オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

経験を積上げた話と夢物語の違い

2024-09-16 11:39:57 | 銀座の周旋屋

 

 

 子供が10歳くらいまでの人間形成期に、すでに育児から逃げる親は、学習塾やスポーツ・習い事の塾に子供を放り込んで、親の責任を貴方任せにしている。

 子供の命を、金を払ってまでして売り払っているようなもんだ。

 現代社会では普通のこと? 皆がやってるから? 世界中の先進国がそうだから? 人間の世界には、正解というモノは無い。

 そんなあやふやな世界に生きながら、言われるがまんま、教わったがまんま、素直に良い子で過ごすことが善人・賢人だと思いこんでいる猿が多い。

 俺はアチコチの子供らはみな10歳くらいまでは連れ歩いて、常に先頭きって見本になって遊んでやってる。 

 良いこと悪いこと、小さな善悪の括りではなくって、山や海ではこうやって愉快に遊ぶんだと、どこにいっても同じ人間との関わり方はこうやって愉快にやるんだと、俺の生き方をまずは見せてやって笑って居る。

 あとはそれを叩き台にして、それぞれが自由自在に生きて行けば良いだけ。

 その後はたいして文句も言わずに放任、自由自在に好きに生きて行けば良いことだ。

 その最初の10年だけは、キッチリ遊んで仕込んでやって来た。

 どんな環境にいても、自分自身の自己主張をして、自分の意見で生きる、みなスポーツではキャプテンになり、生徒会長になり、引き籠もりや自閉なんてのは一人もいない。

 生まれてから最初の10年を徹底的に一緒に遊んで過ごす、これがあるから幾つになっても離れていても、別に心配も無い。

 子の未来を親が決めたり、子の結婚を親が決めたり、陰気な卑怯者のやることだ。

 テメ~の墓守でもやらせるつもりの、耄碌老人の哀れな素姓。

 俺は俺で相変わらず、自由自在に山や海で遊び惚けて仕事して、愉快に生きているから、振り返らずに前に向かって行け! で蹴飛ばしてやればエエやんか。

 

 ジョージ・ソロスの跡継ぎ息子と、ヒラリー・クリントンに長年に渡って付き添っている娘さながらの側近が結婚するらしい。

 キナ臭い政略だろうが、極悪と極悪を足したら正義になるらしい。

 ビル・ゲイツはどうするんだろうか?

 ここは大笑いして良いところだ。

 ともに滅びゆく未来を予見しての足掻きでしかない。

 

 オツムの軽い安っぽい守銭奴は、千万円くらいの収入を手にすると勘違いしてしまい、ミミッチ~守りに入って、商品カタログを日夜に眺めて消費の情報収集を生き甲斐にするようになる。

 億円の収入を手にするようになれば、社会や他人を見下して、上から目線の慈善事業に精を出すようになるが、それが人身売買・臓器売買の始まりだとは気がつかない。

 日常のキレイゴトも、経験したことのない収入を手にして木っ端微塵となり、あんた自身がゼニカネに身売りしてしまったことにすら気がつかない。

 こういう猿な大人社会を眺めていると、低俗な争いや大きな戦争も、間抜けな我欲が膨らんだだけの風船だと解らないのか? と大笑いだ。

 

 そんな猿な守銭奴らが何億円、何十億円、何百億円の利益を手にする不動産取引に長年に渡ってアチコチで関わって来ると、皆さん揃いも揃って不感症になってゆくのが可笑しい景色の一部になる。

 貧しくてナニも無い、働くのが手一杯でナニも無いという嘆きはよく聞くが、ではそんな猿が溢れんばかりのゼニカネを手に入れるとどうなるのか? 教えてあげようか? そう、やっぱりナニも無いのさ。

 哀れなもんさ。

 あとは不感症と自信喪失を見抜かれて詐欺師に利用されるだけの話で、玩具になってゆくのが関の山。

 銀座や青山にも、千万単位・億円単位のゼニカネが一度の取引で手に入ると人がコロッと変わってる猿みたいな不動産屋はゴマンといるから、一緒に藻屑と成り果てる。

 俺は30年以上、このまんま、ナニも変わってない。

 人として大事なモノを自分独りで育て上げて来なかった報いとは、ゼニカネでは買えない憧れを前にして、後悔と絶望に暮れる老いにボケてゆくだけのことを言う。

 金儲けをする前に、先に確固たる自分を作り上げて無かった猿の物真似。

 ・・・あんたみたいに生きたかった・・・昔からよく言われてるが、それが生きることの結論では、あまりにも退屈な哀れな命の時間だったろうな。

 ゼニカネ収入を増やすことを目的に働いているタコやイカの末路は、たとえそれが叶ったとしても、消費に飽きて目標設定の誤りを自覚する時にはみな手遅れの後悔猿で、キ~キ~ヒステリックな騒音になっている。

 笑える馬鹿たれどもやな。

 

 豊かに、愉しく、ナニにも拘束されず自由自在に動きまわる生の醍醐味は、甘ったるいあんたらには解る訳などなく、真似など出来る訳がない。

 人間社会すべてのことを経験と情報・知識で身につけて、タカをくくって腹をくくってからのお話だ。

 高い山の雲に隠れた頂きに立てば、下界の雨など嘘のように晴れ渡った雲海が無限に広がっている。

 そういうことだろう。

 

