国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国で、「うわぁ、おっかねぇおっかねぇ」などと叫びながら荷物満載のマーチで関越道を50キロで走って来たのが、去年のちょうど今時分の話です。あれから1年が経ちました。
「ちょっと出稼ぎに行ってきます」などと言いつつも涙ながらに別れてきた前の会社の人たちとも、最初のうちは頻繁にメールのやり取りをしていたけど、忙しい・疲れた・眠い・めんどくさいとかテキトーな理由を自分の中で打ち立てて、最近ちっとも連絡しなくなってしまいました。ひどい人なんですボクは。去年の暮れに前の会社の忘年会に参加してきましたが、その時ボクは途中で帰ったんですね、次の用事があったんで。その時みなさんに「じゃあコレで…」とかひとつもあいさつをすること無く、知らぬ間に消えるかのように出て行きました。場を乱したくなかったんでね。「あいさつくらいしてけよ!怒られるよ!」とか言われましたが、ボクスタイルを貫き通し、無言ですみやかに去りました。怒りたきゃ怒ればいいんです。それでムカついたのならお付き合いやめていただいて結構。ボクはそんな人間です。そんな人間でもいいという方は、これからも末永くお付き合いいただければと、そうワガママに思っております。ようは、ボクは薄情な人間だ、ということをココでは言いたいのでしょう。
新潟県民になって丸1年のうち、千葉には3度行きました。6月の弔問、10月の学祭、12月の前の会社の忘年会と仲間の集まり。この3回のうち、母親とは6月に1度会いました。父親とは会っていません。盆や正月には「帰らないのか?」とよく今の会社の人に聞かれました。「帰りません!」と即答しました。12月に前の会社を訪ねたとき、「親を捨てちゃいけないよ!」と言われました。今日も「たまには帰ってやれ!」と会社の人に言われました。心苦しい限りです。「千葉から新潟に来ちゃってご両親も心配してるでしょう?」「いやぁそんなこと無いでしょう!」とか、「親のこと心配じゃないの?」「いいえちっとも!」とかいう会話がよく繰り広げられます。でも、心配して無いことはないんですよ、ボクだって。いろいろ不安要素はあるんです。たまには顔出さなきゃなとも、ちゃんと思っています。でも、我が家の複雑な家庭環境が、ボクの気持ちを複雑にさせるんです。実家があってボクの居場所があればいいけど、それが無いんですもん。だから、なんとなく親の家の家庭訪問になってしますような気もするし、そんなんで妙な気を使わせたり使ったりになるし。だから、帰らないんです。ボクの居場所はココなんです。新潟なんです。
ボクのことを社会人になってから知った人は「何でまた新潟なんて行ったかねぇ?」と思うでしょう。でも、ボクのことを昔から知っている人は「ついに新潟へ引っ越したか!」と思うでしょう。1年目だから言えるぶっちゃけトーク。小学生の時、夏休みの工作でバス停を作りました。ジィちゃんちの近くの「子成場」バス停を真似して。中学2年か3年の時に作文を書きました。タイトルは「ボクの田舎」。父の出身地の新潟県は白根市のコトを思いっきり書いてやりました。高校1年の時の進路、全部新潟の大学を書いてやりました。大学1年の夏休み、10日ばかりジィちゃんちに居候しました。ジィちゃんの原チャ借りて乗ってたら、人生唯一の違反切符、大郷橋のトコで捕まりました。大学2年のとき、学祭の女の子の友達2人とその横にもう一人女の子がいました。「koshinmilkさん今日の集まりは?」「ん~、のめし。」友達2人には意味が伝わらないだろうと思って言ってやったら、バレたんです。横の女の子が新潟人だったんです。その子といろいろと新潟トークをするようになりました。大学4年の就職活動で、新潟交通を受けました。最終の役員面接まで行きましたが、落ちました。そして今、ボクは新潟県民をしています。なるべくして新潟県人になった、と言ってもいいんです、ボクは。新潟が大好きなんです、NSTかボクかくらい。ちなみに「のめし」の意味をばらした女の子が、今の彼女です。
そんな過去があり、そして「自分は薄情な人間だ」とか「自分は親不幸者だ」とか思いながらこの1年過ごして参りました。今の会社の先輩方とも仲良くしてもらい、床屋さんとも顔馴染みになりそうです。そして我が同期のみんなにはホント感謝しきれないくらい仲良くしてもらっています。仲間がほぼ皆無なこの土地で、同期の存在ってのはなんとも言えない物。入社してもうすぐ1年になりますが、誰一人欠けること無く1年間の「契約期間」を満了してみんなで晴れて正社員になれることを、「我が班のリーダー」とある人に呼ばれ、唯一の経験者としてみんなを引っ張ってきたと勝手に思っているボクにとって、これほどうれしいものはありません。これからもみんなを大切にして頑張っていこうと思っています。
