今日は文化の日、昔は明治節でした
17歳で早世した夫の長兄は11月3日に生まれました。
旗日で日の丸が各戸に掲げられているのを見て、幼い頃
みんなが自分のためにお祝いの日の丸を掲げてくれている
と思ったそうです。
姑はさも愛おしそうに話してくれました。
私は何回聞いても可愛いな~と言っていました。
3人兄弟で一番頭が良くて、可愛らしくて、
気立てが良かったそうです。
夫は早く死ぬとみんなそうなるんだと言っていました。
仏壇の写真を見ると、少し悲しげな優しい面差しを
しています。
いま生きていたら93歳になります。辰年です。
命日が7月20日。
二番目の孫が辰年、誕生日が7月20日です。
不思議な巡り合わせです。姑が生きていたら、
生まれ変わりだ。と言ったかも知れません。
あの世で両親、3兄弟楽しく過しているでしょう。
私がお邪魔したら悪いかしら。
お誕生日のケーキまた私の好きなフルーツタルトを
買ってしまいました。
同じ写真です。
17歳で早逝、あまりにも若過ぎますね。
やり残したことがたくさんあったでしょうに。
お供えのフルーツタルト、きっと喜んでくださいますよ。
「おいしい!おいしい!」と言ってひとりでぺろって食べてくださったと思います。(*^▽^*)
でもこればっかりはね。
今、生かされてる私達は精一杯生きなければですね。
フルーツタルト、おいしそうですね。
義兄は中学生(旧制)の時、軍事教練を受けているとき、真夏の暑さで倒れました。
いまの熱中症でしょうか、昔は脳膜炎と言っていました。重症で大学病院に入院していました。
舅が一関に転勤になりましたが、義兄は仙台の
大学病院に残りました。
姑がどうしても一関に連れてきたくて、迎えに行きました。
7月10日仙台は大空襲をうけました。
もし仙台にいたら、助からなかったでしょう。
助けに行った祖母、伯父も危なかったと思います。
7月20日、愛国少年だった義兄は。
敗戦を知らず亡くなりました。
愛国少年だった義兄は、敗戦を知らず、亡くなりました。
小学生の頃書いた、教育勅語を舅が大切に持っていました。戦時中の紙でボロボロでしたが、
プロに額装して貰いました。
仏壇の脇に飾りました。
夫は下手くそな字だな、なんて言っていましたが。
じっと見ていました。