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2020年7月8日 阿川尚之氏「コロナ後の社会を担う若い世代へ」と吉田松陰の「留魂録」

2020-07-08 | これから大きくなるひとへ
200708_阿川尚之氏「コロナ後の社会を担う若い世代へ」と吉田松陰の「留魂録」

 阿川尚之氏の「コロナ後の社会を担う若い世代へ」は、2020年7月6日付け産経新聞より引用、
吉田松陰の「留魂録」は、奈良本辰也『日本人の旅人15 吉田松陰』p.141より引用


一、阿川尚之「コロナ後の社会を担う若い世代へ」

<前段、略>

 しかしコロナ後の世界が大きく変わるとしても、
変わらない、変えてはいけないこともあるはずだ。

世の中が変化に対応しょうと前のめりになっているのには、
多少の違和感がある。

 コロナであろうとなかろうと、人は多くの原因で毎日死んでいく。
2018年の統計によれば、日本人の年間死亡者数はがんが37万4千、
心疾患が20万8千、老衰、脳血管疾患、肺炎がそれぞれ10万前後。

ただしこれらの病気や事故は感染せず、
死者の90%近ぐが65歳以上である。

そのため大多数の人は個別の死を特段強く意識しなかつた。

人格、地位、年齢などに関係なく、
人が突然感染して死んでしまうという点でコロナは衝撃的であるが、
死は本来平等に訪れる。

歳をとれば順番に死ぬ。
この認識が、古来曰本人の死生観、宗教観を形成してきた。

 感染が多少落ち着いた今、人々はまた忙しくなりつつあり、
恐怖を忘れかけている。

ちなみに「忙」と「忘」という漢字は、
どちらも「心」と人の死を意昧する
「亡」という字の組み合わせからできている。

 若い人たちには、コロナ危機の経験から、
教科書では学べない多くのことを吸収し考えてほしい。

今元気でいることの大切さ。
変わらぬ伝統や記憶を受け継いで次の
世代に伝えることの重要性。

将来悲しく辛いことが起きても、
「強くあれ。雄々しくあれ。
恐れてはならない。おののいてはならな
い」(旧約聖書「ヨシユア記」)と古代の人が若者を励ましていること。

以上




二、奈良本辰也『日本人の旅人15 吉田松陰』p.141

 吉田松陰は、処刑の前日、『留魂録』を書いて残した。

 (その時、吉田松陰は、数えで30歳、満で29歳であった)

・・・・

私(奈良本辰也)は、五所川原に行く途中で松陰の『留魂録』の言葉を思い出していた。
死罪が決まって、それが明日執行されるという前の日に書かれたこの文章を、
私は素晴らしいものと思つているのだが、その中に、次のような一節がある。

・・・・

 『留魂録』より

 今日死を決するの安心は四時の順環に於て得る所あり。

  〔私は、今日、死刑を言い渡されたが、なにか、心の中では落ち着いたという気持ちだ。
  というのは、わたしにも「四時の循環」の最後の時が巡ってきたからだ〕

 蓋し彼の禾稼を見るに、春種し、夏苗し、秋刈り、冬蔵す。

  〔農業の収穫を例に取れば、春種をまき、夏植え、秋収穫し、冬それを蓄える〕

 秋冬に至れば人皆其の歳功の成るを悦び、酒を造り醴をつくり、村野歓声あり。

  〔秋・冬になれば、人は皆、作物の収穫を悦び、酒を造り、あま酒を造り、農村では歓声が聞こえる〕

 未だ曽て西成に臨んで歳功の終るを哀しむものを閬かず。

  〔私は、いまだかって、取り入れに臨んでその収穫を悲しんだという話を聞いたことがない〕

 吾行年三十。

  〔私は今年、数えで30歳になった〕

 一事成ることなくして死して禾稼の未だ秀でず実らざるに似たれば惜しむに似たり。

  〔仮に、一つも成果を残せずに、死んでゆくならば、死にたくはないだろう〕

 然れども義卿の身を以て云へば、是れ亦秀実の時なり、何ぞ悲しまん。

  〔しかし、私はいま短い人生において、実りのときだ。なんで悲しむ必要があろうか〕

 何となれば人寿は定まりなし、禾稼の必ず四時を経る如きに非ず。

  〔何となれば、人間の寿命は決まっていない。農作物のように必ず春夏秋冬のように定められた長さの時を経る、というはない〕

 十歳にして死する者は十歳中自ら四時あり。

  〔十歳で亡くなる者には、その短い生涯の間に「春種し、夏苗し、秋刈り、冬蔵す」があるのだ〕

 二十は自ら二十の四時あり。

  〔二十歳で亡くなる者にも、二十年で巡る四時があるのだ〕

 三十は自ら三十の四時あり。
  
 五十・百は自ら五十・百の四時あり。

 十歳を以て短しとするは蟪蛄をして霊椿たらしめんと欲するなり。

  〔十歳の人生は短いではないか、という人がいるとすれば、それは「蟪蛄」(ケイコ、「セミ」のこと〕に、「霊椿」(「レイチン」古木となり霊が宿った椿)のように長生きをせよ、というに等しい〕

 百歳を以て長しとするは霊椿をして蟪蛄たらしめんと欲するなり。

  〔百歳は長すぎるという者は、古木の椿に対し、セミのように短く生きよ、というに等しい〕

 斉しく命に達せずとす。

  〔どちらも、天命を全していない〕

 義卿三十、四時已に備はる。亦秀で実る。

  〔私は、数えで30歳となった。もうすでに四時(春種し、夏苗し、秋刈り、冬蔵す)は終わっている。収穫もあったと思う〕

 其の秕たると其の粟たると吾が知る所に非ず。

  〔それが、秕(シイナ。からばかりで実のないもみ)か、栗のように実が入っているものであるかは、私の知り得るところではない。

  ー私がいなくなった後、後世の人が判断してくれるだろうー〕

 以上


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