ミクロもマクロも

心理カウンセラーが気ままに書き続ける当たり前

2008-09-08 22:09:42 | Weblog

人(家族)に何かを頼むことは極力しない私です。
「自分で出来ないことはしないこと」って、ウチの宇宙人に言われた事も
ありましたが、子どもの頃からあまり人に頼まない子でした。
「レイコはもう歩かない!おんぶして~~~!」
これは、よく覚えている風景です。長姉はそれが背が伸びなかった原因と
言います(真偽の程は定かではありませんが)。

例えば、時々狂ったように雪が降り積もることがあるここ横浜の田舎です。
「男はいないものね~」って。ハイ、せっせと雪かきをします。唯一女の
私が。

自発的に状況を察知して援助しようとする心遣いがない人に、頼みません。
厭々か、仕方ないから なんて気持ちで何かして貰うなんて、あまり気持
ちのいいものではないのです私には。心のこもらないことは、要らない!
目配り気配りがない人は、員数外です。
その私が思わず、
「お願い!知らん顔しないで。もう、私にはどうしようもないのよ」
ガサゴソガリガリゴソゴソ・・・「?」
このパソコンが置いてあるかなり大きな机の奥下壁際で、我が家の神秘的
生き物が、大暴れをしているようなのです。ジョディと言う名の猫。
アメリカン・ショートヘアのメス。その気性の激しさと言ったら、
愚息その①が知人から貰ってきたのに、
「俺、イヤだよ。おっかないよ」
って。私と、動物大好き馬専科だけです、触れるのは。野生の猫科の類の
野性的、慣れたくはない気位の高さ、気ままな行動。

最近、そう、かれこれ10年はなるでしょうか、ウチへ来てから。やっと
家族の一員になった彼女です。
やっと私には抱かれるようになりました。
オー怖!よく抱けるよって、言われるほど、凶暴な彼女。彼女の脇を通り
過ぎる時、彼女の気分によっては、瞬間猫パンチを受けます。
「痛!やめてよー、おー痛い」は、未だにままあるのです。

そのジョディが、パソコン・電話・ファクス・スタンドライト等のコード
が彼女の体をぐるぐる巻きにして、身動きが出来ずにいたのですが、
助けて~~~!なんて声はあげません。なんとか苦境から脱出しようと、
益々身体の自由が奪われて。にっちもさっちもいかなくなってました。
そんな切羽詰った状態の彼女に素手で迫ったら、こちらは血みどろになる
ことは、自明の理ですから、革の手袋をはめて、引っ張り出そうとしまし
た。案の定、噛み付く引っかくの大抵抗です。コードをはずそうと試みる
のですが、複雑に絡み合ったそれは、緩むどころか益々彼女の小さな細身
の身体を締め上げていきます。彼女の恐怖に引きつった顔は、可哀想で、
思わず、もう、横になっていたセニョール・ダンへSOS。
私が首輪と頭をしっかり抑えて、セニョールは素手で、・・・やっと抜け
ました。彼もやっぱり後ろ足で蹴りを入れられた傷から血が出ています。
私は深く噛まれた傷口をすぐ流水で洗い、エタノールで消毒。
動物、特に猫の傷は危険です。前にも噛まれて、病院へ駆け込んだことが
あります。
けれども今回は、アロエの葉っぱを患部に当てて、ぐるぐる巻きに包帯を
して、
「何てこともないのだからね、わかってるでしょうね!?明日の朝は痕跡
も残さない。い~い?」
みるみる腫れあがって、熱を持ってきました。噛まれた左手全体がど
よ-んと重たくうずきますが、私はひたすら言い聞かすだけです我が身に。
「大丈夫!なんてこともないのよ」

もちろん傷口はわかります私には。けれども私の身体はアロエの成分の
お陰もあったのでしょう。腫れも痛みも消えてました。
トコトン信じるって、難しいものかも知れません。けれども私は信じきる
ことから起こる様々な不思議な事を体感してきていますから、よしんば
誰かを疑うとしても(これはよくあることです、瞬時に)、自分自身の
可能性をトコトン信じてみようとしています。

