きしむ廊下を進んで質素な八畳ほどの部屋に案内された治子は、都会の生活からかけ離れた静けさを感じていた。
室内はきれいであるが必要以上の設備は無く、程よい広さとなっていて、宿泊客が自宅にいるようにくつろいでもらうために、布団の上げ下げや浴衣の取り換えや部屋の掃除などは宿泊客に任されているが、それが湯治湯の構わない気配りである。
また、信州を満喫してもらえるようにと日帰りのツアーも用意されているので、急ぐのでもなく暇をもてて余すのでもなく、程よく時間を活用できるように配慮されているのも、湯治客にとってはうれしい配慮である。
「よくいらっしゃいました。あとで結構ですけれど、この宿帳に記入をお願いしますね。ところで、あなたはうちには初めてですよね。よくこんな山間の地にいらっしゃったわね。どなたかからお聞きになっていらっしゃったの?」
「いいえ、まるっきり知らないで来ました。だけれど、私はこういう山間の雰囲気が好きです。」
「こんなお若い方が珍しいわね。何も無いところですけれど、ゆっくりしていってくださいね。」
「ありがとうございます。」
治子はなぜか過去に社内旅行で来たことを話すのをためらったが、今夜の宿を確保できたのでホッとしていた。
「懐かしいわね、昔と全然変わってないし、この籐の椅子も昔のままだわ。」
治子は我が家に帰って来たような安堵感を覚え眠りについた。
次の日、治子は今自分が何処に居るのか知るために朝食後に近くを歩いてみた。
旅館から昨日バスを降りた鹿教湯温泉のバス停に行ってみると、昨日は暗くて良く見えなかったが地元の名勝が八個の案内看板で紹介されていて、ひときわ大きな鹿教湯温泉交流センターの看板が人目を引いていた。
観光名物の『おやき』や『かけゆまんじゅう』を販売している小さな商店や信濃湯の宿の看板をゆったりと眺めながら、車が交差できるだけの道幅の道路を歩いて行った。
「あの頃とあまり変わっていないわね。お店も増えていないようだし、温泉街というような煌びやかな様子もないし、田舎の湯治湯の面影がそのまま残っているわね。街並みは変わっていないけれど、私は大きく変わったわ。
みんなとここに来た時と、仕事一途に突き進んでみんなと競争していた時と、挫折を感じた時と、私は大きく変わったわ。」
治子の歩いている山間の道の木々ではセミが忙しく鳴いており、小鳥の声が時折聞こえるが、今まで毎日耳にしていた自動車のエンジン音は聞こえてこない。
治子が仕事をしている会社の近くには、街路樹が植わっているがセミが鳴くのを聞いたことは殆ど無かった。生命体によって感じる季節感は無く、ビル風や多くのビルから吐き出される熱風、そして光化学スモッグなどで季節感を感じているのが現実である。
取引先へ打ち合わせに出向く時以外は空調の効いた事務所の中で取引先との連絡を行っているので、季節を感じるのは通勤の時のみであった。
室内はきれいであるが必要以上の設備は無く、程よい広さとなっていて、宿泊客が自宅にいるようにくつろいでもらうために、布団の上げ下げや浴衣の取り換えや部屋の掃除などは宿泊客に任されているが、それが湯治湯の構わない気配りである。
また、信州を満喫してもらえるようにと日帰りのツアーも用意されているので、急ぐのでもなく暇をもてて余すのでもなく、程よく時間を活用できるように配慮されているのも、湯治客にとってはうれしい配慮である。
「よくいらっしゃいました。あとで結構ですけれど、この宿帳に記入をお願いしますね。ところで、あなたはうちには初めてですよね。よくこんな山間の地にいらっしゃったわね。どなたかからお聞きになっていらっしゃったの?」
「いいえ、まるっきり知らないで来ました。だけれど、私はこういう山間の雰囲気が好きです。」
「こんなお若い方が珍しいわね。何も無いところですけれど、ゆっくりしていってくださいね。」
「ありがとうございます。」
治子はなぜか過去に社内旅行で来たことを話すのをためらったが、今夜の宿を確保できたのでホッとしていた。
「懐かしいわね、昔と全然変わってないし、この籐の椅子も昔のままだわ。」
治子は我が家に帰って来たような安堵感を覚え眠りについた。
次の日、治子は今自分が何処に居るのか知るために朝食後に近くを歩いてみた。
旅館から昨日バスを降りた鹿教湯温泉のバス停に行ってみると、昨日は暗くて良く見えなかったが地元の名勝が八個の案内看板で紹介されていて、ひときわ大きな鹿教湯温泉交流センターの看板が人目を引いていた。
観光名物の『おやき』や『かけゆまんじゅう』を販売している小さな商店や信濃湯の宿の看板をゆったりと眺めながら、車が交差できるだけの道幅の道路を歩いて行った。
「あの頃とあまり変わっていないわね。お店も増えていないようだし、温泉街というような煌びやかな様子もないし、田舎の湯治湯の面影がそのまま残っているわね。街並みは変わっていないけれど、私は大きく変わったわ。
みんなとここに来た時と、仕事一途に突き進んでみんなと競争していた時と、挫折を感じた時と、私は大きく変わったわ。」
治子の歩いている山間の道の木々ではセミが忙しく鳴いており、小鳥の声が時折聞こえるが、今まで毎日耳にしていた自動車のエンジン音は聞こえてこない。
治子が仕事をしている会社の近くには、街路樹が植わっているがセミが鳴くのを聞いたことは殆ど無かった。生命体によって感じる季節感は無く、ビル風や多くのビルから吐き出される熱風、そして光化学スモッグなどで季節感を感じているのが現実である。
取引先へ打ち合わせに出向く時以外は空調の効いた事務所の中で取引先との連絡を行っているので、季節を感じるのは通勤の時のみであった。
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