承前です。
梶山季之先生の『流れ星の唄』は1969年の東京が舞台です。
東北から出てきた良太クンは畳敷きの男子寮の部屋で先輩と同室です。
今みたいに新宿に女性部屋があるわけではない。
あったとしても集団就職で出てきた少年に通えるお金があるわけではない。
押し入れの行李(おお、懐かしい)には彼の女装道具一式が詰まっています。
しかし、それを取り出してお化粧してブラやパンティをつける機会はないのです。
そしてお正月。
新年朝の宴がおわり、同室の先輩は帰省すると言って出ていきました。
これぞ千載一遇のチャンス。
良太クンはもどかしく、押し入れから宝物の入った行李を取り出したのです。
八百一の寮は静かだった。
みんな屠蘇酒でいい機嫌になって、外出して行ったのである。
良太の同室の関という二年先輩の人物は、幸吉たちと同じく帰郷するといって、帰って行った。
吾妻一太郎の家では、誰かが歌い、みんなではやしている騒ぎがつづいている。
〈やっと、一人になれた!〉良太は思った。
部屋の戸には内鍵はない。
良太は、板戸に簡単な、つっかい棒をしてから、押人れの戸をあけた。
行李をとりだす。
その中には、上京して以来、良太がこっそり集めて宝物がはいっているのであった。
盛岡で買った真紅の婦人靴。
トルコ嬢になった春江のブラジャー。
田村夫人の家から、こっそり失敬して来た水色のパンティ。
顔から火の出る思いをして買ったパソティ・コルセット。
スーパーで買い求めた肉色のストッキングもある。
そのほか、口紅だとか、化粧用具などもあったののだ。
相沢良太は、小さな鏡を相手に、せっせと化粧にとりかかる。
これは、われを忘れる時間だった。
なんといったらよいのだろう。
鏡の中の自分が、少しずつ変貌してゆくのが、たまらないのである。
大袈裟にいうと、ゾクゾクして来る。
胸が高鳴り、ある部分が火のように火照ってくるのだった。なぜなのだろうか。
女装趣味の者は、ナルシストであるといわれる。つまり、自分で自分の美しい姿をみて、恍惚となる傾向の人をさす。
よく、銭湯などで、鏡の前に倣が、飽かず自分の裸姿に、見惚れている人がある。
特に、女性には多い。
あれは、ナルシズムの現われなのであった。
化粧が終る。うっとりとなった。
睫毛が病的に長いので、本当の女のようにみえる。毒々しいまでに濃い口紅。
「あたし、女なのよ……」
良太は、満足そうに声に出し呟く。
スカーフがないので、ナイロソの風呂敷を頭からかぶり、前髪を垂らすと、安酒場のホステスみたいな感じになった。 、‐
新品のナイロソ靴下の、セロファンの袋を破る。
脛毛はない方であった。前に靴下を伝線させたことがあるので、アカギレの指に注意しながら、ゆっくりと穿いてゆく。
その時には、男性自身はすでに、いきり立っていた。パンティ・コルセットを穿く。
これも新品である。
しかし、靴下の留め方がわからなかった。良太は焦った。
実際には、コルセットの裾に、小さな金具を通して、靴下を留めるのであるが、良太は慌てて買ったから、その付属品を貰うのを忘れて来たのであった。真紅のハイヒール。良太は、それに頬ずりしたり、チュッとキスしたりした。
股間は、大きく揺れている。
靴を履いた。立ち上る。畳の上だから、ふわふわして立ち上りにくい。立つと、ストッキングが弛んで落ちてくるのである。
良太は、もう我慢できなくなっていた。立つことを中止して、畳の上に坐って、脚を投げだした。
そして、田村夫人の水色のパンティを手にとった。それは、洗濯しない前のものだった。
何日聞か穿いていたらしく、その部分は変色して、異臭を放っている。
女装しているにも拘わらず、女性のパンティの異臭に昂奮するこの心理。
それでいて、良太の頭の中には、太いペニスが揺れ動いているのであった。
なんとも奇妙な話ではないだろうか。良太は、パンティを鼻にあてがいながら、右手を使った。
白いものが、弧を描いて、空中に飛んだ。 ’
〈ああ……〉良太が低く呻いた瞬間、廊下を歩いてくる足音がした。
彼は、身を竦ませながら、板戸の方を眺めた。
どうしたことか、突っかい棒が、はずれている。
〈ああッー〉と、良太が叫んだ瞬間、足音が止まって、ガラリと板戸があいたのだ。
「あッ、いけない!」
良太が叫ぶのと、同室の関が、呆然と目をみはるのとは同時であった。
出所『流れ星の唄(下)』梶山季之著
全然話は違いますが、これを読んで1969年のお正月を思い出しました。
家族そろって新年を祝い、お雑煮を食べる。
商店もみんな店を閉めて人も歩いていない。
昨日の大晦日の喧騒が嘘のように町が静まり返る。
静かな静かなお正月。
そして午後には初もうでに晴れ着の女性が行きかう。
私の子供の頃のお正月はどこもそうでした。
