという、シーソーみたいなゲームが楽しめる。
アキ ペ○スは使わないで、楽しめますよ。私がプレーする時は、相手が誰であれ、射精はしない。男性器は使わないんですよ。これはク○○○スなんだ。女性器のー部なんだと思って
るから。
--ただ、あくまでも服装倒錯であり、シーメール、性転換までいくと、女装の範疇を越えてしまう、というわけですね。
アキ そうですよ。あくまでもコンマ五がつかないと。三になっちゃったら、それは私たちの知っている世界とは違う。
--では最後に、女装はばれてしまえば、社会的地位を失いかねない、危険を伴った趣味なんですが、なぜ、そうまでして、女装をするんでしょうか?
アキ そうまでして、というのは言い方としておかしいんですよ。たしかに他のものを犠牲にする可能性はあるんだけど、ごく自然に女装を選んでいるわけだから。
道子 結局、したいからするんだろうな。人生のー部に組み込まれているんだな。
アキ いろいろな趣味があると思うけど、入ってしまえば同じですよ。苦労してやってるわけじゃないから。
道子 男性は皆、女装したいという願望は持っていると思うよ。ただ、その女装カルチャーをインプットする機会があるか、ないかなんじゃないかな。
アキ 女装はやめたいのに、やめられないんじゃないんです。やりたいから、やってるんです。
--最後に力強い言葉が聞けました。この座談会を読んで、多少なりとも女装を理解する方がふえてくれればいい、と思っています。本日は長い間、ありがとうございました。
別冊宝島「変態さんがいく」(宝島社刊)から引用
引用者注:座談会の出席者の名前は引用原本とは異なります。引用者の判断で仮名に置き換えております。
約30年近く前の座談会でしたが、いま読み返しても、いろいろと学ぶところがあります。
ご感想など、コーイチローにお送りいただければうれしいです。