中国語のレッスンは、4人欠席。悪いけれどほどよい数です。
質問も中国語でします、あたくしはね。老師(先生)はわかって下さい
ます。ホーーー
お教室の戸締りをして鍵をかけて。
先生は自転車で。
「エッ大丈夫ですか?」
「大丈夫!今日はお天気が良いから」
交通量の多い、その上坂道も多い横浜市内ですから
「気をつけて下さい、ン?気をつけてって、何て言います?」
「シャオシン」
「小さい心、ですか?」
「そう」
ヨウコサンも、
「お先に失礼しますは、何て言いますか?」
「シェンシーリー」
「字は?」
「先のシェン、シーはン~、失うのそれ。リーは礼のリー」
「エーッ日本語と同じですね~?」
って、あたくしも。ヨウコサンも喜んでいらしたわ。
「そうなのよね~、普通よく言う言葉を覚えたいのよね」
って。
今の教科書にはないフレーズを積極的にお聴きします。
「今日もありがとうございました。では又来週!」
駅で、ヨウコサンが、
「今日は夫と飲みに行くのよ。もうすぐ来る筈なのよ」
「ここで待ち合わせ?それはそれは、いいわね。楽しんでね。再見!」
---まっすぐ帰ろうか?ン、おが屋(http://oga-ya.com/)へセニョール・
ダンが行くって言ってたわね~。---じゃ、ヨウコサンと同じに夫と飲み会
って事に。
営業時間前でしたからまだお客さんはゼロです。仕込み中の愚息その①に、
「お父さんは?」
「今、銀行へ行ってるよ」
「一人だって?」
「ううん、どなたかがいらっしゃるらしいよ」
「あっそう。じゃ、カウンターで」
常連のオオタサンがいつものようにいらっしゃいます。
「お忙しい?」
「おかげ様で」
「いいことだわ、じゃ、それに乾杯!」
近くの大学の学生さんがオオタサンのお仕事のバイト。
その彼とあたくしはず~っとおしゃべりして、
人生、生き方、考え方、感じ方、羨ましがられてはいけない。
尊敬されなきゃいけない、そんな子育ての話等など・・・
「あ~、僕が○○年後に生まれてたら、今のあなたに出会って・・・」
あたくしは、人の心の中に今でもなお滑り込めるって事なのかしら?
生きてきた結果がそこに表れたって事なのよね。
言葉は、発した人のものではなく、受け止めた人のものなのですから、
確かにあたくしの言葉は、若者の心の中に生きて入った。言葉が
生きたって事です。
生きるって、人と関わる事ですから、迷って悩んで、苦しんで、
批判的だったり。
でも、いつでも自分の目で、耳で感じる事、そして判断も他者を
生きてはいけないって、苦しむ悩む、未熟さも自惚れも何もかも、
面白がれる自分になったらいいわよって。ウン、大丈夫。自分を愛して
信じて、とことんそれをしたら、自分は絶対に裏切らないのよって。
「亀の甲より年の功」です。指図するのが大人の仕事じゃないのです。
眺めて、認めて、励まして、ちょっと知恵や勇気を上げるのが大人。
あたくしはそう思ってます。教えてやらなきゃ?偉そうにする事?
バカ!それはただ単にご飯の回数が多いって事じゃない!?
長生きしてきたから偉いなんて思ってる輩は、若者から見れば尊敬に
値しないって、どこかで見限ってる事を知らなきゃね。
若輩者は自分より劣るって、思ってる大人がいたら、あ~~
尊敬という言葉から遠い所に生きてるのよ。
夫はどなたかとグラスを傾けて、お話。その内引き上げました。
お馴染みのカラオケ居酒屋さんへ行くって。
帰りに寄って、かなり酔っ払っているセニョールの保護者みたいな
気分で、つかず離れずの距離で、千鳥足のセニョールと帰って来ました。
質問も中国語でします、あたくしはね。老師(先生)はわかって下さい
ます。ホーーー
お教室の戸締りをして鍵をかけて。
先生は自転車で。
「エッ大丈夫ですか?」
「大丈夫!今日はお天気が良いから」
交通量の多い、その上坂道も多い横浜市内ですから
「気をつけて下さい、ン?気をつけてって、何て言います?」
「シャオシン」
「小さい心、ですか?」
「そう」
ヨウコサンも、
「お先に失礼しますは、何て言いますか?」
「シェンシーリー」
「字は?」
「先のシェン、シーはン~、失うのそれ。リーは礼のリー」
「エーッ日本語と同じですね~?」
って、あたくしも。ヨウコサンも喜んでいらしたわ。
「そうなのよね~、普通よく言う言葉を覚えたいのよね」
って。
今の教科書にはないフレーズを積極的にお聴きします。
「今日もありがとうございました。では又来週!」
駅で、ヨウコサンが、
「今日は夫と飲みに行くのよ。もうすぐ来る筈なのよ」
「ここで待ち合わせ?それはそれは、いいわね。楽しんでね。再見!」
---まっすぐ帰ろうか?ン、おが屋(http://oga-ya.com/)へセニョール・
ダンが行くって言ってたわね~。---じゃ、ヨウコサンと同じに夫と飲み会
って事に。
営業時間前でしたからまだお客さんはゼロです。仕込み中の愚息その①に、
「お父さんは?」
「今、銀行へ行ってるよ」
「一人だって?」
「ううん、どなたかがいらっしゃるらしいよ」
「あっそう。じゃ、カウンターで」
常連のオオタサンがいつものようにいらっしゃいます。
「お忙しい?」
「おかげ様で」
「いいことだわ、じゃ、それに乾杯!」
近くの大学の学生さんがオオタサンのお仕事のバイト。
その彼とあたくしはず~っとおしゃべりして、
人生、生き方、考え方、感じ方、羨ましがられてはいけない。
尊敬されなきゃいけない、そんな子育ての話等など・・・
「あ~、僕が○○年後に生まれてたら、今のあなたに出会って・・・」
あたくしは、人の心の中に今でもなお滑り込めるって事なのかしら?
生きてきた結果がそこに表れたって事なのよね。
言葉は、発した人のものではなく、受け止めた人のものなのですから、
確かにあたくしの言葉は、若者の心の中に生きて入った。言葉が
生きたって事です。
生きるって、人と関わる事ですから、迷って悩んで、苦しんで、
批判的だったり。
でも、いつでも自分の目で、耳で感じる事、そして判断も他者を
生きてはいけないって、苦しむ悩む、未熟さも自惚れも何もかも、
面白がれる自分になったらいいわよって。ウン、大丈夫。自分を愛して
信じて、とことんそれをしたら、自分は絶対に裏切らないのよって。
「亀の甲より年の功」です。指図するのが大人の仕事じゃないのです。
眺めて、認めて、励まして、ちょっと知恵や勇気を上げるのが大人。
あたくしはそう思ってます。教えてやらなきゃ?偉そうにする事?
バカ!それはただ単にご飯の回数が多いって事じゃない!?
長生きしてきたから偉いなんて思ってる輩は、若者から見れば尊敬に
値しないって、どこかで見限ってる事を知らなきゃね。
若輩者は自分より劣るって、思ってる大人がいたら、あ~~
尊敬という言葉から遠い所に生きてるのよ。
夫はどなたかとグラスを傾けて、お話。その内引き上げました。
お馴染みのカラオケ居酒屋さんへ行くって。
帰りに寄って、かなり酔っ払っているセニョールの保護者みたいな
気分で、つかず離れずの距離で、千鳥足のセニョールと帰って来ました。