ハッキリ言って、人なんか信じちゃいません。私に起こることは、私自身
で解決するのです、魔女って言われた女は。ですから、社会?そう、平た
く言えば世間の思惑なんて歯牙にもかけませんし、文句もありはしません。
ありがたいって思うだけです。こうして毎日お腹いっぱい食べられて、
手足を伸ばせて眠られる場所も寝具もあって。これは全て、お陰です。
そんな幸せの中で、せめて、いいえ、当たり前の事として、我が身に起こ
る不都合を、私自身で解決しなくてどうするのでしょうか。

人を頼みにする人は、いつも言いますが、不平不満の中で生きています。
与えられるのが当たり前って、傲慢な世界で息をしているので苦しいの
です。人のために何かをしなくてはいけない?いいえ、自分自身を愛す
ること!それに尽きます。未解決なことは、自身を愛して、信じ続ける
ことによって、解決されていきます。

ありがとう!のない人、言えない人に幸せなんか来ないのです。
いっつも不平不満だらけの人生を送るのです。これは当たり前のことな
のです。自分で招き入れている事に気付かない大馬鹿者です。
そして、そんな人には近づかないように!
悪口文句嘆きから素晴らしいものは誕生しません。
病気の話を、とくとくとして言う人は、病気になっている自分が好きなの
です。病院・銀行へ勤める人が好きではありません。不幸と強欲の巣窟。
ですから、そこへいそいそ出掛ける人も、他所の星の住人です私にとって。

暑い暑い夏も、秋にバトンを渡そうとしています。
猫がいつものように、置物のような姿で箪笥の上で寝ています。


          猫
   
   熱烈な恋人も きびしい学者も、
   円熟した年ともなれば 同じように、
   彼らに似て 寒がりで 引き篭もりがちな、
   家の誇りの、 強くて、やさしい猫を愛する。

   学問と 逸楽の 友である猫は
   沈黙と 闇黒の恐怖を 捜し求める。
   冥府の王は 猫が誇りを捨てて 仕えるならば
   柩車の馬のかわりにするだろう。

   夢想にふけるとき 猫は 孤独の底に
   横たわって はてしない夢のなかに眠る
   巨大なスフィンクスの 気高い姿となる。

   豊かな腰に 魔法の火花がみちみちて 
   細かい砂のような 金色の粉末が
   神秘な瞳に かすかに星ときらめく。
                    le Chat   

     ボードレール:佐藤朔 訳

まだ?そしてご馳走様

2008-09-05 10:55:32 | Weblog
やっぱり繋がる不思議って思うのです。
この早春から「プラハの春」のチェコに関する色々は、
何?なんでこうやって私の前にその国の情報が次々に飛び込んでくるの?
カザマサンは「いらっしゃいって言ってるのよ」っておっしゃるけれど。
チェコねぇ。かつての共産主義国は、遠い存在ですから、イメージできな
いのです。五木寛之と宮本輝の小説で少しかじった程度、否嗅いだ程度の
東欧でしかありません。でも、情報が少ないから行って見るのもいいかもね。

昨晩、ケイコサンからのメールに、叔父様が中国でのお仕事を請け負って、
年末に一時帰国。従姉妹達に、集まらないかって誘われたけれど、私は行
かないつもりですって、書かれたその叔父様とは、かなり前、ケイコサン
と通っていたスペイン語教室の帰り、いつもは車なのに何故かその日は電車。
「レイコサン、あそこに私の叔父が」って。彼女もビックリの久し振りって。

