『ジュリーがいた 沢田研二、56年の光芒』 島﨑今日子著、文藝春秋社、2023年
高度経済成長のまっただ中、誰もが「明日はよりよくなる」と信じることができた時代。
一九六五年、一人の少年がマイクを握った。
その瞬間、彼の運命は、芸能界の歴史は軌道を変えた――。
ザ・タイガースの熱狂、ショーケンとの友愛、
「勝手にしやがれ」制作秘話、
ヒットチャートから遠ざかりながらも歌い続けた25年間……。
バンドメンバー、マネージャー、プロデューサー、
共に「沢田研二」を作り上げた69人の証言で織りなす、圧巻のノンフィクション。
私は本を読むのが速い方ではありますが、今週はこの本をずっと読み続けていました。
正に骨太のノンフィクションであり、ジュリーを通して、昭和という時代を振り返ることができました。
島崎今日子氏の幅広くそして深い取材力に敬意を表します。
「本は大好き、書評は苦手」な私なので、あまり気の利いたコメントはできませんが、京都の少年たちが集り結成したバンドが音楽を歌謡曲を変えていくヒストリー。それは中学から高校にわたっての私の心のなかを思い出すことでもありました。
この本のなかで最も印象に残ったのは、ジュリーがさいたまスーパーアリーナのコンサートを30分前に中止にした出来事を描いたときの島崎氏の文章です。
六十六公演あった古希ツアーの最中、さいたまスーパーアリーナの公演が開演三十分前に突如中止となったのである。 会場は大混乱となり、翌日、沢田が自宅近くで記者に囲まれ、契約した動員 数が守られずに自らキャンセルを決めた。 責任は自分にあると陳謝した。
「客席がスカスカの状態でやるのは僕にも意地がある」 十一日前に沢田が暮らす街の横浜アリーナで公演があり、多くのファンがそちらに向かったことが集客に響いたと言われている。メディアが殺到して批判が起こり、大騒ぎになった。だが、 観客の九割を占める女性ファンは冷静だった。 多くの人はジュリーの元気な姿に胸を撫でおろし その意志を尊重した。
音楽は記憶装置である。「キャー!」と叫んだその日から時代時代のジュリーを追いかけ、自分の人生を投影しながら日々の活力としてきたのだ。 沢田研二への絶対的な愛は、揺るがない。 こうしたファンの姿を揶揄する芸人やコメンテーターもいたが、幸福な信頼関係に想像が及ばないのだろう。
音楽は記憶装置である。
自分の人生を投影しながら日々の活力としてきたのだ。
その通りです。
これはジュリーだけではありませんね。
例えば、
18歳、高校生の日曜日、ロイ・ジェームスのラジオ番組で聴いた曲。
22歳、大学の友達といった中野サンプラザ。
28歳、彼女とデートとした厚生年金。
35歳、残業続きだがこの日だけはとチケットを握りしめて、九段下から坂を駆け上り、田安門をくぐって飛び込んだ武道館....。
そのときに聴いた曲、ステージのパフォーマンス。
このようにその曲を聴けば、その時の人生の一コマを鮮明に思い出すことができます。
逆にいえば、人生を投影できるアーティストを持てたことは幸福なことなのですね。
そして、このブログのご愛読いただいてる方にとっては「女装は記憶装置」ではないでしょうか。
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