 俺が誰かと競争したり比較したりする日常から抜け出したのは30歳台の半ばだった。 

 自営の会社を経営するということは、全責任を負うということだが、すべての日常が俺の思い通りになる。

 しかも借金・負債無しで始めたから、売り上げが上がらずに利益がなければ廃業するだけだし、儲かれば最低限の諸経費を引いた残りは全部が俺の自由。

 これは金のかからない山や海での遊びに嵩じて生きて来た俺には理想的な環境だった。

 あとは他人や社会とのコミュニケーションだけで、それは俺が幼稚園で3回・小学校で6回ほど転園・転校して来た経験で培った手練手管を使えば、ナンと言うこともなかった。

 不動産バブルの前後からさんざんに業界で暴れ回っていたおかげで怖いモノも無く、有限会社のまんまで悠々と生きて来ているようだが、奇想天外なドラマの数はハンパの無いくらいに作り上げて来た。

 腐った死体、残酷に千切れた死体、自殺・他殺かかわらずに哀れな死体、ガキの頃から周旋屋稼業の今でも、そんな人間の末路の遺体と目を背けずにキチンと接することが多かったせいで、あの世や霊魂や宗教にも、目に見えないウイルスや菌にもぜんぜん興味が無い。

 若い人たちはまずは自営を始める為の準備を、社会で叩き上げて身につけるべきさ。

 愉快だし、後悔などないし、遠慮する相手もいないし、借金・負債がなければ自由自在を目いっぱいに謳歌できるさ。

 

 大学で経営や経済を学んだ訳でも無く、専門学校で資格や勉強を学んだ訳でも無く、先輩や師匠についた訳でも無く、親から引き継いだ訳でもなく、ぜんぶ最初から面白可笑しく独断の発想で始めているから、今でも笑って話せることばかり。

 儲からなければ山に登って遊び、流れが悪ければ海で泳ぐ、そうやって何度も工夫をしてやり直していれば独自のバブルも出来上がって来るのさ。

 そうなると社会全般の好景気や不景気なんざ関係がなくなって、俺がいればナンでも出来る、俺がいればナンでも仕事になる、という自由自在な日常が出来上がって来る。

 それでまたまた山に登って海で泳いでと、愉しいことこの上なくなるのさ。

 

 どう生きるかは貴方の自由。

 集団社会のルールだけ守って、あとは自分が笑っておれる環境作りだけを常にしておけば、媚びたり拗ねたり嫉んだり、病的な日常からはオサラバだ。

 

 ・・・ということで、近親者にコロナ陽性判定されたのが出て看病に付き添っていたが、ワクチンなどうってない俺は元気いっぱい、山の美味い空気を吸って源泉に浸かってきたわさ。

 地球上にあるウイルス・菌なんざ、俺の免疫には敵う訳もない。

 神や仏に頼み手を合わせ祈願するのは弱い猿、大人の人間は自分独りで信者や取り巻きなど作らず、悠々と神や仏になって見せる、そういうことさ。

 こう生きておれば、先祖の墓が集う山の上に至極の紫の光が現れて、みな俺についてこい!と、笑い飛ばしてやれるのさ。

 新しい時代は、こうやって生きて行くのさ。

 

雨降らし神社はたたらの神だった

2024-09-11 11:57:38 | 銀座の周旋屋

 

 

 修験者や山伏は、火や炎を巧みに操っていた。

 たたら製鉄という原始の人力による製鉄では、たたらを踏んで炉の火加減を数日に渡って寝ずに調整する熟練職人がいたが、修験者や山伏はそこから発祥していると言っても良い。

 山に籠ってナニやらをやっている強面の変わった人たち、情報網の無かった時代では、里ではいろんな尾ひれのついた怖ろしい噂話が拡がっていただろう。

 高温度で燃え盛る炉の中を覗いて火加減を調整する役は過酷で、その多くが炉を覗く片目を潰してしまっていた。

 一つ目小僧や一つ目の妖怪伝説は、実際に山から降りて来た片目となった連中を、目の当たりにした里の人たちが語り継いで来た作り話だろう。

 棚田は鉄砂流しの痕だし、里の農耕民が耕す田畑には鉄砂流しによって大量の土砂が襲い掛かることもあったから、後に田畑としてプレゼントしていた訳だ。

 雨降らし神社という古い神社も今でも日本中にあるが、これは豊作を祈り雨を降らして欲しい農耕の民が祀り上げたのではなくって、山の上でたたら製鉄に精を出す連中が水を必要として祀り上げたのが起源だったろう。

 その後に製鉄の技術は各段に進歩して、原始のたたら製鉄は影を潜めていった。

 出雲大社などはたたら製鉄の神だが、いまでも古い社として、邪馬台国の話となって観光地になって遺ってる。

 歴史の流れの中では、こうやって真実が歪められて、その時の支配者に都合の良い創作伝説が作られて来ることは、当たり前の話でもある。

 それを元にして時代小説を書いたりする現代の流行作家の罪は、荒唐無稽なすべて作り話の作家よりも重いものだと言って置こうか。

 司馬遼太郎を筆頭にして、NHKの大河ドラマもろもろ、ワザワザ歴史を書き換える所作は悪意すら感じるがな。

 学者や専門家にしても、歪められた事実の上で安穏と研究に没頭しているエリートばかりだが、無駄に恥の上塗りだ。

 最初からパトロンの依頼通りのモノを書いている。

 迎合する無知な大衆は、それを事実にしてしまう片棒を担がされている。

 あ~あ、だな。

 

