ゆうとたいへ

六十を過ぎて始めた自転車旅行、山登りをつづります

2021年10月6日 西田幾多郎 『善の研究』 岩波書店 1950年

2021-10-06 | 昼間のエッセー
211006_西田幾多郎 『善の研究』 岩波書店 1950年

 西田幾多郎の『善の研究』という本がいなかにあった。
 昔の人には人気があったようだ。
 今の人には読めないだろう。

 p.86
 <引用>
 普通では時間上の連続に於て先だつ者が能働者と考へられて居るが、時間上に先だつ者が必ずしも能働者ではない、能働者は力をもったものでなければならぬ。而して力といふのは實在の統一作用をいふのである。例へば物體の運動は運動力より起るといふ、然るにこの力といふのはつまり或現象間の不變的關係をさすので、卽ち此現象を連結綜合する統一者をいふのである。而して嚴密なる意義に於ては唯精神のみ能働である。
 <引用終わり>
 
 能動者:支配する側にいる者。 能動者は力を持ったものでなければならぬ。
 「力」:支配される側より優れた能力。
 「支配する」側を「統一者」という。
 普遍的関係:未来永劫変わらない関係。

 上記は言い換えれば、次のようになるのではないか?

 我々は、時間の中に生きている。
 時間は絶えず流れている。
 先に生まれてきたものが支配者とは限らない。
 支配者は力を持たなければならない。
 その力を生み出すものは「精神」だけである。

 さらにわかりやすくいえば、

 人に優劣があるとすれば、その基準は年齢ではなく精神である。

 しかし、こんな「当たり前のこと」を原文のように分かりにくく言って、いったい何がいいたいのだろうか? 

 以上
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