LGBT法案を巡っては、超党派の議員連盟が今国会での法案成立を目指していたが、自民党内で条文案の「性的指向及び性自認を理由とする差別は許されない」との文言などに反対する意見が出て議論が紛糾し、自民党は審議日程を理由に提出見送りを決めた。一方で、与野党の議員から今国会での成立を目指す声が上がっている。出所:毎日新聞電子版 2021年6月4日
LGBT層の比率は7.6% と電通の調査結果があります。
衆議院は465人、参議院は248人で合計713人の国会議員がいます。
この比率を当てはめると54人のLGBTというマイノリティになる国会議員がいることになります。
自由民主党の党員は113万人ということですから、そのなかで8万5000人の方がLGBTと推測されます。
1960年代のことです。大手鉄工所社長である鎌田実安氏は妻も子供もいる実業家です。
しかし、彼には誰にも言えない秘密がありました。
女性より同性が好きだったのです。
そして鎌田氏はある日、美貌の高校生・櫟弘一郎君に恋してしまったのです。
櫟弘一郎......。本ブログをお読みの方はご記憶があるかもしれません。
そう、梶山季之先生の名著『男を飼う 鞭と奴隷の章』の主人公で、大東映画のトップスターです。
彼が映画スターの座をつかめたのは、貧困家庭に育った彼を援助した鎌田氏の存在があったからです。
1960年代後半、LGBTは絶対に隠さないといけないことだったのが、この小説を読むとわかります。
櫟弘一郎は照れた。
実のところを云うと、櫟が今日あるのは、ある実業家から、援助をうけていたがためだった。
高校生のころから、美貌だった彼には、女性のラブ・レターが多く舞い込んで来ていたが、それよりも多かったのは、男性から、「交際して欲しい」という申し込みの手紙であったのだ。
その中に、
「月十万円ぐらい援助したい」
という、手紙があったのだった。
櫟弘一郎の家は、はっきり云って貧乏であった。
大学へ進むのは、断念しなければならない状況であった。
そこへ、毎月十万円の援助をしたいと、見ず知らずの人物から、云って来たのである。櫟弘一郎は、両親に無断でその人物に返事を書き、そして都心のホテルの一室で、面会した。
実業家の名は、鎌田実安といい、大きな鉄工所の社長だった。
鎌田は、彼に告白した。
「私は、通学するきみを、毎朝、車の中で眺めていて、きみに恋をしたのだ。私は妻もあり、子もあり、社会的な地位もある。だが、ほんとうは女性よりは、同性が好きな人間なのだ」
櫟弘一郎は、まだ高校三年生だったが、この世の中に、ホモとかレズビアンというものが、存在することは漠然と気づいていた。
だが、自分に毎月、十万円を援助しようという鎌田が、そんな趣味を持っていようとは、計算していなかったのである。
鎌田はさらに云った。 ‘
「私は、きみが大学を出て、立派な社会人になるまでは、面倒をみよう。そしてきみが私を必要としなくなったら、いつでも私は別れる。私は、きみを愛してる。きみが、私を嫌いでも構わない。ただ、私と交際して、面倒をみて貰っている間は、私を裏切らないで欲しい」
櫟弘一郎は、三日間考えて、
「絶対秘密にして呉れるなら」
と条件をつけて、鎌田実安の愛人となった。
鎌田は、彼のために、高級アパートを借りて呉れて、生活に必要な物を一切、買い整えて呉れたのだった。
出所『男を飼う 鞭と奴隷の章』梶山季之著1969年 集英社刊
amazonでは希少本のようです
LGBT層の比率は7.6% と電通の調査結果があります。
衆議院は465人、参議院は248人で合計713人の国会議員がいます。
この比率を当てはめると54人のLGBTというマイノリティになる国会議員がいることになります。
自由民主党の党員は113万人ということですから、そのなかで8万5000人の方がLGBTと推測されます。
1960年代のことです。大手鉄工所社長である鎌田実安氏は妻も子供もいる実業家です。
しかし、彼には誰にも言えない秘密がありました。
女性より同性が好きだったのです。
そして鎌田氏はある日、美貌の高校生・櫟弘一郎君に恋してしまったのです。
櫟弘一郎......。本ブログをお読みの方はご記憶があるかもしれません。
そう、梶山季之先生の名著『男を飼う 鞭と奴隷の章』の主人公で、大東映画のトップスターです。
彼が映画スターの座をつかめたのは、貧困家庭に育った彼を援助した鎌田氏の存在があったからです。
1960年代後半、LGBTは絶対に隠さないといけないことだったのが、この小説を読むとわかります。
櫟弘一郎は照れた。
実のところを云うと、櫟が今日あるのは、ある実業家から、援助をうけていたがためだった。
高校生のころから、美貌だった彼には、女性のラブ・レターが多く舞い込んで来ていたが、それよりも多かったのは、男性から、「交際して欲しい」という申し込みの手紙であったのだ。
その中に、
「月十万円ぐらい援助したい」
という、手紙があったのだった。
櫟弘一郎の家は、はっきり云って貧乏であった。
大学へ進むのは、断念しなければならない状況であった。
そこへ、毎月十万円の援助をしたいと、見ず知らずの人物から、云って来たのである。櫟弘一郎は、両親に無断でその人物に返事を書き、そして都心のホテルの一室で、面会した。
実業家の名は、鎌田実安といい、大きな鉄工所の社長だった。
鎌田は、彼に告白した。
「私は、通学するきみを、毎朝、車の中で眺めていて、きみに恋をしたのだ。私は妻もあり、子もあり、社会的な地位もある。だが、ほんとうは女性よりは、同性が好きな人間なのだ」
櫟弘一郎は、まだ高校三年生だったが、この世の中に、ホモとかレズビアンというものが、存在することは漠然と気づいていた。
だが、自分に毎月、十万円を援助しようという鎌田が、そんな趣味を持っていようとは、計算していなかったのである。
鎌田はさらに云った。 ‘
「私は、きみが大学を出て、立派な社会人になるまでは、面倒をみよう。そしてきみが私を必要としなくなったら、いつでも私は別れる。私は、きみを愛してる。きみが、私を嫌いでも構わない。ただ、私と交際して、面倒をみて貰っている間は、私を裏切らないで欲しい」
櫟弘一郎は、三日間考えて、
「絶対秘密にして呉れるなら」
と条件をつけて、鎌田実安の愛人となった。
鎌田は、彼のために、高級アパートを借りて呉れて、生活に必要な物を一切、買い整えて呉れたのだった。
出所『男を飼う 鞭と奴隷の章』梶山季之著1969年 集英社刊
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