 虚空蔵菩薩はたたら製鉄が起こした菩薩と言っても良いが、その他の偶像にしてもおなじように原始の製鉄が絡み合っている。

 鉄や火や、そんな鉱物資源に由来するものこそ神や仏を化身として偶像化された。

 日蓮の産まれた外房の漁港には、誕生寺という寺が建っている。

 もともとは真言仏教が盛んだった時代に、独自の価値観を立ち上げた訳だが、のちのちの隆盛はあとに続く弟子たちの激しい争いが成し遂げたと言っても良い。

 多くの人間を動かす、多くの信者を動かす、戦国時代の武将でもおなじことだった。

 本来は独り、独りで納得出来ればそれが本望、他に強制すべきものでもない。

 俺はそう想って66年を生きて居る。

 誕生寺の山の方に足を向ければ、最澄寺がある。

 ここにも虚空蔵菩薩が祀られている。

 日蓮が修行を始めた時分には、天台宗・真言宗に関わる寺としてすでに存在していた。

 この界隈でも砂金が採れていて、たたら製鉄は盛んに行われていた。

 当然に人力がメインの製鉄だから、効率は悪く、大変な労力の割に製品化は希少な価値を持ち、生活・農工具として、兵器として、欲深い人間らが群がっていた訳だ。

 俺はワザと難解にした偉そうな教義や丸暗記の能書きには興味がない。

 その日常をどう生きたのか? を掘り下げれば足元は丸見えになる。

 これは今を生きている人間を見据えるのでも同じだ。

 

 赤のつく山や地名や川、血がつく山や地名や川、これらは辰砂と呼ばれる赤い水銀が採れていた場所に多いが、我が国は島国で海に囲まれているが、古くからそんな鉱山鉱石を探索・採取して、多くの犠牲のうえに鉄や金・銀・銅などの生活用具の元となる原材料を製錬してきた訳だ。

 もっと古くは黒曜石、こういう歴史はオモシロクって、毎週のように山に登っている俺なんかは、いつも現場に立ち寄っては再確認をしていたりする。

 腑に落ちることばかりになったのは、何十年もの膨大な経験の積み重ねからだ。

 今は今でまた、もっと別の話に夢中になっているがな。

 

 おなじ文言を使っておなじ方程式で思惟しておれば、おなじ色の結末に終始するのが当たり前。

 違う文言を使って違う方程式で思惟してなお、おなじ色になれば真実に近いということになる。

 この現代社会で、相変わらずの宗教儀式や体裁作りに日常の行儀を持ち出して、支配管理しようとすることは、すでに嘘八百でしかない。

 宗教の宗派分派争いは、それ自体がすでに枝葉末節な痴話でしかない。

 我が国の宗教なんて、命を賭けて生涯をそれに尽くしたとしても、罰当たりの罰にしかなってはいないことを自覚すべき。

 日本中の大寺院や大宗教派閥の長は、政治家の派閥の長となんら変わらず、もっと言えばヤクザの組長とも中身は変わらない。

 俺は仕事柄でそんな色んな長と若い時分から関り合いを持って来たが、常に対等な心持ちで丁寧に接して来たおかげで、その人物の日常をよく味わって来ているが、たいしたのはおらんよ。

 まだ街で自営の周旋屋を長く続けている爺ィの方が、よほどに感心するヘソ曲がりの変人頑固者は多い。

 昨日もそんな爺さんと下町で笑い合って来たが、後味は良く、気持ちもスッキリするのは、はっきり裸一貫で生きているからだろう。

 なんかよく解らない魑魅魍魎なんて、ハッタリのインチキ野郎ばかりだ。

 

 まずその日の食い物にも困るような日常に庶民を追い込む。

 なんでも言うことを聞く代わりに、食い物を貰い、栄誉を貰い、ゼニカネも貰い、常に与えてくれる者が正義となる社会に貢献する。

 これが現代社会の有り様だ。

 下らないし、退屈な社会に成り下がっているのは、生活の楽を求めすぎた報いだ。

 苦しければ酒を呑み、痛ければ麻薬をうち、辛ければ誰かに拠りかかろうとする。

 俺はガキの頃にそんな大人社会こそが地獄にしか見えてはいなかったから、こんな変な66年を送る羽目になった。

 ここは、大笑いするとこだ。

 

 ところで、半世紀前にラグビーをやっていた爺ィは、日本のラグビーには興味がなくって、昔のオールブラックスではない今のニュージーランドだとペネナラやマッケンジーにサヴェアくらい、スプリングボクスの方が個々で魅力を感じる選手は多い。

 マルコムだとかクワッガスミスなんかは俺の好きなタイプの選手だ。

 今年はアルゼンチンが面白いと想って見ていたが、強く洗練されて来た。

 すでにワラビーズなんざ太刀打ちできないレベルにまで隙の無いチーム作りが出来ている。

 もともと粗削りでクレービーに代表されるようにフィジカルは強かったが、これが丁寧に洗練されて来て、見ていて面白いラグビーをしている。

 いまやってるザ・チャンピオンシップは、相変わらず青春ドラマを続けてる広島カープの試合なんかよりも遥かに面白い。

 新井はアマチュア野球の監督ならば素晴らしいんだろうがな。

 世界のラグビーは仕事やナニやらが多忙でも録画してわざわざ見ているが、フィジーも面白くなってるさ。

 ガキの頃にやってたスポーツは、老いても面白いね~。

 当時は観客もガラの悪いオヤジばかり、いちいち一喜一憂などせずに、トライしても淡々としていて、それが俺は好きだった。

 女子供と言えば差別になるらしいが、女子供が観客に増えると、派手なだけのお子ちゃま色物スポーツになってしまうような、嫌な感じしか俺には無い。

 なんでもかんでもゼニカネか? 哀れ提灯だな。

 