お話をするまでもなく、チラッとお見受けして私は次の駅で下車という、
状況でしたが、その叔父様のお話です。
まあ、観光に仕事にって、こんな所にも?って、今や世界中に散らばって
いる日本人ですから、ケイコサンのお話は珍しいことでも何でもありません。
私が中国語を習っていることは彼女もご存知ですが、彼女の周辺から中国
という言葉はついぞ出たことはありません。毎年、海外旅行へお出掛けの
彼女ですが、アジアには関心はおありではありません。
「もったいな~い」って私は思うのよ。けれど、関心のない方にとっては
なんでもないことなのです。

さあ、ここからどう繋がる中国かしら?
楽しみになってきました。パスポートの期限が過ぎていて、戸籍抄本も
取り寄せました。セニョール・ダンの、本籍は移すものではないって言葉
で、私の実家の住所(今はもう誰もいません)が本籍地です。結婚スタート
はすぐ側のアパートでしたから。
ですからそこが私たちの出発地点という事実は、いつまでたっても変わらな
いということです。本籍をあっちこっち移すものじゃないって。今更ながら、
そうかもしれないって思う戸籍です。

ここで朝食にして、新聞も。もちろん三面記事は読みません。

そして、またチェコの文字が。元・駐日大使夫人のお話が海外特派員の記事
になって。海外ニュース面はザーッと目を通しますいつも。チェコの方
から勝手に私に近づいて来るみたいに、飛び込んで来るのです。

次は中国かしら?って思い始めたところなのに、まだチェコがいます。
それで、抄本の話に戻って、手数料を小為替にして、今は町村合併で消滅し
て、最早以前の地名はない本籍ですが、新しい西東京市なんて馴染まない
地名になった役所へ請求したのです。

去年のヒースロー空港のスタンプが最後のパスポートと、その戸籍抄本を持
ってパスポート申請に行かなければ何も始まりません。
まずは来月の北京のため。その後、チェコもスロバキアも視界に入れてみよ
うかしらって、思い始めています。
何か面白い出会いがあるかもしれません。こう、何回も何回もチェコに関する
事が押し寄せている事実を考えれば。行って見なければ、ね?

蚊帳の外の住人(私)は、ゾロゾロの観光旅行団体の一人にはなりません。
少し緊張して、でも、怖がることもなく、知らない町に自分を置いてみたいっ
て思うのです。勝手にお邪魔しましたが、少し置いていただけますか?って。
日本女性の意味のないニヤニヤ笑いじゃなく、感動は素直に出して、毅然と
日本の年長者の佇まいを見せながら、今、そこに住む同じ時代に生きている
人達と同じ空気を吸ってみたいと思うのです。 

パスポートの更新が済んだら、机上にもう1ヶ国語の参考書が増えるかも知
れません。幸せな日本にいて、入手できないものはありません。もちろん
チェコの言語と歴史(あ~可哀想な国。ヒトラーに、ソ連に蹂躙された)が
書かれた本で、調べてみましょう。大使館へお邪魔するのもいいかもね。

又、新たな出会いです。

そうそう、私は生涯2冊目?もしかしたら3冊目の途中放棄をしそうです。
ハッキリ覚えているのは「ラビリンス」のつまらなさで、これは前にも書
いたいわくつき本。ウチの宇宙人が喘息で入院した時、デヴィド・バーイ
の写真カバーでつい買って持っていった、そして「もっと具合が悪くなり
そうだった本」と、彼に言わしめたそれを読み出して、
「ごめんなさい、本当につまらない内容だったわね」って、それ。たしか、
もう1冊、苦痛で途中放棄した本があったように記憶しているけれど。ま、
童門冬ニ「直江兼続」のそれも準じました。
読者におもねる何かを感じて、不潔!どこかで侮りすら感じる作者の姿勢・
生き方が行間から漂い出して、臭くてたまらなくなりました。
ご馳走様です。残します。いいえ、もう食べられません。お行儀が悪いかも
知れませんが、消化不可能事態に陥りましたので。失礼します。