梶山季之先生の『流れ星の唄』は1969年の東京が舞台です。
東北から出てきた良太クンは畳敷きの男子寮の部屋で先輩と同室です。
今みたいに新宿に女性部屋があるわけではない。
あったとしても集団就職で出てきた少年に通えるお金があるわけではない。
押し入れの行李(おお、懐かしい)には彼の女装道具一式が詰まっています。
しかし、それを取り出してお化粧してブラやパンティをつける機会はないのです。
そしてお正月。
新年朝の宴がおわり、同室の先輩は帰省すると言って出ていきました。
これぞ千載一遇のチャンス。
良太クンはもどかしく、押し入れから宝物の入った行李を取り出したのです。
八百一の寮は静かだった。
みんな屠蘇酒でいい機嫌になって、外出して行ったのである。
良太の同室の関という二年先輩の人物は、幸吉たちと同じく帰郷するといって、帰って行った。
吾妻一太郎の家では、誰かが歌い、みんなではやしている騒ぎがつづいている。
〈やっと、一人になれた!〉良太は思った。
部屋の戸には内鍵はない。
良太は、板戸に簡単な、つっかい棒をしてから、押人れの戸をあけた。
行李をとりだす。
その中には、上京して以来、良太がこっそり集めて宝物がはいっているのであった。
盛岡で買った真紅の婦人靴。
トルコ嬢になった春江のブラジャー。
田村夫人の家から、こっそり失敬して来た水色のパンティ。
顔から火の出る思いをして買ったパソティ・コルセット。
スーパーで買い求めた肉色のストッキングもある。
そのほか、口紅だとか、化粧用具などもあったののだ。
相沢良太は、小さな鏡を相手に、せっせと化粧にとりかかる。
これは、われを忘れる時間だった。
なんといったらよいのだろう。
鏡の中の自分が、少しずつ変貌してゆくのが、たまらないのである。
大袈裟にいうと、ゾクゾクして来る。
胸が高鳴り、ある部分が火のように火照ってくるのだった。なぜなのだろうか。
女装趣味の者は、ナルシストであるといわれる。つまり、自分で自分の美しい姿をみて、恍惚となる傾向の人をさす。
よく、銭湯などで、鏡の前に倣が、飽かず自分の裸姿に、見惚れている人がある。
特に、女性には多い。
あれは、ナルシズムの現われなのであった。
化粧が終る。うっとりとなった。
睫毛が病的に長いので、本当の女のようにみえる。毒々しいまでに濃い口紅。
「あたし、女なのよ……」
良太は、満足そうに声に出し呟く。
スカーフがないので、ナイロソの風呂敷を頭からかぶり、前髪を垂らすと、安酒場のホステスみたいな感じになった。 、‐
新品のナイロソ靴下の、セロファンの袋を破る。
脛毛はない方であった。前に靴下を伝線させたことがあるので、アカギレの指に注意しながら、ゆっくりと穿いてゆく。
その時には、男性自身はすでに、いきり立っていた。パンティ・コルセットを穿く。
これも新品である。
しかし、靴下の留め方がわからなかった。良太は焦った。
実際には、コルセットの裾に、小さな金具を通して、靴下を留めるのであるが、良太は慌てて買ったから、その付属品を貰うのを忘れて来たのであった。真紅のハイヒール。良太は、それに頬ずりしたり、チュッとキスしたりした。
股間は、大きく揺れている。
靴を履いた。立ち上る。畳の上だから、ふわふわして立ち上りにくい。立つと、ストッキングが弛んで落ちてくるのである。
良太は、もう我慢できなくなっていた。立つことを中止して、畳の上に坐って、脚を投げだした。
そして、田村夫人の水色のパンティを手にとった。それは、洗濯しない前のものだった。
何日聞か穿いていたらしく、その部分は変色して、異臭を放っている。
女装しているにも拘わらず、女性のパンティの異臭に昂奮するこの心理。
それでいて、良太の頭の中には、太いペニスが揺れ動いているのであった。
なんとも奇妙な話ではないだろうか。良太は、パンティを鼻にあてがいながら、右手を使った。
白いものが、弧を描いて、空中に飛んだ。 ’
〈ああ……〉良太が低く呻いた瞬間、廊下を歩いてくる足音がした。
彼は、身を竦ませながら、板戸の方を眺めた。
どうしたことか、突っかい棒が、はずれている。
〈ああッー〉と、良太が叫んだ瞬間、足音が止まって、ガラリと板戸があいたのだ。
「あッ、いけない!」
良太が叫ぶのと、同室の関が、呆然と目をみはるのとは同時であった。
出所『流れ星の唄(下)』梶山季之著
全然話は違いますが、これを読んで1969年のお正月を思い出しました。
家族そろって新年を祝い、お雑煮を食べる。
商店もみんな店を閉めて人も歩いていない。
昨日の大晦日の喧騒が嘘のように町が静まり返る。
静かな静かなお正月。
そして午後には初もうでに晴れ着の女性が行きかう。
私の子供の頃のお正月はどこもそうでした。