雲の上か、雲の下で燻っているか

2024-09-06 11:51:12 | 銀座の周旋屋

 

 

 小泉進次郎会見の記者質問、どうでもいい話題ばかりをやり合っていた。

 憲法改正や自衛隊の攻撃的な国軍化や、核保有についての話や、ドルや米国債の今後の扱いについての話題などは封印して、大事な質問をワザとさせず、どうでもいい質問ばかりをする芸能担当記者ばかりを集めていたのは、最初からシナリオありきの茶番劇だからだ。

 ホリエモンやユーチューバーなんざAIロボット並にすぐにもっともらしく食い付いていたが、みな役割を持たせられて応援・非難と茶番を盛り上げているだけだ。

 炎上してると言ってAIロボットに炎上させといて、それから間抜けな視聴者を集めて炎上させる、マニュアル通り。

 日本人も集団ワクチン接種で足元を見られて、酷い馬鹿さ加減を世界に示してしまったから、玩具にしかならないだろう。

 

 最初の子供が産まれた時は、たくさん写真やビデオを撮ったりするが、後の子になるとだんだんに少なくなってくる。

 孫もそうで、最初はモノ珍しいからイロイロと残そうとするが、すぐにそんなモノを呑気に見ている暇なんざなくなってしまってる。

 で、邪魔になって捨ててしまうのが自分の老いの日常のこと。

 激しく自分に正直に生きてる俺なんざ、どの年代でも他人様よりも多くの思い出があるから、そんなことをしていたら博物館が必要になる。

 俺が終われば、その思い出も終わりになるように、陰気な骨壺には入らずに大きな寺で土に還してもらうことになっている。

 俺が生きていてこそ、すべてが有となり、滅べばすべてが無に帰する。

 なにも無かったのさ。

 

 とことん他人や社会に関わり合って生きて来ると後悔などナニも無く、もう充分に生きたという想いばかりがいつもあり、日常は気紛ればかりで過ごすようになる。

 もう10年くらい前から、仕事も多くの関わり合いや付き合いから生じるモノばかりになっておって、新しく仕事を作ることもなくなっている。

 新規の顧客もこんなワガママな爺ィでは、嫌になるだろうと笑って居る。

 億単位の利益でも興味もなくって、健康に悪い、不愉快な仕事はこちらから願い下げ。

 ナニにも拠らない自営を長く続けて居ると、こんな周旋屋はあちこちにいる。

 70歳80歳の自営の周旋屋の爺様連中は、世に言う魑魅魍魎よりも怖ろしい獣になっておるから、感動や感傷には無縁となって、冷ややかに笑って会話をすることばかりになった。

 ゼニカネ守銭奴や名誉や名を売るなんざ、小賢しいガキのやることよ。

 刺激の無くなった現世から、一緒に地獄へと遊びに行こうぜよ! そんな想いがある。

 ただし、道連れにはしてやるが、地獄では俺も刺激を求めて忙しくなるだろうから、すぐに別行動だで。

 一匹の獣で生きて行く愉しみを知らないガキには、意味など解らないだろう。

 

 トラブルやアクシデントを自作自演で起こして報道して、それに色んな専門家や視聴者がという形でコメントをする、そこにいるのは生身の人間ではなくって、すべてAIロボットがやっている創作劇場、こういう景色がメディア媒体では安上がりで出来上がる。

 そんな時代になっている。

 新聞やテレビは制作の側にロクな人材がおらず、予算を削って利益を確保しようと必死にインチキを続けて居るが、ネットの方もAIロボットを使って報道を始めている。

 人間が語っているような報道や、人間が感動しているようなニュースも、みなAIロボットがやり始めており、そのコメントや感想も人間ではなくAIロボットがやっている。

 ニュースの語彙や単語に即座に反応するAIロボットは、株式市場などではすでに当たり前の景色になっているが、現代社会の至る所にそれは普通に入り込んで来てる。

 地震予知、天気予報、交通情報にしてもAIロボットがやるようになっている。

 田舎の情報弱者な人たちや、ネット中毒の都会の若者たちは、みなAIロボットに振り回されてすでに日常を送るようになっている。

 そう、そこのアンタのことさ。

 目を醒ましなさい。

 新聞・テレビよりもインチキが簡単に出来る媒体がネット、しょせん情報は媒体を通さずに現場で常に自分で手に入れて行くのが本当のことだ。

 

 仕事の合間に、朝と夜に乗ってるスーパーカブ110ccのチェーンとスプロケットの交換をやって来た。

 新車から3年で17000キロ、ここんとこ毎月のように緩んだチェーンを締めていたが、さすがに限界だった。

 燃費がリッター60キロ超えているから良いバイクには違いない。

 山や海に出掛ける小型の4駆のガソリン車もリッター15キロくらいは走ってる。

 だんだんに、小さなモノが使い易くなっている。

 マニュアル車に長く乗っていたからセミ・オートマのようなエンジンブレーキが使える車に乗っている。

 山道・獣道ではブレーキはあまり踏まない。

 他に小型の1ボックス車もあるが、これは仕事に使っているからリッター11キロくらい。

 そう考えるとスーパーカブの燃費は無茶苦茶に良い。

 若い貧乏な時分は仲の良い中古車屋から毎年2~30万円の車を買って直し直し乗っていたが、儲かり始めて外車・希少車・高級車と、多い時は5台くらい持って随分と派手に車には金を使って来たが、前期高齢者になり目も見えなくなって来たから、3~4年前に来るべきインフレを想定してとっとと全部を整理し買い替えておいた。