世の中に、いえ、我が家の書棚には、自分の出番を待っている本達が待って
いるのです。彼の作品ばかりが本じゃない!ってことよ。
ああ、もったいなかった~~~時間が!
でも、表舞台には出てこなかった(私が知らなかっただけ?)戦国時代の
武将の話は、結構そそられます。兜に「愛」の文字をつけて。その時代の
愛は、ああ馬専科が言ってた仏教の何やら・・・・忘れてしまいました。
その時代に愛なんて文字を遣うって変じゃない?の私の発言にね。
ああ、我が母の教養のなさって思ったかも知れない愛についての彼の薀蓄。
ウチの宇宙人(次男)と盛り上がる直江兼続の話。毘沙門天一筋で生きて、
女人を生涯近づけなかったという上杉謙信から愛され、次の当主の参謀で
もあったらしい武将の話は、充分面白そうです。ですから、他の作家のそ
れを探しましょう。縁のなかった童門冬ニということでしょう。
いつでも同時進行読書ですから、なんの不都合もありはしません。
いつでも20冊近くは側に置いての読書です。ドキドキします、次は
どれにしようかな~~~って。

バスコ?はバスク

2008-09-03 22:31:45 | Weblog
ぐだぐだ夏にちょっとAdiosして、改まった気持ちになって(かな?)、
横浜駅迄久し振りの徒歩以外の外出です。
べラちゃんのピンチヒッター先生は?出身地を地図上で探しましたが、
見当たらないままに、出席です。
髪の毛はない。エーイ面倒だ剃っちゃえ~~のようなオツムですが、
お髭は濃そう。若い男性が
"Hola!"

ビルバオ出身のAingeru Aroz Rafael若き男性。
ビルバオ? 自己紹介で、スペイン(ヨーロッパ)の火薬庫って言わ
れて久しい「バスコ(日本ではバスク)」出身でした。誇り高きバス
コ人です。後からヨーロッパに渡ってきた人々に統治されるなんて、
元々の住人の彼等は我慢がならないって、今でもずっと独立の機会を
うかがっているかの地です。
ささやかな私の知るところです。バスコの知識はこの程度でしかあり
ません。先生も「誇り高き我々」ですって。
フランスに隣接する自治州バスコです。当然言葉も特有って聞きます。
けれど、バスコに限らず、カスティージャ、カタルーニャ他、地方に
よって出身地がわかるスペイン語って言われますから、日本の方言と
思えばいいのかもしれません。スペイン語では、GEは「へ」と読みます。
けれども先生のお名前のGEは、そのまま「ゲ」と読みます。

バスコからスペイン領のカナリア諸島についても色々お話になられます。
声がいいのよね~~~、限りなくバスに近いバリトンは、魅了します。
けれどもあ~~~、悔しい!外国語はどれもこれも早く聞こえるそれで、
声はいいけれど、内容が今一わからないって、情けなさ。早口と言うより、
やっぱり私の勉強不足が露呈したってことです。けれども私の知るスペ
インと中南米のスペイン語の大きな違い「君達(2人称複数)」は遣わ
れない。複数の相手は全て3人称複数で言わなくてはならないって、本家
スペインとの違いは知ってたわ。
結構やかましくその辺を言われた最初の先生日系ペルアナでしたから。
そして、その遣われない2人称複数言葉から来たVOSが、アルゼンチンでは、
日本語の「おまえ」って、ごく親しい間柄では遣われるって知ってたの。
枝葉のことは脳みその隅っこにちんまり納まってるのに、根幹が・・・な
かなかって、困った脳みそです。

自己紹介から、趣味の話。それは群を抜いて「読書」ですから。
何を読みましたか?最近は?
「星の王子様」「老人と海」はスペイン語。最近は「水滸伝」「プラハの春」
そして、「源氏物語」って。
スペインの本は?・・・ハイ、日本語で「ドンキホーテ」を、って情けなさよ。
スペイン語を始める動機は?
もちろん読書!ああ 道のりは険しく遠いわ、今の私のそれではね。
エレベーターの中でご一緒、残念ながら理解できなかったって言うことよ。
来週はもっとゆっくり話しますから、大丈夫って、言って下さったのだけ
ど、そういうことじゃないのよ。勉強不足ってこと。頑張りますって言う
しかなかったラファエル先生との初授業でした。

