テレビから情報を得ることが多い。新聞と違って、音声と映像を伴う野で、情報の内容は分かりやすい。しかし、不適切さも鮮明になる。
アナウンサーは、ニュース報道に際して、記事原稿を読み上げるのであろうが、しばしば、適切な読み上げのできていない事例に遭遇する。人名、地名は致し方ないとしても、常識的な語句の読みが出来ていないことも少なくない.更に多いのは、文脈の理解が出来ていないアナウンサーによるニュースの読み上げである。文の構成要素として、特に重要な部分とそうでない部分がある。このことに対応できていない例が少なくない.キーワードが聞き取れない時には、こういう原因がある。発音、発生の訓練は、当然、アナウンサーの基本的なスキルとして鍛えられるのであろうが、原稿の内容の理解度、認識レベルの向上のためには、どのような鍛錬がなされているのだろうか。これは、早口言葉や鼻濁音などのような、小手先の訓練では対応できない種類のものであろう。
新聞の記事も表現力と理解力の低下が原因の不可解なものが多いので、ニュース原稿そのものに問題があるのかもしれない。
テロップにも間違いが多い。一体、どういう立場の人間が書くのだろう。変換ミスだとしても、チェックすべき人間はいないのであろうか。アナウンサーの責任ではないが、報道という行為の一部であり、母国語の能力の向上が、外国語のそれよりも喫緊の課題であることを実感する。
今春開校の県内公立学校(中高一貫校)では、国語以外の教科を、すべて英語で行うのだという。植民地、開発途上国の教育の趣がある。わが国の現状は、まさにそのようなものだとも言えるが、さて、どんな日本人が生まれることになるのだろうか。不安の方が先に立つ。