 昔と違って今の車は安全装備があり過ぎて邪魔になるが、それも解除できるものが良い。

 小さな車でも性能は格段に良くなっているから、老いたら身に合った小型車が良い。

 すれ違いの出来ない未舗装路の山道・獣道を暗い時分に走るにも、今の小型車はヘッドライトもオートで明るくて楽に乗れる。

 常に自分に必要な新しいモノは取り入れている。

 

 資産100億円くらい持っている中国人は500万人~1000万人はいるだろうが、米・英・欧・中東だけでなく日本にもやって来ては不動産を買い漁っている。

 観光でやって来ている中流中国人らとは違って、溢れるくらいに金を持っている。

 たいして使うこともないが所有して、治安の良い日本にもイザという時の逃避場所を作っているようなもんで、老いた親の最期の楽園にもなってる。

 日本で叩き上げて来た同じ中国人がやっている不動産屋を通し、登記も中国人の司法書士を使い、おなじ中国人や台湾人に高く売る者もおり、銀座でもそんな建物は人影もなく、民泊の代わりに使われていたり、詳細不明なビルもある。

 日本に麻薬や偽ブランド・偽アルコール類を持ち込んで闇で売りさばき、その円を使って日本の不動産を購入し、マネーロンダリングしている外国人もいる。

 色々あるが、40数年前の不動産バブルをド真ん中で謳歌していた俺なんざ、すべてが丸見えで可愛らしい。

 どんな人間でも、可愛らしい。 

 

 残酷な傷めつけ合いや殺し合いを見ながら、優雅に飲食をするのが、贅沢三昧で不感症になってる金持ち支配者の趣味嗜好だ。

 皆さんは柔で優しい感傷主義に逆上せあがって、ディズニー童話の世界で真綿で首を絞められてる。

 人間の社会とはそんなもので成り立っているから、戦いや競い合いなんざ奴隷管理の一工夫、そうやって上には視線がいかないようにご褒美をくれてやってる。

 見てられない惨状喜劇だが、いよいよ本番が始まるよ。

 氷のような肝で冷静でいられるかな?

 

 高齢者やその高齢者に従順な子や孫らは、みな医者や病院の言うがまんまの仲良しゴッコを続けて居る。

 俺は昔から医者や病院は自分の身体を見せて判定させる訳だから、常に警戒して喧嘩腰で出掛ける場所だと思っている。

 仲良くお話相手になってもらい、薬を貰う場所では無い。

 寂しい高齢者の話し相手、無知で貴方任せの現代人の指南役、その正体はロボット管理のマニュアル医療。

 先生と呼ばれる職業ほど、煽てて喜ばさせれば不動産はよく売れておったが、そんな先生に褒めてもらって喜んでる幼児な大人社会では、医療詐欺は無くならんよ。

 先生と呼ばれてる世界は、知識や経験で武装して出掛ける場所なんだがな。

 

 上場企業の有利子負債額は毎年コンスタントに増えていってるが、1位トヨタの36兆円、2位ソフトバンク20兆円(グループ会社は別に6兆円)、3位野村ホールディングス13兆円がこの春の変わらない順位だったが、ここに来てホンダが4位で10兆円を超えて二桁兆円の仲間入りを果たして来た。

 メディアの煽りとは関係なしに、みな毎年毎年順調に増えて行っている。

 拍手喝采だろうな。

 

 新型コロナ詐欺の大騒動に加担したのは、借金・負債まみれだった病院や医療関係者たちだったが、その報いは長い時間をかけてその身に戻ってくる。

 資本主義経済では、借金・負債を負った時点ですでに負け、完済したとしても負け、その意味を知るには長い自営の時間が必要だろう。

 住宅ローンを組んだ段階で、すでに口封じをされて身体拘束が始まってる日常では、見ざる聞かざる言わざるの猿の衆らが、酒と薬で時間潰しと見ないフリに精を出す。

 哀れなもんだな。

 

 日本がある場所は常に偏西風が吹いている位置にある。

 最近の台風はこの大原則に反して、太平洋高気圧に押されて東から西へと移動することが多いとは言うが、どうもグアム近辺で人工の低気圧の渦を作ってはアジアに向けて移動させているような感じがする。

 長年に山に登っている俺なんかでも、異常を感じるような気象が多くなってる。

 しっくりこない、なんか嫌な感じ、地球や宇宙の動きであれば素直に受け入れるが、受け入れ難い人間の蠢きを察知している、そんな感じだ。

 こんなことを言っていると陰謀論者だとか怪しいジジィになるから、はっきりと確証が持てたらまた書こうと思う。 

 

 名山とは、その人が日常の社会で、独りで、自分に嘘をつかずに生き続けて、その時に無心に登る険しい山のことを言う。

 この島国には、山はいくらでもあり、その山の名前も登り口で違っていたり、皆が蜜に群がる蟻のように行列する山のことを百名山と呼んでいるブームにはほとほと呆れ返ってしまう。

