自分らしいお葬式やお墓を考えましょう。

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新聞記事

2019-03-03 09:10:19 | 日記
 しばらくブログに向かい気もおこらなかったことがあります。関心のある方は、下記のインターネットを開いてみてください。

  www.asahi.com/articles/ASM2F6S6MM2FPTFC014.html

 セクハラやレイプの被害とは違いますが、被害者であったことは間違いなく、なかなか次の行動を決心することができませんでした、昨年11月末から約2ヶ月間を要しました。少し被害者の気持ちを理解することができたかと思います。それでも、行動を決意させたのは、友人や仲間です。グチを聞いてもらえる人がいることは、ほんとうにありがたいことだと、改めて感じました。


 さて、「朝日新聞」2月23日のbe report 「お骨の行き先」をご覧になった方はいらっしゃいますか。土曜日のこの欄を見る人が少ないのを知りました。わたしの周りで「朝日新聞」をとっている人が多いのですが、たった一人しか気づいてくれませんでした。書いてくれた記者を紹介してくれた本人さえ気づかなかったです。
 汽車の林るみさんは、お墓などまったく関心がなかったのですが、昨年東京で行われたわたしの本の出版記念会に紹介されたから、ある意味仕方なく参加して、わたしの「つれあいの遺骨を拾わなかった」発言に関心をもってくれ、記事にしたいと思ったそうです。
 その記事で紹介されているように、「墓じまい」が多くなっている現実は、過去の「家」を中心にした社会から「個」へのかたちをもつ家族関係に移行したからです。どれだけ「個」の関係になっているとはいえ、それも都市部からであり、地方へいくと、まだまだ「家」は強いところもあります。人間が生まれ、死んでいき、残るのが「遺骨」だからです。「遺骨」をゴミのように扱えない人間の心が、さまざまな問題を生んでいるのです。
 記事で紹介されていますが、金額が出ていないので、もっとも安い納骨でもお金がかかる問題が必ず残ります。浄土真宗の住職が行っている安い納骨堂でも85万円です。85万円を出せる人はそれをやればいいでしょう。お金を持っている人は、お金で解決できます。孤独死の人の身元がわかっても、その人が遺骨を引き取らないのは、お金の問題があるからでしょう。そして、粗末に扱うことができないし、その後のことも関係があるのでしょう。生活保護を受けている人が、ギリギリの生活から、遺骨の世話になるお金を貯めていたという話を記者から聞きました。それだけ、遺骨は厄介な問題となっています。
 わたしのやり方が紹介されていますが、わたしはお金の問題もさることながら、死んだあとの遺体をどう考えるという根本的な問題をこれから考える必要があると思います。日本の長い間は土葬だったので、遺骨に対する思いはこれだけ深く考えたことがないです。土葬のときに、お墓参りもしていたし、お墓が大事という考えもあったでしょう。
 ここで、親鸞の思想を考えることは大事ではないでしょうか。「死んだら賀茂川に流し、魚のエサにしてくれ」と遺言した親鸞にとって、遺体がどんな意味をもっていたか、おわかりでしょう。わたしは、宗教者である親鸞のここに感銘を受けます。だから、つれあいともども、元気なときからお互いに相手の遺骨をひろわないと決めていたのです。
 親鸞の思想を広めるのにはどうしたよいのか、いい案が浮かびませんが、今後のわたしの課題としたいと思います。

 新聞記事によると、「お骨を一切拾わない」選択を可能としない都道府県があるのが気になります。ここからも変革の必要があります。
 この問題の根は深いし、変革の可能性は少ないし、ほんとうに困難な問題であることは、事実です。


コメント
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