久々の刺激的時間は、心地いいものでした。
聞いて、言えて。この基本がいつ身につくことやら。
クラスメイトは、全員何かしらスペイン・スペイン語(南米)に関る方々で
した。自己紹介の時にスペイン語を始める動機をお話になって知った事です。
何やらインターナショナルって感じね。

先生は、修士を終わって、Dr.=博士のお勉強って。Drは日本では医者。
スペインでは博士。って、言って書いていらしたと思うけれど、私のスペイ
ン語でねぇ、自信は持てません。トホホホホ・・・・・

ボチボチ問題集を埋めて、相変わらず耳にはイヤホンというスタイルでいく
しかありません。辞~~~めた!にはならない自分に「よしよし」というと
ころです。

よくお分かりのカザマサンでも、上のクラスでお勉強していらっしゃるの
ですから、私もつまずいたり、転んだりしながらでも関ることにしています。

家から4~5分の所にバス停が出来ました。
元・義兄の死を悼んで、私の姉達の家へ出掛けたセニョール・ダン。私?
行きません。飲み食いになる場所へは極力出ないようにしています。その
時間があれば一人で静かに本でも読みたいのです。
輜重係りのセニョールが留守でしたから、レッスンの帰り、少しばかり
買い物をして、バスで帰りました。終点が下車地点。
バスを利用には中途半端な距離の家と駅です。ですから新しく出来たバス停
は、かなり便利な所にできましたので、ずっしり重い荷物の時には助かりま
す。考えてみれば、この前バスに乗ったのはいつだったかしら?いつも車で
移動でした。定期的に電車やバスに乗ることもありませんでしたから、電車
とバスを利用なんて、かなり新鮮です。でも、やはり歩けるだけ歩くは基本
です。

バルト三国へお出かけだった元・スペイン語クラスの友人は、リトアニアの
お話の整理にお忙しそう。いつか、馴染みの薄いそれらの国々のお話を聞か
せて頂くことになっています。こんな友人がいる私はやっぱり幸せ者です。
卑近な話はもう、ご馳走様の私ですから。
知らない世界のお話を聞けるなんて、素敵でしょう?

そろそろ夏に・・・

2008-09-02 22:43:43 | Weblog
6月に仕込んでいた梅酒。毎晩水割りで少し。
お酒を別瓶に移して、梅を、先ほどジャムにしました。ちょっと酸っぱい
ジャムですが、自分で作るのが何よりもいい!ちょっと酸っぱめは望むとこ
ろですから、問題は何もありません。

ピクルス・ジャムって、次は・・・燻製!って、やっぱり寒くならなければ
ねえ。今年の秋はニジマスを大量に燻製って予定です。これは肴になる魚(
駄洒落?)です。パンのおかずにも言うことなしですから、20~30匹く
らいは作りたいって思っています。もちろんベーコンもハムも。保存食は、
怠け者にはなくてはならない食品ですから。そうそう、パンもね。

別瓶・赤ワインを入れた梅酒が楽しみ。密封する前にワインを入れて、見た
目はロゼみたいなピンクだったけれど、梅のエキスは無色の焼酎を金色に変
えますから、ハテサテいかがな色合いになってるやら、です。楽しみ~~~~

世の子ども達も2学期が始まって、私も明日からスペイン語教室の始まりです。
この夏は、相変わらず読書三昧でしたから、スイッチ切り替えが難儀です。

「水滸伝」19巻、敗者の話は涙涙の最終巻でした。続いて「プラハの春」
上下巻は、今尚同じ事をしている(グルジア)ロシアに、腹が立って。
やっぱり泣かせてくれた本でした。フォーサイス程ではないけれど、日本人
が書くには珍しい国際的な話でした。