 暇だから、オモシロそうだから、体力があるから、山に登る根拠や動機がそんな程度だからこそ、遭難して愕然としてサヨウナラになっている。

 現世で厳しく闘い続けて生きて来た者らの行きつくところが山や海なのが本当で、お子ちゃまが入り込んで行く場所なんかではないと、言っておこうか。

 難所と言えども整備された道や、トイレや山小屋があり、標識がいろいろ出ている親切丁寧な百名山~三百名山ばかり登っている連中なんざ、マニュアルだけで社会を生きてる猿とおんなじで、日本の山のことなんざナニも解ってないだろう。

 ナニが起きても自己責任、ナンでもありの地球の表層、だから刃渡り30センチの小刀くらいはいつも俺のザックには入っている。

 群れから離れた獣の自己責任とは、殺るか殺られるか、だけ。

 山に登る動機の違いや生きて背負っているモノの違いを思うに、言葉にもならない笑いがこみ上げて来て、また人がいない険しい山へと向かっている。

 背中には現世で亡くなった人を背負っていることが多い。

 気紛れなんだな。

 なによりもタチが悪い獣ではある。

 


牛に引かれて裸でおれば雨はやむ

2024-09-02 11:14:21 | 銀座の周旋屋

 

 

 都内関東近郊は一日、雨模様の予想だった。

 雨の降らない2000mを超える山々の高所天気図は描いていたから、あとは当日の高速道路の混み具合だけだった。

 もう海の天気図は描かなくなって、山を描いている。

 皆さんがいつも見ているメディア染色の天気図とはぜんぜん違うものだ。

 信州も新潟寄りの2000mを超える山々は曇りから晴れ、薄い雲の上か中かは気まぐれ、気温は10℃前半という俺の想定どおり、気持ちの良い山歩になった。

 ときどき雲が切れ太陽が顔を出し、遥か下界の暑苦しい景色が見えていた。

 山は木々の紅葉や草紅葉が始まっていたり、まだ花が咲いていたり、昆虫にキノコに生命のあるもの等が蠢いて、人のいない獣道には糞があちこちにあった。

 久しぶりの本格登山だったが、汗もたいしてかかず、良い感じだった。

 ずっと太平洋で優雅に泳いでいた足腰にはキツかった。

 大雨・雷雨の影響で空いていた高速道路とおなじように、山道悪路に入っても空いていた。

 高山植物もいろいろ咲いて実っておって、蜜を吸う昆虫は群がっていた。

 風は強く吹き続け、雲脚も早く気持ち良かった。

 ザックにはいつも雨具類も入っているが、もう10年以上は使ってないだろう。

 毎週まいしゅうのことだから、そのくらいに天気が読めるようになっている。

 涼しく乾いた風のおかげでたいして汗もかかずに飲み物も3本持っていたが1本も飲まず、下山して着替えてから、美味しいソフトクリームがあると聞いていた店に立ち寄った。

 レモンと蜂蜜の入ったソフトクリームは、久しぶりにしっかり歩いた後だから、メチャクチャに旨かった。

 景色が良いだろうと読んで立ち寄ることにしていた源泉温泉に向かう途中、腹ごしらえをしてからふと気が向いて 牛に引かれて善光寺 の崖観音にも立ち寄った。

 登山靴も脱いでサンダル履きで、着替えも済ましていた恰好で、前日までの雨に濡れて悪路になってた奇岩の聳え立つ隙間を一気に登ったが、とても蒸し暑く、この日一番の大汗をかいてしまった。

 着替えがもうないから、誰もいなかったので上半身裸になって、入浴前にシャツを汗で濡らさないようにして観音堂へ顔を出したが、向こうには雲に隠れた浅間山が見えておって、良い景色だった。

 布岩という岸壁と氷という地名、千曲川沿いの昔話をイロイロと思い出しながらゆっくり滑らないように降りたもんだった。

 昔は電気で動く電車も来ていた場所が、いまは閑散として名残すら薄くなってる。

 そういえば奥秩父の三峰神社の下にも、古い時を遺す場所はあるが、閑散としている。

 絶景を眺める源泉にゆ~るりと浸かって、1袋100円200円の野菜の袋を買い込んで、ダレた身体でハンドルを握った。

 いつも肌色の腹巻をして腹の袋を仕舞って、相撲取りのようにパンパン叩いて入浴するが、いまだに好奇の視線は浴びている。

 この国のオストメイトは温泉には浸からないのか? 10年、毎週毎週こんな行動をしていても、一度も同じオストメイトには出会ったことがない。

 ところで稲穂はあちこちで頭を垂れ、豊作のようだが、都内では米騒動らしいね。

 蕎麦の花もあちこちで咲いていたよ。

 帰りの上信越道はガラガラで、空いてる関越も花園で降りてガソリンを給油してまた高速に戻り、悠々と帰って来た。

 ただし、観音堂を上半身裸でウロウロした罰が当たったのか、都内に入ると大雨雷雨にやられてしまったさ。

 俺は産まれた時はナニも持たずに産まれ、いまも自分にはナニも持たずに生き、このまんま死んでゆくつもりでいる訳だから、罰を当てる神や仏がいるものならば逆にこの俺様が締め上げてやるわい! とほざいていると、ピタッと激しい雨はあがったさ。

 