新潟に引っ越してきて1年。新潟に来た本来の目的を果たさなければいけません。1年前に白根に越してきて、10月に今の燕三条に引っ越してきました。今2DKに住んでますが、住んでるのはボク一人です。同棲はイヤなんでしていません、お間違いなく。この一人暮らしをやめるべく、ようやく重い腰を上げて、最近「式場探し」を始めました。ただ、二人ともめんどくさがりなうえに、「披露宴はあまりやりたくない」だとか、「どうせなら弥彦神社で」とか、「いちいち移動するのも面倒だ」とか、なんやらかんやらいろんな考えが飛び交い、そしてお互いに休みも合わないしで、ちっとも前に進みません。進んでしまえば早いんでしょうけどね、そこまでが遅いのがボクらなんです。
昨日おとといと猛烈な寒波が来たそうで、ウチの外は今まっ白です。去年と今とでは住んでるトコが多少違うとは言え、去年のウチの周りには白いものは何にもありませんでした。「なんだ、関東と変わんないじゃん!」と思えるくらいの陽気が去年の今頃は続いていましたが、今年のこの様子を見ると、去年がホント異常だったんだなというのがわかります。新潟の冬をなめていました。新潟の冬、ホント厳しいです。そんな新潟で、ボクはこれからも元気に楽しく暮らしていこうと思っています。
ボクの新潟生活は明日から2年目に入りますが、長い未来を見据えると、まだまだ始まったばかりです。
【コメント】
まもなく二児のパパ
ここは大都会の銀座。
じっくり読まさせていただきました。
何分、頭が悪いので書く言葉も見つけられず…。
頑張って下さい。
応援してます。
ここは大都会の銀座。
koshinmilk
まもなく二児のパパパパさん、コメントありがとうございます。
夜中までの勤務、お疲れ様です。
お気持ち受け取りました。
頑張ります!
物見山観光
お疲れ様です。
さて、雛祭りは入社式ですね。
プログ読みまして、貴方の歩んできた人生の重さに、返す言葉は、見付からないのですが、ただその重さに耐えてきた力はこれからの生活に、そして彼女を迎える懐になると思います。
そして、身内という人物は、一年一日と螺は緩み、気付けば居なくなります。
力あるうちに、出来る事、結婚にしろ、親に対して出来る事(親孝行とは、敢えて言いません)、そして仕事やりまくって下さい。
無責任な言葉で、余り使いたくないけど、頑張って!
koshinmilk
物見山観光さん、お疲れさまです。
コメント、すごく心にしみました。
つきなみな言い方ですが、頑張ってこうと思います、ありがとうございます。
なんだってほら、楽しんじゃったほうがいいじゃん!?!?
だから、これからも楽しんでいこうと思っています。
なにとぞお付き合いいただければと思います。
「ちょっと出稼ぎに行ってきます」などと言いつつも涙ながらに別れてきた前の会社の人たちとも、最初のうちは頻繁にメールのやり取りをしていたけど、忙しい・疲れた・眠い・めんどくさいとかテキトーな理由を自分の中で打ち立てて、最近ちっとも連絡しなくなってしまいました。ひどい人なんですボクは。去年の暮れに前の会社の忘年会に参加してきましたが、その時ボクは途中で帰ったんですね、次の用事があったんで。その時みなさんに「じゃあコレで…」とかひとつもあいさつをすること無く、知らぬ間に消えるかのように出て行きました。場を乱したくなかったんでね。「あいさつくらいしてけよ!怒られるよ!」とか言われましたが、ボクスタイルを貫き通し、無言ですみやかに去りました。怒りたきゃ怒ればいいんです。それでムカついたのならお付き合いやめていただいて結構。ボクはそんな人間です。そんな人間でもいいという方は、これからも末永くお付き合いいただければと、そうワガママに思っております。ようは、ボクは薄情な人間だ、ということをココでは言いたいのでしょう。
新潟県民になって丸1年のうち、千葉には3度行きました。6月の弔問、10月の学祭、12月の前の会社の忘年会と仲間の集まり。この3回のうち、母親とは6月に1度会いました。父親とは会っていません。盆や正月には「帰らないのか?」とよく今の会社の人に聞かれました。「帰りません!」と即答しました。12月に前の会社を訪ねたとき、「親を捨てちゃいけないよ!」と言われました。今日も「たまには帰ってやれ!」と会社の人に言われました。心苦しい限りです。「千葉から新潟に来ちゃってご両親も心配してるでしょう?」「いやぁそんなこと無いでしょう!」とか、「親のこと心配じゃないの?」「いいえちっとも!」とかいう会話がよく繰り広げられます。でも、心配して無いことはないんですよ、ボクだって。いろいろ不安要素はあるんです。たまには顔出さなきゃなとも、ちゃんと思っています。でも、我が家の複雑な家庭環境が、ボクの気持ちを複雑にさせるんです。実家があってボクの居場所があればいいけど、それが無いんですもん。だから、なんとなく親の家の家庭訪問になってしますような気もするし、そんなんで妙な気を使わせたり使ったりになるし。だから、帰らないんです。ボクの居場所はココなんです。新潟なんです。
