休日は風を切って

休日は自転車に乗って風を切って、そんな生活をずっと続けていけたらと思っています・・・

みなさんご無事ですか(東北地方太平洋沖地震)

2011年03月14日 | Weblog

(2011.3.12 本宮市)

とにかく大きな地震でしたが、これほど多くの犠牲者が出てしまうとは思いませんでした。幸いにしてわたしの周りに犠牲者は出ませんでしたが、テレビの報道で次第に増えていく犠牲者の数を目にする度に心が痛みます。



防波堤を越え一気になだれ込む大きな津波に、押し流される漁船やおびただしい数の車。そして軋みながら流され、壊され、飲み込まれていく家々・・・。テレビから流れているのは現実のとても恐ろしい映像。度々変更され“マグニチュード9.0”と発表された今回の『東北地方太平洋沖地震』。報道関係では“東日本大震災”とか“東北関東大震災”とか呼ばれ、犠牲者の数は最終的に1万人を超えるのではないかと発表されています。



3月11日、会社での仕事も最後の追い込みというときに、突然の大きな地震。でも今回のは今までのとちょっと違うと思いました。揺れが一向に止まない、しかも次第に大きくなっていく。何かにさわっていないと立っていられなくて思わず机に両手をつきました。窓から見える遠いビルの窓ガラスがきらきら輝いて、他のビルもかなり大きく揺れているのが分かりました。どこが震源地か分からないけれど、ここでこの大きさなのだから震源地は相当ひどく叩かれているだろう様子が目に浮かびました。



地震後帰宅指示がだされ、とりあえず福島駅へと向かいました。しかし、駅舎内は危険だということで完全封鎖されていたのでした。停電の市内を一泊覚悟で再び会社へ引き返しました。会社へ着くと同僚が、「娘が福島の勤務先から車で帰るので同乗出来るよ」と声をかけてくれたのです。

停電でところどころ信号の消えた市内は、一斉に帰宅する車で大渋滞。しかも国道は土砂崩れで通行止めということです。急遽ローカルまわりに変更しましたが、地震による液状化現象というヤツのせいでしょうか、道路は所々で片側通行となりこれまた渋滞しているのでした。しかしながら、こうして同僚とその娘さんに助けられて、無事わが家に帰宅することができたのでした。



停電のわが家では、度々襲い来る余震におびえながらも、棚から落ちたものを片づけながら家族が帰宅を待っていました。停電は次の日の夜7時まで続きましたが、なんとか少し片づいた家でようやくテレビが見れるようになりました。大地震と大津波、これはまさに未曾有の大惨事。本当にひどい状況が次々と明らかになってきます。

さらに追い打ちをかけるように、福島第一原発と第二原発の炉心溶融と周辺住民の避難騒ぎ。電力会社が今まで幾つものトラブルを隠しながらも、『安全、安全』と宣言していた“ウソだらけの安全神話”は、いとも簡単に崩れ去ってしまいました。ただこの由々しき事態を関係者の英知と勇気で無事乗り切って、避難した方々が再び故郷へ戻れるようにして欲しいと祈らずにはいられません。ああ、それにしても惨いことになってしまいました。



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23 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
無事 (玉井人ひろた)
2011-03-14 19:27:39
無事でしたよ
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“玉井人ひろたさん” (koji)
2011-03-14 19:42:26
ご無事でなによりでした“玉井人ひろたさん”。それにしても怖い地震でした。ここは津波の心配が全く無いところですからいいのですが、津波がこんなに怖いものだとあらためて思い知らされました。あとは原発が最悪の事態を免れてくれればいいと祈るだけです。
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ぶじですが (ききょうや)
2011-03-14 21:11:07
こんな状態とは思いもしませんでした。
大変な状況ですね。
同じ福島県ではありますが、会津は被害が無く、その物差しで測っていました。
お気をつけ下さい。
いつかまたご一緒できる日が来ることを願います。
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“ききょうやさん” (koji)
2011-03-14 21:51:46
ご無事で良かったです。
ここは本宮市内でもとりわけひどいところだと思います。土盛りした場所ですからあの地震にはひとたまりも無かったんだと思います。中通りも会津方面も被害に大差は無いのだと思います。津波で被災した方々には誠に申し訳のないことですが、どちらも海から遠く離れていることが幸いでした。
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kojiさんの画像で (ケンヂ)
2011-03-14 21:57:41
宮城とは別な惨状がわかりました。
余計に悲観するのは誰にも何にも益することがないので,冷静に見るようにしています。
今はただ宮城も岩手も福島も,地震の被害にあった方々が,早く平穏な生活を送れるよう,祈っています。

気持ちだけは郷里に赴き,何かしらの手伝いをしたい気持ちで一杯です。
でも今は我慢。復旧や原発制御のプロフェッショナルが活動する妨げにならないため。
ボランティアが出る幕まで,体力と気力を温存します。
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今時原発事故について(MIT研究者Dr. Josef Oehmenによる福島第一原発事故解説CommentsAdd Stark-takahashi (purple)dacho_rider (green)tittea35otsune このエントリーをはてなブ (ケンヂ)
2011-03-14 22:16:40
文系の私に,とても安心感を与えてくれました。
こんな説明を福島県民は待っているのです。
いろいろな人に広めましょう。

http://blog.livedoor.jp/lunarmodule7/archives/2406950.html
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本当に (ロンリーH)
2011-03-14 22:18:16
酷い状況です。
我が家と店の片付けも終わり三春店は通常営業にこぎつけました。
食品業界に携わる私ですが今回ほど人の役に立てたと思ったことはありません。
ただし燃料不足が配送にも影響が及びそうなのでもしかすると商品供給が出来なくなる可能性があります。

先月まで仙台空港周辺にいた私ですが岩沼西店の仲間と連絡が取れないのが心配です。
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“ケンヂさん” (koji)
2011-03-14 22:20:40
写真の場所は偶然にもわたしの実家の付近でした。わたしの実家の入り口の道路も驚くほど陥没して車の出入りも出来ないほどでした。他にも似たような場所はあろうかと思いますが、それでも電気が戻った今、この辺はごくごく普通に生活できています。
今回の長い地震では地盤の弱いところは液状化現象とやらでみんなダメになったのではないでしょうか。この寒空に暖かく明るい家と無事な家族が揃っているだけで今は十分です。
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“ロンリーHさん” (koji)
2011-03-14 22:46:08
このような時、困っている方々のためにお店を開けるということが、いかに大変な事かよく分かります。ご自分の家の片付けもそこそこに、お店へ出て働くスタッフの方々には本当に頭が下がります。
わが家も停電には本当に参りました。やっと電気が戻って炊飯器でご飯も炊けました。冷蔵庫の食材が無くなったらお店に行くしかありませんが、“ロンリーHさん”のおっしゃるように巷ではガソリンが手に入りにくくなっているようです。
連絡の取れないお仲間の方の安否が気がかりですね。わたしの知っている名取りのサイクルセンターのあたりも惨憺たる状況なのでしょうね。
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つぶやき古道 から来ました (くぽ)
2011-03-15 14:14:24
うちの姪っ子、本宮二中なんです(姉夫婦の家が旧四号線沿いのところです。)一応メール交換はしたけど、姉は枡記念病院の看護婦なので家にいません。幼い妹2人を面倒見てる訳ですが心細いと思います。
私の実家は旧白沢村です。屋内避難指示が30キロになり、船引町が引っかかってます。白沢は隣ですので非常に心配です。風に乗るというよりも放射能は距離の問題なので…。
お互い頑張りましょうね。ガセメールが蔓延してるので気にせずにお過ごしください。
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