ユッコ姉の日記

日々思うことをタリラリラン♪っと・・・。

主人・・・(命の恩人 1)

2006年05月16日 08時19分06秒 | 主人・・・
いつも主人に対する不満ばかり書いているので、たまには良い事も書こうと思う。

もう、6年ほど前の夏の事だ。
私達家族は、私の祖母の家に行っていた。山奥の小さな村。
私たちは近くの川へ水遊びに出掛けた。
細い二本の川が1つに合流する橋の下は、一部深くなっている場所がある。(深いといっても、3メートルくらいだ。)
その場所は村の子供たちの遊び場であり、
私も子供の頃から祖母の家に来ると必ず遊ぶ場所だった。
いつの間にか遊んでいるのはウチの家族だけになっていた。
私が川の中を泳いでいると、子供が「僕も行くー。」「私もー。」と言う。
息子はこの夏スイミングスクールで200mの検定を合格していた。
娘は、25mが泳げるようになったところだった。

私は水の中で立ち止まって、
「ここは、チョット深いからダ・・・・・」 
私は、水中に沈んでいた。
私は元水泳部だったし、ましてやここは、小さな頃から何十回も来ている慣れ親しんだ場所である。
(あらやだ、流れで深みに足をとられたんだわ。 やあ~ねえ、私とした事が。)
そう考えながら、のんびり浮かび上がった。

ここまでなら、なんてことのない出来事だったのだ!
顔が水面に出た時、自分の血が凍りつくのを感じた。
自分の子供が2人、目の前で溺れている!
瞬間、頭の中に「二人は助けられない!」という言葉が走り、私はパニック状態におちいった。
(1人なら何とかできると考えていた。)

それでも私は、子供2人のお尻を後ろから交互に何回も川岸へ向かって押した。
でも、流れが邪魔をして思うように進まない。
主人は一番下の子供と川岸で遊んでいる。こちらには気付いていない!

水面から手を上げて、「あなた、たすけ・・・」そう叫ぼうとした時、私は大きく水を飲み、再び沈んだ。
遠のいていく意識の中で、
(あーこのビーチサンダルじゃまだなー。でも今脱いだら流れていっちゃうよな~)
なんて事を考えていた事を覚えている。

主人のいる川岸から、わずか2,3メートルしか離れていない。
でも、私の声は川の流れる音に吸い込まれ、主人には聴こえていなかった。

この続きは、また明日・・・。


それから・・・(追加)

2006年05月16日 08時15分57秒 | 私の病気・・・
手術前にした事で、周りの人々と会うことの他にしたことがあったので追加です。

1つは、お金の整理。
あちこちにいくつもあった家用の口座を整理し、まとめました。
主人にも分かりやすいように、説明書き付きで準備。

自分の預金も整理しました。
とりあえず、死ぬ事は無い筈ですが、私自身がどうなるか分からない以上、
(最悪、体が不自由になったり、記憶が無くなったり等を考えました。)
私にもしもの事があった時はどうして欲しいかを書いた紙を通帳にはさんで、
子供達の通帳と一緒に妹に預かってもらいました。
(情けない話ですが、ここで私は主人を信用していませんでした。
主人の実家は子供の預金を平気で使い込む家だったので・・・)

2つめは生命保険です。
よりにもよって、私は病気が分かる8ヶ月ほど前に生命保険を切り替えたばかりでした。
保険に入る時、顔の痺れがあった事は話してありましたが、担当者は問題ないと言っていたのですが・・・。
私は、うそを言った覚えはありません!。
この頃は、医者にかかっていた訳でもないし、実際痺れは治まっていた時期でした。
また痺れが始まるとは思ってもいなかったし・・・。
だいいち、保険を変えた事で、入院日額は減っていたんですから・・・。
(あのまま、前の保険に入っていれば良かったなーと、後で少し後悔しました。

でも、入ってからまだ一年も経っていないので、
もし、何も出なかったらどうしようかと、とても心配でした。
電話して問い合わせると、担当者はすでに会社を辞めていた。(オイッ!

でも、の対応をしてくれた人はとても良く話を聞いてくれて、
ちゃんと、入院や手術でお金が下りることになりました。
いい保険会社で良かったー。

3つ目にしたことは、
私がもし、死ぬような事になったら、連絡して欲しい人の一覧を作りました。
名前と連絡先の一覧を書きながら、
あらためて自分の人間関係を振り返ることになりました。

大袈裟ですかね?
でも、今まで極めて健康で、初めての入院が頭の手術、という私にとっては
最悪の場合を考えて準備しておく必要があったんです。
こうした準備をしながら、少しづつ自分の気持ちを固めていく必要がありました。