歴史を感じる「徳川将軍家墓所門」を見てから、
「増上寺宝物展示室・徳川将軍家墓所」
共通入場券を買って墓所内に。
徳川将軍家墓所といっても、徳川264年を支えた将軍15人のうち、
6人の宝塔と、大名から送られた奉献石灯籠が並んでいます。
他の6人は上野の寛永寺、残る3人(家康は久能山東照宮)は別々の所に。
一緒に埋葬されていないのです。
左から時計回りに、合祀塔・静寛院和宮・十四代家茂公・
六代家宣公夫妻・二代秀忠公夫妻・七代家継公・九代家重公・
十二代家慶公の宝塔があります。
静寛院和宮は15歳で家茂公の正室になり、
没後遺体は京都へ戻すよう言われましたが、
増上寺はこれを拒否して、和宮の遺言に従い家茂公と並んで祀られています。
(和宮の宝塔)
二代将軍秀忠公の宝塔は、木造のため戦災で消失したため、(残念)
宝塔は正室お江の物だそうです。
合祀塔には、正室、側室、子女等38人が祀られているそうです。
ここには徳川時代を支えた人々が埋葬されている、
不思議な空間がありました。
明治期の増上寺御霊屋図
戦火で消失するまでは、広~い御霊屋でしたが、
今は、ブルーの所だけが残り、ピンク(右上)はプリンスホテルに。
増上寺宝物展示室を見て・安国殿・本殿をお参りし、
増上寺境内を散歩して来ました。
当社のHPはこちらです
http://kosei-hs.jp/index.html
「増上寺宝物展示室・徳川将軍家墓所」
共通入場券を買って墓所内に。
徳川将軍家墓所といっても、徳川264年を支えた将軍15人のうち、
6人の宝塔と、大名から送られた奉献石灯籠が並んでいます。
他の6人は上野の寛永寺、残る3人(家康は久能山東照宮)は別々の所に。
一緒に埋葬されていないのです。
左から時計回りに、合祀塔・静寛院和宮・十四代家茂公・
六代家宣公夫妻・二代秀忠公夫妻・七代家継公・九代家重公・
十二代家慶公の宝塔があります。
静寛院和宮は15歳で家茂公の正室になり、
没後遺体は京都へ戻すよう言われましたが、
増上寺はこれを拒否して、和宮の遺言に従い家茂公と並んで祀られています。
(和宮の宝塔)
二代将軍秀忠公の宝塔は、木造のため戦災で消失したため、(残念)
宝塔は正室お江の物だそうです。
合祀塔には、正室、側室、子女等38人が祀られているそうです。
ここには徳川時代を支えた人々が埋葬されている、
不思議な空間がありました。
明治期の増上寺御霊屋図
戦火で消失するまでは、広~い御霊屋でしたが、
今は、ブルーの所だけが残り、ピンク(右上)はプリンスホテルに。
増上寺宝物展示室を見て・安国殿・本殿をお参りし、
増上寺境内を散歩して来ました。
当社のHPはこちらです
http://kosei-hs.jp/index.html