ボクのことを社会人になってから知った人は「何でまた新潟なんて行ったかねぇ?」と思うでしょう。でも、ボクのことを昔から知っている人は「ついに新潟へ引っ越したか!」と思うでしょう。1年目だから言えるぶっちゃけトーク。小学生の時、夏休みの工作でバス停を作りました。ジィちゃんちの近くの「子成場」バス停を真似して。中学2年か3年の時に作文を書きました。タイトルは「ボクの田舎」。父の出身地の新潟県は白根市のコトを思いっきり書いてやりました。高校1年の時の進路、全部新潟の大学を書いてやりました。大学1年の夏休み、10日ばかりジィちゃんちに居候しました。ジィちゃんの原チャ借りて乗ってたら、人生唯一の違反切符、大郷橋のトコで捕まりました。大学2年のとき、学祭の女の子の友達2人とその横にもう一人女の子がいました。「koshinmilkさん今日の集まりは?」「ん~、のめし。」友達2人には意味が伝わらないだろうと思って言ってやったら、バレたんです。横の女の子が新潟人だったんです。その子といろいろと新潟トークをするようになりました。大学4年の就職活動で、新潟交通を受けました。最終の役員面接まで行きましたが、落ちました。そして今、ボクは新潟県民をしています。なるべくして新潟県人になった、と言ってもいいんです、ボクは。新潟が大好きなんです、NSTかボクかくらい。ちなみに「のめし」の意味をばらした女の子が、今の彼女です。
そんな過去があり、そして「自分は薄情な人間だ」とか「自分は親不幸者だ」とか思いながらこの1年過ごして参りました。今の会社の先輩方とも仲良くしてもらい、床屋さんとも顔馴染みになりそうです。そして我が同期のみんなにはホント感謝しきれないくらい仲良くしてもらっています。仲間がほぼ皆無なこの土地で、同期の存在ってのはなんとも言えない物。入社してもうすぐ1年になりますが、誰一人欠けること無く1年間の「契約期間」を満了してみんなで晴れて正社員になれることを、「我が班のリーダー」とある人に呼ばれ、唯一の経験者としてみんなを引っ張ってきたと勝手に思っているボクにとって、これほどうれしいものはありません。これからもみんなを大切にして頑張っていこうと思っています。
新潟に引っ越してきて1年。新潟に来た本来の目的を果たさなければいけません。1年前に白根に越してきて、10月に今の燕三条に引っ越してきました。今2DKに住んでますが、住んでるのはボク一人です。同棲はイヤなんでしていません、お間違いなく。この一人暮らしをやめるべく、ようやく重い腰を上げて、最近「式場探し」を始めました。ただ、二人ともめんどくさがりなうえに、「披露宴はあまりやりたくない」だとか、「どうせなら弥彦神社で」とか、「いちいち移動するのも面倒だ」とか、なんやらかんやらいろんな考えが飛び交い、そしてお互いに休みも合わないしで、ちっとも前に進みません。進んでしまえば早いんでしょうけどね、そこまでが遅いのがボクらなんです。
昨日おとといと猛烈な寒波が来たそうで、ウチの外は今まっ白です。去年と今とでは住んでるトコが多少違うとは言え、去年のウチの周りには白いものは何にもありませんでした。「なんだ、関東と変わんないじゃん!」と思えるくらいの陽気が去年の今頃は続いていましたが、今年のこの様子を見ると、去年がホント異常だったんだなというのがわかります。新潟の冬をなめていました。新潟の冬、ホント厳しいです。そんな新潟で、ボクはこれからも元気に楽しく暮らしていこうと思っています。
ボクの新潟生活は明日から2年目に入りますが、長い未来を見据えると、まだまだ始まったばかりです。
【コメント】
まもなく二児のパパ
ここは大都会の銀座。
じっくり読まさせていただきました。
何分、頭が悪いので書く言葉も見つけられず…。
頑張って下さい。
応援してます。
ここは大都会の銀座。
koshinmilk
まもなく二児のパパパパさん、コメントありがとうございます。
夜中までの勤務、お疲れ様です。
お気持ち受け取りました。
頑張ります!
物見山観光
お疲れ様です。
さて、雛祭りは入社式ですね。
プログ読みまして、貴方の歩んできた人生の重さに、返す言葉は、見付からないのですが、ただその重さに耐えてきた力はこれからの生活に、そして彼女を迎える懐になると思います。
そして、身内という人物は、一年一日と螺は緩み、気付けば居なくなります。
力あるうちに、出来る事、結婚にしろ、親に対して出来る事(親孝行とは、敢えて言いません)、そして仕事やりまくって下さい。
無責任な言葉で、余り使いたくないけど、頑張って!
koshinmilk
物見山観光さん、お疲れさまです。
コメント、すごく心にしみました。
つきなみな言い方ですが、頑張ってこうと思います、ありがとうございます。
なんだってほら、楽しんじゃったほうがいいじゃん!?!?
だから、これからも楽しんでいこうと思っています。
なにとぞお付き合いいただければと思います。