 一億総自営化、一家で一社、こういうことを不動産バブル弾けた頃から俺はずっと笑って言って来ておって、自分自身も30代の半ばに自立独歩で自営を始めた。

 無借金・負債無し、ナニにも拠らず、グループにも関わらない。

 常に独りで即断即決、社会や国家の圧力に対しても、売られた喧嘩は買っている。

 そんな自営を続けておれば、どんなにこの国は狂い果てているかがよく解る。

 群れて言うことを聞く奴隷だけが優遇される世の中社会、俺には馴染めない。

 人の寄り付かない高く険しい山の頂に立って下界を見下ろしていると、人間の社会には降りて行きたくないと思うことはいつものことだ。

 仕掛けて生きて関り合って増えてしまった手のかかる人たちがたくさんいる以上は、出来ない相談だがな。

 だから源泉の湧く湯に直行して、地産地消の旨いモノを喰らうことにしている。

 

 南海トラフの大地震騒動が少しおさまったら、今度は台風10号騒動、この国は自然災害の多い国だから、そこを突いて人為的な災害を起こすことでメカクシ斜眼帯、大事な話を見せないようにして、淡々と庶民をメディアで洗脳して行く。

 芸能・スポーツ・娯楽はすべてが奴隷のガス抜き、米騒動も米価額を上げて一件落着。

 安い猿芝居だが、善良なるド阿呆庶民様が加担して、自分たちの首を絞めて行ってる。

 40年前に不動産営業の世界でまずはの目標としていたのが年収一千万だったが、今でもそれは変わっていない低賃金の癖に、慈善事業の神様仏様。

 次は自衛隊の軍隊化と徴兵制の復活と核保有国への道が、そんな善良なるド阿呆庶民様がたの応援する素敵な小泉進次郎総裁によって始まる訳さ。

 米国の優秀な植民地として、自爆テロを続けるメディア奴隷の猿の群れ、か。

 いよいよBRICS諸国が米ドルを使わない共通通貨を立ち上げる時に、だ。

 

 豊予海峡に橋を作り、九州と四国を結ぶという計画がある。

 神戸の大地震の時は明石海峡大橋を作っていたが、この辺りは断層だらけの日本でもおっかない場所で、その引き金を引くことになるだろう。

 地盤の弱い場所で、亀裂の入ってる場所で、深く強い力を叩き込めば、ナニが起きるかくらいは解るだろうにな。

 二酸化炭素を海底の地盤の中に穴を掘って注入して廃棄するなんて罰当たりなことを北海道でもやって大地震が起きているし、長野でも天然ガス掘削を続けたおかげで大地震は起きているが、その因果関係には触れないようにメディアは操作を続けて居る。

 かくいう東京湾でも、地球温暖化阻止だと称して二酸化炭素を海底の地盤深くに注入して廃棄する構想があるのをご存じか?

 大地震は自然災害だと信じこませておいて、こういうおっかないことを島国では平然とやり続けていることを、メディア奴隷な庶民様がたは知っていても知らんふり、子や孫の代に先送りして、今が良ければそれでエエんだとさ。

 

 思えば人間の社会なんざ、大昔からナニも変わってはいない。

 小利口な連中が策を練って手練手管でお馬鹿な連中を騙して儲けて支配する。

 そこで愛だとか恋だとかウザい話題で花を咲かせて、女・子供を操ってしまう。

 弱い男どもはそのまわりをウロウロうろついて、せっせと求愛ダンスを踊っている。

 騙される方が悪いとは思うが、騙す方も馬鹿には違いない。

 ナニが楽しくて生きているのか? と、俺なんかは近づきたくもない。

 

 

 

 馬鹿面さげて暮らしてる猿の島国には、馬鹿面した外国人観光客しか訪れない。

 銀座・築地界隈を大勢うろついている外国人らは、携帯画面だけを見て生きて居る。

 情報難民には情報難民、地元の人間は近寄らない店にたむろしてる外国人は、ナニしに来てるんだ? 

 日本は哀れな後進国になったもんだ。

 


スイスイ走って南房総を軽く1周

2024-08-26 11:38:07 | 銀座の周旋屋

 

 

 夏の終わりに、本州最東端の太平洋で、黒潮をまたたっぷりと体感して来た。

 もう海水浴客などはおらず、いつものサーファーがポツポツといるくらい。

 この夏もたっぷりと海で泳いでいるから、そろそろ山に戻るか? と思ってはいたが、前日から俺の描く天気図では山はどのエリアもジトジト雨模様で、こういう時は無駄な時間は過ごさない。

 命の残り時間が少なくなって来たジジィは、いつも笑って生きて居たい。

 午後から高速の混み具合を眺めて、ではではと前々から気になっていた場所へとスイスイ向かう。

 房総に遺るアイヌの話から、甲斐武田家から分かれている房総武田家の古い寺社も巡って、のんびりと住職やらと笑い合って来た。

 この夏は源泉は諦めて、泳いだ後の魚料理も毎週のことで飽いていたから、土鍋で熱々の麻婆茄子を喰らって、辛いタンタンメンも喰らって、米がズンズン進んでしまい大盛り2杯もペロッと食べてしまった。