そして、初めて手にする童門冬二の本。
相性があることをハッキリ感じた作家です。来年のNHK大河ドラマの主人公
「直江兼次」の本を読もうと買った彼の本ですが、・・・・・ま、頑張って
読みましょう。同時に読んでいる、司馬遼太郎の時代物とはえらい違いです。
役人臭さが行間から匂うのです。特有の臭さがあります。「プラハの春」も
外交官が書いた本ですが、「プラハ」ではそんな強烈な匂いは感じられませ
んでした。でも、もういいわです。

私はやっぱり税金を食べた人たちが好きじゃあないようです。
職業の匂いを感じる私ですから、あ~~やっぱりねって。血が流れているよ
うには感じられない人種に、好意的眼差しは向けられません。
ちょっと苦痛の読書になるかも。辛いわ~~~ 

ちょっと品下れるって感じの浅田次郎。
吉川英治はやっぱり凄かったって今更ながら思うのです。なにせ、「新平家
物語」全16巻を、この私に3回も読ませたのですから。

今、瀬戸内寂聴「源氏物語」を母(故人)に読み聞かせなんて事をしていま
すが、パシッと膝を叩きたくなる「あ~ご自身の体験からの訳なのね?」って、
感じる艶かしくも激しいエロティシズムが、これまた行間から溢れこぼれてい
るのです。これは、ある程度お年を召された方が読むにふさわしいって思う
名著です。恋の、身悶えするほどの熱い想いに苦しんだことのない方には
わからない、濃密な男女のお話ですから。でもそこに漂う高貴な香り。
放たれる精神の交わりのお話です。行き交う歌の奥ゆかしさ、教養深さは、
今のお手軽な、軽佻浮薄な現代人のオツムからは想像するだに難しい、
世界の教養人をして唸らせた「源氏物語」は、1000年も前に、
しかも、女性の手になる永遠のテーマの物語なのですから、私達はなんとも
素晴らしい遺産を持っているということです。
チャンネルを回しましょう!下品な笑いをぶちまける番組を見るなんて、
愚の骨頂です。お手軽・流行を話題にする人は、シッシッシッ近寄るでない!
でしょう。

玲子さん、少しは涼しくなりましたか?って、スコットランドの若き友人
ポリーちゃんからメールです。9時間の時差のあるイギリスから。
彼女の小説が編集者の手に渡ってチェックが入ってるそうな。日本人で最初に
読むのは私よ~~って、出版されることを前提に言うことよ。ええ、悪戦苦闘
しながら英文のままで読むつもりですもの。読解力?ああた、そんなもの気迫
で読むのよ。1字1字辞書で調べてたら、作者の思いなんて、ススーーって
入ってこないって!ピッタリなんて表現は外国語にはないのですから、そこは
読み手の母語のボキャブラリーによるのです。だから、村上春樹が、僕ならこう
訳すって、かつて訳された本を彼の語彙による新訳でなんてね。

私の本棚に彼女の本が並ぶことを、心から望んでいます。
処女作は、REIKOって日本人が出てくるって。なら、やっぱり私が最初の読者
じゃない?楽しみ~~~~!

明日と次週の先生はベアトリス先生の代わりって。
どんな方でしょうか?少し緊張します。何故って、日本語禁止ですから。
グダグダ夏にそろそろピリオドを打たなきゃ!・・・出来るかしら?

ここはどこ?

