(2010.10.3 十六橋水門:左側と十六橋:右側 会津若松市/猪苗代町)
10月2日は“P君”のマシントラブルで伊王野(いおうの)を断念し、御霊櫃峠(ごれいびつとうげ)で電動アシストの“リアルストリーム君”と遊んでしまいました。
そして10月3日のきょうは家庭の日。まずは知人から教えられた真っ赤な看板が鮮やかな郡山市の“サンキ”へ。ここは衣料品の店、ひととおり物色したけれど、とりわけ欲しいものは無し。100円ショップより安い95円コーナーがあってボールペンを2本買いました。ハハハ
“ワイフ君”と、さて次は何処へ行こうかということになり、本当は雨だったはずがこんなにいい天気になった記念に、御霊櫃峠へ向かうことにしました。車の後ろには修理の終わった“P君”が積んでありますが、きょうはわたしたちと一緒にドライブさせてあげるだけ。まずは御霊櫃入り口の高篠山(たかしのやま)森林公園をかすめます。駐車場のヤマボウシには赤く熟した実が沢山なっていて、試しに食べてみるとネットリした食感で柿に似た甘さがありました。
御霊櫃の途中ではパラグライダー。適当な風があってわたしには良さそうに思えるのですが、いい風をつかまえるのがなかなか難しいみたいで、残念ながら私たちが見ている間にはとうとう舞い上がってはくれませんでした。
下界に黄金色の田んぼと遠く郡山の市街地が見えます。とにかく気持ちのいい天気になりました。
日曜日のきょうですから御霊櫃頂上はさぞや沢山の車でごった返しているのだと思いきや、驚くほどのガラガラ状態でした。
ここまで来たら次はもう絶対猪苗代湖(いなわしろこ)です。
湖畔の道路を反時計回りにぐるっと回って志田浜(しだはま)から国道49号線を走っています。磐梯山(ばんだいさん)の頂上にかかった雲が「噴火の煙みたいね」ですと・・・。「ホントにそんなふうに見えるな」なんて言っているわたしがいたりします・・・アハ。
遊覧船発着所に到着。日曜だっていうのに亀丸も白鳥丸もじっと停泊中。
子供達がまだ小さかった頃、ちょうどこんな風にして亀丸に乗ったことがありましたっけ。あれからもうすぐ30年か・・・。
湖面に目を移すと、あやや!湖なのに波立ってなにやら海みたい。風が少々あるせいです。
国道49号線、銀の橋を渡ったところに『十六橋(じゅうろっきょう)水門』への案内板がありました。そして、細い道路を少し進んだところにそれはありました。
敷地内には安積疏水(あさかそすい)事業を指導したオランダ人の土木技師“ファン・ドールン”の銅像や、
猪苗代湖水利事業の作振に貢献された安積疏水土地改良区初代理事長“渡邊信任(わたなべのぶとう)翁”の頌徳碑(こうとくひ)などがあります。
この橋が十六橋。そして左手に見えるのが十六橋水門です。
これが十六橋水門です。今回初めてここを訪れましたが、わたしは今まで十六橋水門とは水門と橋が一つになったものだと思っていました。
ほら水門はちゃんと16まであります。水門を越える橋が16つながって十六橋というんだと思っていたのです。後で分かったことですが、1880年(明治13年)安積疏水事業で完成した十六橋は橋と水門がひとつになったものでした。その後、1914年(大正3年)猪苗代水力電気株式会社が水力発電所の建設に際し、水利調節のため電動式ストーニーゲートに改築した際、道路と水門の分離のために新たに十六橋が架けられた<ウィキュペディアより>のだそうです。様々な資料において、この十六橋と十六橋水門を混同し、誤った表記がされていたりするので要注意です。
これが猪苗代湖から流れ出る唯一の川、日橋川(にっぱしがわ)にかかる現在の十六橋です。旧会津街道にかかるこの十六橋では、戊申(ぼしん)戦争において母成峠(ぼなりとうげ)を突破した新政府軍が会津に攻め入るために大攻防戦が繰り広げられたそうです。その当時の十六橋は石積みの橋で、会津軍は新政府軍の進路を絶つべくこれを破壊しようとしたのだそうですが、頑丈な橋のために間に合わず橋を奪われてしまったということです。歴史に疎いわたしの説明では少々怪しかったりしますので、詳しいことは“十六橋、戸ノ口原(とのくちはら)古戦場”などで検索してみてください。
ここは猪苗代湖から流れ出た日橋川が、磐梯町(ばんだいまち)を抜けて喜多方市(塩川)へ抜けようというところにある『東京電力猪苗代第四発電所』です。
綺麗な猪苗代湖の水が満々と流れています。
そしてこれがその下流。喜多方市(塩川)を流れる日橋川です。堰で真っ白に泡立つ水がたまらなく綺麗でした。
ところで、郡山方面に流れるのが安積疏水なのに、会津方面に流れる日橋川にかかる十六橋水門がなぜ安積疏水なのか不思議でなりませんでした。じつは安積疏水に無節操に水を流してしまえば日橋川に水が流れなくなってしまい、反対だと安積疏水に水が流れなくなってしまうというようなことになってしまいます。猪苗代湖の湖水面を調節して一定に保ち、これを両方に適量流すために安積疏水事業の一環として最初にこの十六橋水門が造られたからのようです。違っていたら教えて下さい、何しろわたし、こういうことには滅法疎いのです。
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この水で18年間育ててもらったんですから。
中条正恒さんの像は開成山大神宮の南端にあります。
由来なども書いてありますから,ぜひ訪ねてみてください。
ああ御霊櫃峠,ゆっくり上りたいよ~。
・車の少ない「御霊櫃峠」、いいな~、そのうち行って見たいです。
・「橋」ひとつにも、いろんな「歴史」があるんですね。
花の名前教えて戴きましてありがとうございました。
さすがkojiさんですね。
そしていつも、ダイナミックかつ繊細な写真を楽しませてもらっています。
今回の水門の写真なんかは、先日の只見湖の水門を思い出しますね。
私も来週は1年振りの出張です。
昨年は福島県の二本松市など渡り歩き、智恵子抄の生家が印象でした。
今回は宿泊が新潟県南魚沼郡石内駅ちかくの丸山温泉らしいです。そのまま奥只見へ行くことはありませんがまたダイナミックな風景が見られる所と思います。
あくまで仕事です。(泣)でも温泉は入ります。(笑)
この場所は話には聞いていたのですが、安積疏水のファン・ドールンがどうして会津側にいるのかと思っていましたら、このような事情があったのですね。
安積原野開拓といい、安積疏水といい、いままで全く不勉強だったために分からないことだらけなんです。“ケンヂさん”に教えて戴いた開成社創設の祖中條政恒もしかり、このような方々がいなければ安積疏水もなかったのですよね。
★中條政恒(なかじょうまさつね/1831~1900)安積原野開拓の功労者・福島県典事。米沢藩士の長男として生まれる。
御霊櫃も十六橋も本当なら自転車で訪れてご紹介をしたいところでした。地元のこと、自分も少なからずお世話になっていることなのに、不勉強で分からないことだらけなんです。
出張ご苦労様です。“masamicchiさん”がこの周辺を移動されれば、そのほとんどは自転車で通過されたことのあるところではないでしょうか。“masamicchiさん”の写真にあった奥只見、とても魅力的で行ってみたい所です。