それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

大学不正入学

2019-03-15 11:22:49 | 教育

 このところ日本でも、大学入試にからむ不正が問題になっているが、アメリカでも50人の人間が、名門大学裏口入学にからむ詐欺行為関与の容疑で訴追された。
 入学試験は、受験生の保護者や、関係者の資産の多寡、社会的地位、民族、地域性、性別等による差別を受けない、公平な制度であって欲しい。
 ところが、どういうわけか、金持ちは、お金さえあれば世の中の問題は何とかなるものだと割り切ってしまい、権威や社会的地位のあるものは、自らの言動に必要以上の権威があると信じ込んでいるようだ。
 ことは、教育に関する問題である。世の中のいろいろな事象のうちには、「理想はともかく現実は……」という考えのできるものもあろうが、教育や学校に関することでは、「理想」で、すべてを判断するようでなくてはならない。「現実はともかく、理想的なのは……」という発想に立つ、いわば人間社会の「聖域」であって欲しい。かつて、教員採用試験に贈収賄があって問題化したが、不正採用の教員がいる学校など、言語道断である。
 いろいろな差別のある社会である。しかし、個人として努力して勉学に励むなら、望みの大学に進学が可能となる入学試験というフェアな制度がある、というのはある種の救いである。不正入試は、首尾よく入学した個人の問題だけでなく、公正さを欠く手段のために本来入学できたはずの受験生の入学の機会を奪い去ることになっているのである。

 表目には浮上しにくいが、多くの私大による寄付金制度にも問題がある。わが子の事例で実感したが、年に一度は「寄付のお願い」文書が届いていた。内容はびっくりするほど高額の寄付金で、しかも二口以上をお願いしたいとある。仮に、入学後に多額の寄付金を約束して合格させてもらえば、不正は目立ちにくい。私学助成金という公費による援助を受けながら、臆面もなく寄付金をねだる下品な大学は、助成金カットないしは認可取り消しにすべきである。少子化の今日、いずれ消え去るであろうが。たいていの私学には、創設者の建学の理念が、堂々と掲げられており、目にするのも恥ずかしい思いをするが、建学後のだらしなさを思うと、高貴な香りがすることもある。寄付金なしには経営不能な大学を創りはしなかったろうし、少なくとも多額の私財を投じる行為だったはずだからである。
 不正入学の背後には、大学側に協力者がいたはずである.組織的でないことを祈るが、
法人化後の国立大学でさえ、経営戦略会議なるいかがわしいものが存在する時代である。大学も経営の観点が必要であることは否定しないが、それを旗印にするようでは、利潤を最優先する企業と同じで、とうてい、教育機関とは思えない。産学協同や軍学協同を否定する時代に学生であったことを懐かしく回想している。