続強子の部屋

思いつくまま、気の向くまま、書いています。

野蒜の海の小野さん

2016-03-12 21:37:11 | ひとりごと
幼いころから夏は稲毛の海の近くの家を借りて、姉妹で過ごしていました。農家の離れのようなところでした。
高校の頃は鎌倉葉山逗子にも行きました。日焼け競争をしていました。
 結婚して子どもたちを連れて館山に行ったとき、夫が砂が黒いなあ~と言いました。
えっつ? 野蒜の海の砂は肌色だ、と言うので夫の実家に帰えったとき、義父と一緒に野蒜の海に行きました。
夫は小さい頃、秋保の温泉、野蒜へ、御祖父さんに連れられて一族で出かけていたそうです。
義父はとても喜びました。大高森へ行き。野蒜の民宿に2泊しました。
海の砂は、本当に綺麗でした。宿にはおかみさんの小野さんと、お祖母さん、元気な三歳一歳の男の子がいました。
お父さんは遠くでお仕事をしているようでした。
暖かい雰囲気で、それから三年連続遊びに行きました。静かで、綺麗な海でした。釣りをしたり、奥松嶋めぐりの
観光船に乗って、楽しみました。息子が釣った小さな魚をお祖母さんが美味しく煮てくれました。
次男が熱を出して近くの診療所で優しい先生に診ていただきました。
息子たちも受験、部活で忙しく、義父も亡くなり、だいぶ後に夫と二人で小野さんのお宅に行ってみました。小さかった坊やたちも、
野球の練習でいませんでした。おかみさんはゆったりして以前と変わらずにこにこしていました。今はどうしていらっしゃるかな、
震災直後、PCで探しました、中学校に避難していたことが分かりました。連絡は取れませんでした。
どうしていらっしゃるかな。と思うだけで何にもできない私です。どうかお元気で

東京大空襲

2016-03-10 18:46:36 | ひとりごと
忘れられない日、あの日はなぜか洋服を着たまま寝ていました。
母に起こされ眠いまなこに映ったのは、家の前の通りを大きな火の粉が飛んでいたことです。
近所を家を消しに回っていた、次姉と父がもう駄目だ、と言ってみんなで逃げる支度をしました。
お父さんが戦地に行っているお隣の家族4人と逃げました。総勢10人です。父はリヤかカーを引いていました。
前にも書きましたが、江戸川区に住んでいたのに、江東区に向かっていたのです。小松川橋と言う
立派な橋があったのに、どうしたことでしょう。江東区に向かって橋を渡ったら、こちらに向かって
逃げて来る人が、沢山いました。馬が狂ったように駆けて来ます。パカパカ・・・怖かったです
橋を渡ってから、土手伝いに逃げました。狂うような風の中船堀橋を渡リました。もうその時は橋の
欄干が燃えていました。橋のたもとで待機していた、警防団の人たちが避難場所に連れて行ってくれました。
もう少し遅かったら、橋がなかったよと言われました。助かったのです。
近くに母の従姉の家があることが分かり、しばらくお世話になりました。
お隣の小母さん、サダオちゃん、リョウコちゃん、ターボー、は小母さんの千葉の実家に行きました。どうしているかしら。
あの時なぜ江東区の方に逃げたのか、今でも不思議です。家から近くの神社の防空壕に避難していたのですが
熱くて、熱い熱いと叫んでいました。父と母はもう一度家に戻り、荷物を持ってくると言うのです。
私は、行っちゃだめだ、と叫びました。しばらくしたら、やっぱり駄目だと戻ってきました。
そして橋を渡ったのです。その時私は、だれの声も聞いていません。姉たちも止めたのでしょうか。
私だけが叫んでいたのでしょうか。今は夢の中の出来事のような気がします。

袋田の滝 三六亭さん

2016-03-06 19:05:50 | ひとりごと
もう20年ぐらい前になりますが、袋田の滝に行きました。夫がゴルフをしている間に
滝を見に行きました。凄い水量でびっくりしました。那智の滝、日光の華厳の滝、しか知らなくて、申し訳ないなんて
思ってしまいました。三六亭さんに行って、一休みしました。お昼食は他ですませたので、おでんを頂きました。
その時山椒の実の佃煮、きゃら蕗、こんにゃくを買いました。山椒の美は本当にぴりりと辛くて、気に入りました。
三回ほど行きましたが、それ以後は、電話で注文しています。母の好きだった有名佃煮屋さんより刺激的な味です。
今回は、山椒の実、きゃら蕗、こんにゃく、田楽味噌を頼みました。一昨日届きました。三六亭の女将、ナオさんお手製の蕗味噌、
梅干し、蕗の薹、お蕎麦が入っていました。うれしくて早速蕗味噌を頂きました。日本酒で乾杯

電話でいろいろお話しました。ナオさんのお母様も亡くなり、あの時一緒だった同僚の奥様も亡くなり、夫も旅立ちました。
でもお互いに、孫の話もできました。滝の周りも少し変わって、しまったそうです。そのうち行きたいと思っています。

お互いに元気に過ごせますよう、励ましあいました。

どうなの?

2016-03-05 16:03:30 | ひとりごと
読売の夕刊、発言小町で車内でのお菓子のことで意見が交わされていました。
どうなの?なんて。歴史の生き証人になりつつある私は、なんだか嫌な気持ちですが、よほどお腹が空いているか
病気で食べたくてたまらないのかしら、と思っています。以前はそんな人は少なかったように思います。
お菓子より、飲み物は心配です。こぼされたら怖い。

息子が幼いころ、お菓子をむしゃむしゃ食べている人がいました。息子がじっと見ているので、電車の中で食べるなんて
いけないね。と言ったら、息子はなんと ( うんほかの人が食べたくなっちゃうもんね ) と言いました。
可愛くて、笑ってしまいました。 
 

新社長さま

2016-03-04 22:01:54 | ひとりごと
新聞で新社長さま就任の記事が出ます。最近は知っている方が少なくなりました。
世代交代です。知らない方でも、私は、 おめでとうございますと、写真に言葉をかけます。
大変なお仕事ですが、頑張ってくださいと、応援の言葉をかけます。

夫は大会社ではありませんでしたが、世界に名を知られた会社の社長になりました。たくさんのお祝いの
言葉を頂きましたが、

わが家の近くのお寿司屋さんでは、Kさんのご主人社長になったんだってよ、とおかみさんが言ったら
ここにいるのはみんな社長だよ~  子会社の社長? 創業者の一族じゃなきゃ、社長になれないんでしょ
主人が言っていたわよ~ こんな会話が飛び交っていました。社長ってストレスがたまるんでしょ。

夫は頑張りました。先代の社長が出した赤字を一年で黒字にしました。立派でした。社員みんなが頑張ってくれたからです。
あの時は勢いがあったと言われます。
夫はいつも社員に感謝していました。

先日若い社長さまが、出ていました。その方のご両親とお祖母様と長江の視察でご一緒しました。途中で大学生のご長男に
お会いしました。その方が社長さんになられて、驚きました。私はお父様似の写真に向かって、大声でおめでとうを言いました。

息子がお世話になった上司の方も、社長さんになられて、私はとてもうれしくてたまらない気持ちです。
息子の会社では、結婚式の時最後に万歳をするしきたりがあって、息子の時も万歳!万歳!でした。

私も新社長さま方すべてに、万歳!万歳!