再掲になります。
前回は一部分だけでした。
どうも、このコラムが気になって、改めて本を読みなおし、改めて引用することにします。
この年になると、人とのコミュニケーションは楽しい場にしたい、自分も愉快に過ごせる場にしたい、と考えるようになります。しかし、そうではないコミュニケーションを取るの人が多いのも悲しいかな、事実ですね。
美容ジャーナリストの斎藤薫さんは「人の心を下向きにする」ことの重大さを改めて書いてくれています。
■人の心を下向きにする自分に気づいていない不幸せを考える■
この世で自分を知らないのは自分……よくそう言われるけれど、人は自分の一体何をいちばん知らないというのだろう。たとえば、後ろ姿。人間は悲しいかな、そもそも鏡に映さないと自分の姿を見られないが、鏡があってもなお、自分の後ろ姿は見られない。厳密に言うと、ぐるりと体を囲むような4面の鏡がないと見られない。だからパンツ姿のヒップの形を、自分は知らないのだ。
そしてまた、誰かと会話している時の自分の顔を、人は見られない。だいたいが鏡には、自分の好きな顔しか映していないから、会話している顔は、自分の知らない顔だったりする。だから時々は、鏡を見ながら電話してみて。リモート会議でも時々は自分の顔を見ながら話してみて。そうやって自分の死角を減らしていくことは、とても重要な美容なのである。
いずれにしても、自分にそういう死角があることをちゃんと知っておくことが何より大事。知らないと永遠に気づかない。永遠に間違え続けることになってしまうから。でも、百歩譲って何とか鏡に映して見られるものはまだいい。鏡でも見られない、誰も間違いを教えてくれない自分を、人は山ほど特っている。特に人付き合いにおいては、死角だらけ、知らない自分だらけであることを知っておかないと。
たとえば自分の心の向きを、人はあまり気づいていない。もちろん自分が前向きな人間なのか、後ろ向きな人間なのかには自覚があるはずだけれど、意外に気づいていないのが、もっともっと日常的なさりげない会話の中で、人の気持ちを上に向けるタイプか、下に向けるタイプか。人はそこに気づいていないのだ。
言ってみれば、自分自身は大いに前向きな性格なのに、人との関わりの中では人の心を下向きにしてしまう。そういう人ってじつは少なくないのである。しかも、そういう人ほど、自分が人の心を下向きにする人間だなんて夢にも思っていない。そこが問題なのだ。
たとえば人と一緒に食事をする時。ワインがまずい。料理が出てくるのが遅い。この料理は塩辛い。あのスタッフ、感じが悪い。そんなふうに文句ばかり言っている人がひとりいたら、みんな心が下向きになる。逆にこういうワインこそ好みだし、料理の味も悪くない。いい感じの店で気分がいい……そう思えた人の心まで、くまなく下向きにしてしまう。他にいくら前向きな話をしていても。たった今、相手が口にしているものを美味しくないと口に出すことが、どんなに相手の心を下向きにするのか、それ自体に気づいていないのだ。
ともかく食事で誰かとテーブルを共にする時、そこにネガティブな要素を持ち込んでは絶対にいけない。食事がまずくなるのはもちろん、会食はみんなの心を上向きにするためのもの、という本来の意味に思いっきり反してしまうから。従って、ワインがまずくてもまずいと言わない。Iカ月後に「あれはまずかったね」と笑い合うのは構わないが。
同様に人との会話において、相手が言ったことをひとまず否定してみる癖のある人も、一刻も早くそれに気づかないと。ましてや、誰かが褒めた物や事や人を否定するのは、やってはいけないこと。でも取るに足らない世間話だと、自分が何でも否定していることにうっかり気づかないものなのだ。なんらかのテーマをテーブルにあげて、みんなでちゃんと議論をするならば、反対意見を出すのは一向に構わないが、それこそもっともっと日常的な会話の中で、あのドラマ面白かった、あの俳優はいい俳優、あのタレントはいい感じ……そういう他愛のない話題でもって、自覚のないまま、相手の言ったことにいちいち反対意見を持ち出す人は少なくないはず。つまり親しい者同士の会話でこそ、やってしまいがちなミスなのだ。他愛がなさすぎて本人は気づかないのかもしれないが。
もちろん基本的に誰もそのことを指摘してくれないから、そういう癖は知らず知らずエスカレートしていってしまう。誰もそんな人と会話したくないし、ましてやご飯も食べたくない。そういうふうに自分の知らない自分が、幸せになれない原因だとしたらどうだろう。だからこの機会に考えてみてほしいのだ。あなたは、ついうっかり人の心を下向きにしていないか? その、ついうっかりで、あなたは自分自身を不幸せにしていないかと。
出所:斎藤薫著『美人だけが知っている100の秘密』
私は基本的に会食や雑談の中で人が言ったことに異を唱えたり、味の負の評価はしないようにしています。
デール・カネーギーの『人を動かす』を大学時代に読んでから、愚直に続けていることです。
でも、身近にいますよね、「でも」「だって」「「そんなことないよ」「これは美味しくない」「この俳優は下手」「脚本がなっていない」......。
とはいえ私も聖人君子ではありません。
心の中では「いいじゃねえか、俺が楽しんでるんだから、いまはぐちゃぐちゃいうな」と叫びまくってます。
まあ、こんなことでコンフリクトを起こして2人の空気が悪くなるなるほうが気分が悪いんで、黙っていますけどね。
女装子愛好クラブでこのコラムを紹介しましたが、これは女装子さんだけではなくB面のビジネスパーソンにも共通することだと思います。
相手の心を下向きにしない、上向きにする。すると幸せはすぅぅとやってきます。たぶん....。