2008-09-01 15:03:05 | Weblog

馬専科も北の国に戻り、又いつもの日々が横浜にも戻ってきました。
犬はソファの上で、猫は箪笥の上で午睡を。

確約は何もしていない日系ペルー人のアナさんへの日本語伝授。
外国語だけは特に、接する回数が多ければ多いほどいい!で、行って来ました
コラソン・ラティノで待ち合わせは3時。
「今日は辞書を持ってこなかったので、お話を中心にしましょう。もちろん
日本語だけよ」
彼女が困ったように、顔をしかめます。

「末っ子が帰って来るその日、彼が乗る飛行機が、羽田の天候が悪く欠航でね、
そのまま駐車場で一夜を明かして、翌日の朝一番の飛行機で帰って来たよ。
・・・わかるかしら?意味が。なんとなく?OKいいわ。では、もう一度言うの
で、ドンドン書いて!漢字が書ければ書いてね」
そう、速記者みたいに書き留める作業を。きちんとした性格なのでしょう、
1字1字きっちり くっきり 日本語を書き進めます。ひらがなオンパレード。
漢字に変換。助詞は私がマーカーを入れる。それをスピードを上げながら、
何回も読む、見ないで言う。
次は彼女の出来事を。このところの天候の話。そして、一人お嬢ちゃんへ
スペイン語で書く事を教える話。まず、言って、なめらかに言える迄
になったら、同じように日本語で書く。

美しい日本語を覚えて欲しいので、例えば「食べる」
「食べる?」は家族・年少者・友達に言う。
「食べますか?」は少し改まった言い方。誰に対してでも可。
「召し上がりますか?」これが一番美しい聞き方。
応え方は、
「はい、いただきます」「いいえ、結構です」。結構の遣い方も少し。
もちろん、漢字に変えるわ。彼女には、日本の女性が真っ青っていうくらいに、
丁寧な言い方を覚えてもらうつもりです。それは、彼女を高めることですから。

「アラッいつの間に?」
様々な皮膚・髪の毛の色、男女、飛び交うスペイン語。
気がつけば満席のコラソン・ラティノでした。
「私が外国人みたいね」
ウルタドさんがお嬢ちゃんを連れて「こんにちは!」
「幾つ?」
ママが"Japones!:日本語で」って。
「4才」
「混んで来たので又にしましょう」
「どこへ行きますか?」
"Claro,vuervo a mi casa.:もちろんウチへ帰るのよ」
「車行きます」
「ありがとう、でも歩いて帰るわ。では又ね。何回も何回も早く早く
言う!いっぱい練習してね」
「又、会いましょう!」
「はい、さようなら」

アップダウンの激しいこことウチまでの地形です。
帰り道、セニョール・ダンと彼の友人が借りて耕している畑に寄って、
食べごろナスを3個もぎって帰りました。

そうそう、マリアさんへ
「ミゲリ-トはペルーへ帰ってるわ。知らなかったでしょう?」
「ペルー?」
「ええ、多分ね。住所をこの次教えてね。お家へ帰ってるでしょうから」

私は彼の消息を、彼に繋がりそうな所を探し出したのです。
身内から放り出された、否、彼が自ら切った今の身内たちのようです。
日本で暮らすより、生まれ育った故郷の方が、今の彼にとってはいいのです。
ビザが切れる1月に、私と会った直後くらいに、彼は一人でペルーへ帰った
ようでした。
どうしても読んで欲しい本(スペイン語)を彼に渡したいのです。
そして、日本に来たばっかりに、知らなくていいことを全て知ってしまった
彼の苦痛、苦悩を、少しでも和らげてあげたい。私の大事な生徒が苦しむのを
放って置けないのです。どれほど辛い日々だったか。

また、いつの日か、仕切りなおしで日本へ来られるように。
嫌な事がいっぱい彼を苦しめた日本だったでしょう。でも、素晴らしい日々を
刻める日本になって、出直して欲しいって、切に切に願い祈る私なのです。

「レイコサン、ミゲリ-トは行方不明よ」
「わかったわ。私が彼を探すわ。大丈夫!必ず探し出すわ」

そして、すぐ会える所にはいませんでしたが、彼の居場所を見つけたのです。
彼は、ペルーの大地に癒されつつあるでしょう。彼が生まれ育ったインカの
大地に。そして、近い将来、私からの贈り物を手にする筈です。
 "Migelito , nada nada no hay problema!nada!"
      「 大丈夫、何も心配ないわ!」  って。