女装子愛好クラブ

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小山田圭吾氏の事案から思い出したこと

2021年07月23日 | 私的東京女装史
カテゴリーを私的東京女装史としています。
あまり愉快ではないことを思い出してしまったのですが、これも私的歴史かなと考えて、ここに入れます。

いまから20年前くらいのことでしょうか。
P倶楽部の掲示板に女装子さんがある投稿をしました。
概略は以下の通りです。
「女装してJRのP駅を歩いてた。近くに特別支援学校がある。そこに通う知的障がいを持つ男の子を空き地の陰に連れ込んで気持ちよくしてあげた。彼も喜んでいた」

なにか自慢げのような書きぶりでしたが、これを読んだ私は強い不快感と違和感を持ちました。
女装してのさまざまな快楽事は成人した女装子さんと女装愛好男子の双方が了解して行う遊びであるべきというのが私の考え。これは20年前もいまも変わりません。
未成年で知的障がいを持つ子に対して、いくら「彼も喜んでいた」とはいえ女装者が自らの快楽を第一に考えるような行為は許されるべきものではありません。
そして沈黙はこの行為を認めることになると考え、ハンドルネームを明記して、同じ掲示板に反対意見を投稿しました。すると、「私も違和感を持ちました」とある女装子さんも同意の書き込みをしてくれました。これはうれしかったですね。

しかし反論も多かったですね。
3倍くらいあったかな。
ネット上で論争することは大嫌いなので、最初の書き込みだけで以降は沈黙しましたが、P倶楽部の掲示板には賛否を含めていろいろな意見が長期間にわたり飛び交いました。
そしてついには、主宰のYさんが「このことについてはここまでにしよう」とピリオドを打って終わりになりました。

反論を読んでいて気付いたことは、「その男の子も気持ちよくなったからいいんじゃないか」ということを免罪符にして、自分の立場を正当化して障がい者を見ている人がほとんどだということ。

自分の子供が障がい者だとして、女装した男性から性的いたずらを受けたことを知ったら親としてどのようなショックを受けるか。その女装した男性に対して親としてどのような感情を持つか。こうしたことに思いを持つことは大切だと私は思います。

女装は壮大な「ごっこ遊び」。
良識を持つ紳士と淑女(まあ男性ですが)がお互いの合意で楽しんでこそ、非日常の快楽を得られるものです。




コメント (3)
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