前回は一部分だけでした。
どうも、このコラムが気になって、改めて本を読みなおし、改めて引用することにします。
この年になると、人とのコミュニケーションは楽しい場にしたい、自分も愉快に過ごせる場にしたい、と考えるようになります。しかし、そうではないコミュニケーションを取るの人が多いのも悲しいかな、事実ですね。
美容ジャーナリストの斎藤薫さんは「人の心を下向きにする」ことの重大さを改めて書いてくれています。
■人の心を下向きにする自分に気づいていない不幸せを考える■
この世で自分を知らないのは自分……よくそう言われるけれど、人は自分の一体何をいちばん知らないというのだろう。たとえば、後ろ姿。人間は悲しいかな、そもそも鏡に映さないと自分の姿を見られないが、鏡があってもなお、自分の後ろ姿は見られない。厳密に言うと、ぐるりと体を囲むような4面の鏡がないと見られない。だからパンツ姿のヒップの形を、自分は知らないのだ。
そしてまた、誰かと会話している時の自分の顔を、人は見られない。だいたいが鏡には、自分の好きな顔しか映していないから、会話している顔は、自分の知らない顔だったりする。だから時々は、鏡を見ながら電話してみて。リモート会議でも時々は自分の顔を見ながら話してみて。そうやって自分の死角を減らしていくことは、とても重要な美容なのである。
いずれにしても、自分にそういう死角があることをちゃんと知っておくことが何より大事。知らないと永遠に気づかない。永遠に間違え続けることになってしまうから。でも、百歩譲って何とか鏡に映して見られるものはまだいい。鏡でも見られない、誰も間違いを教えてくれない自分を、人は山ほど特っている。特に人付き合いにおいては、死角だらけ、知らない自分だらけであることを知っておかないと。
たとえば自分の心の向きを、人はあまり気づいていない。もちろん自分が前向きな人間なのか、後ろ向きな人間なのかには自覚があるはずだけれど、意外に気づいていないのが、もっともっと日常的なさりげない会話の中で、人の気持ちを上に向けるタイプか、下に向けるタイプか。人はそこに気づいていないのだ。
言ってみれば、自分自身は大いに前向きな性格なのに、人との関わりの中では人の心を下向きにしてしまう。そういう人ってじつは少なくないのである。しかも、そういう人ほど、自分が人の心を下向きにする人間だなんて夢にも思っていない。そこが問題なのだ。
たとえば人と一緒に食事をする時。ワインがまずい。料理が出てくるのが遅い。この料理は塩辛い。あのスタッフ、感じが悪い。そんなふうに文句ばかり言っている人がひとりいたら、みんな心が下向きになる。逆にこういうワインこそ好みだし、料理の味も悪くない。いい感じの店で気分がいい……そう思えた人の心まで、くまなく下向きにしてしまう。他にいくら前向きな話をしていても。たった今、相手が口にしているものを美味しくないと口に出すことが、どんなに相手の心を下向きにするのか、それ自体に気づいていないのだ。
ともかく食事で誰かとテーブルを共にする時、そこにネガティブな要素を持ち込んでは絶対にいけない。食事がまずくなるのはもちろん、会食はみんなの心を上向きにするためのもの、という本来の意味に思いっきり反してしまうから。従って、ワインがまずくてもまずいと言わない。Iカ月後に「あれはまずかったね」と笑い合うのは構わないが。
同様に人との会話において、相手が言ったことをひとまず否定してみる癖のある人も、一刻も早くそれに気づかないと。ましてや、誰かが褒めた物や事や人を否定するのは、やってはいけないこと。でも取るに足らない世間話だと、自分が何でも否定していることにうっかり気づかないものなのだ。なんらかのテーマをテーブルにあげて、みんなでちゃんと議論をするならば、反対意見を出すのは一向に構わないが、それこそもっともっと日常的な会話の中で、あのドラマ面白かった、あの俳優はいい俳優、あのタレントはいい感じ……そういう他愛のない話題でもって、自覚のないまま、相手の言ったことにいちいち反対意見を持ち出す人は少なくないはず。つまり親しい者同士の会話でこそ、やってしまいがちなミスなのだ。他愛がなさすぎて本人は気づかないのかもしれないが。
もちろん基本的に誰もそのことを指摘してくれないから、そういう癖は知らず知らずエスカレートしていってしまう。誰もそんな人と会話したくないし、ましてやご飯も食べたくない。そういうふうに自分の知らない自分が、幸せになれない原因だとしたらどうだろう。だからこの機会に考えてみてほしいのだ。あなたは、ついうっかり人の心を下向きにしていないか? その、ついうっかりで、あなたは自分自身を不幸せにしていないかと。
出所:斎藤薫著『美人だけが知っている100の秘密』
私は基本的に会食や雑談の中で人が言ったことに異を唱えたり、味の負の評価はしないようにしています。
デール・カネーギーの『人を動かす』を大学時代に読んでから、愚直に続けていることです。
でも、身近にいますよね、「でも」「だって」「「そんなことないよ」「これは美味しくない」「この俳優は下手」「脚本がなっていない」......。
とはいえ私も聖人君子ではありません。
心の中では「いいじゃねえか、俺が楽しんでるんだから、いまはぐちゃぐちゃいうな」と叫びまくってます。
まあ、こんなことでコンフリクトを起こして2人の空気が悪くなるなるほうが気分が悪いんで、黙っていますけどね。
女装子愛好クラブでこのコラムを紹介しましたが、これは女装子さんだけではなくB面のビジネスパーソンにも共通することだと思います。
相手の心を下向きにしない、上向きにする。すると幸せはすぅぅとやってきます。たぶん....。