 真っ黒に日焼けしているから地元の漁師やサーファーが食べに来る店でも違和感がなく、妙に馴染んで久しぶりによく喰ったが、美味かった。

 ヒステリックに興奮状態のキョロキョロ猿な観光客などいない、静かな店が良い。

 どこの田舎でも、稲は実り、都会の愚かな米騒動を笑い飛ばしてやってる。

 仲買人を通さずに、地産地消のモノを直に頂く生活をしておれば、経済は解る。

 帰路は海辺を避けて房総の台地の上を北上して帰って来たが、猪・猿しかいないような真っ暗闇の山道は、満腹になって眠くなるのを止めるのにはちょうど良かった。

 千葉は最高峰でも400mそこら、いつもの1000m超える山道・獣道とは緊張感はぜんぜん違ってた。

 房総武田家は里見家に滅ぼされて・・・というのも嘘だろうな。

 この国の戦国時代以前の話は、江戸時代以降に作られた妄想にも似た脚色ばかりで彩られているが、これは日本中の歴史でもおなじだろう。

 嘘ばかり、江戸時代以降の平和ボケな時代が、そんなキレイゴトをたくさん遺している。

 明治維新なんざ、教科書で習う登場人物らはみな英・米のスパイ・子飼いとなって動いていた猿の演者ばかり、恥ずかしい話だったと言っておこうか。

 いなかったことにされている人物はたくさんいるし、歴史から無視・抹殺されてしまった賢者の実話を探して生きている方が愉快ではある。

 学問だとか、専門家や教授だとか、とにかく現代の日本人は下らんよ。 

 

 温泉を運んで来て、温泉気分を手軽に味合うとは言うが、確かに皮膚の病などには効能がある湯もあるが、身体の内部に効能を求めるのならば、源泉の湧く場所で、その場所の自然の空気とともに放射能も頂く、これが本当のことだ。

 湯の温もりで血行を良くするのは一時的な効能で、長くは続かない。

 皮膚がツルツルになっても、翌日には戻っている。

 放射能を肺や腹から吸い込んだ効能は、ジワジワと身体の免疫を対放射能で甦らし、バランスの良い免疫抗体を作り治す。

 人間は微量の放射能が無い場所では生きていられない。

 それを逆手にとって、毒をもって毒を制すように源泉にゆっくり浸かる訳だ。

 標高1000m以上の場所でなければ、ダメだろうな。

 俺の長年の経験だけで言っている。 

 

 金儲けのための人脈や、仕事や趣味のための人脈や、根も葉もない風習や宗教による人脈は、生きて行く上ではなんの意味もない。

 同志だの同僚だの親友に幼馴染、これはむしろ害にすらなっている。

 自分や大事な人たちを守るためには、互いの生き様を晒し合って、その日常を独りで何十年も隠さずに貫いて見せ、それで惹かれ合うナニかを身に付けてこそ、手に入るものだ。

 困った、行き詰まった、では相談して、良いトコだけを楽して貰おうとしても、結果は聞いた情報のように同じにはなる訳もない。

 言葉や文字だけではない、その日常の細やかな機微の積み重ねを持たない守銭奴には、期待してる結果は夢と終わるだけ。

 本当の人脈や壊れない関わり合いは、そんな安易な猿には手に入らないさ。

 大笑いしてやるさ。

 

  日本のメディアや、文化人・芸能人・専門家にMC等の立位置を見るのは簡単だ。

 日常の報道を眺めながら、アメリカ絡みの話になると公平さを失い、駐日米国大使館の指図通りに動いている猿の衆は、日本を玩具にしてきた輩だと解る。

 地球温暖化や中露に対する偏向報道、特にコロナ騒動からワクチン接種、アメリカ大統領選挙の報道の偏った内容などを見ていると馬脚を顕しているだろうよ。

 どんなに真面目そうで、まともそうな演者であっても、その魂胆が丸見えなお笑いのカテゴリーに入る猿芝居なんざ、真剣に見ている視聴者の方がどうかしてるぜ。

 

 人間の敵となる生き物はすべてが悪で、絶滅まで追い込むのが正義だというような、ふざけた価値観が社会には浸透している。

 人間に害となる生き物はすべて抹殺しろ! と、ヒステリックに叫ぶメディアがある。

 宇宙や地球は、人間だけのモノではなく、人間なんざ地球の瞬きの時間くらいしか生きていない小虫のくせに、よくもま~我欲に駆られて偉そうなもんだと俺は想っている。

 気に入らなければ、殺せ、怖ければ、除外しろ、興味がなければ、消去しろ、こんな安易で短絡的な人間社会では、じきに人間自身が自爆して地球上から消されてしまうさ。

 アレルギーだから避けろ、タイプではないから視界に入らないで、皆さん常に自分が中心で欲望のおもむくまんまに生きることが、良いことだと考えている。

 随分と、弱っちく堕ちるに堕ちたもんだと、笑うしかない。

 小さく神経質に生きる人間は、もはや生きる場所など無いと気が付かないのか?

 偉そうな人間にはそれが解ってない。

 

 人間の世界で、誰にも負けない中身とはナニなのか? ガキの時分によく考えていた。

 家は、貧しくはなかったし、高学歴ばかりが揃っていたし、大企業に入っている者ばかりだったが、どれもこれも俺から見れば半端者ばかり、弱い本音は見え透いていた。

 敗戦後の情けの無い身売り社会は問題外で参考にはならず、頑張って認めて評価してもらうことが目的の努力や苦労なんざ、見ていて哀れさしか感情は湧かなかった。

 自分の評価は自分でするもんだろう。

 自分の評価こそが一番に手厳しいものだし、一番に優しいものでもある。

 どう生きれば、どういう立ち位置で生きていれば、人間の社会では悠々と生きて行けるのか? そういうことばかり大人社会を見渡しながら考えていた。

 生きるって、ナニ?

 どう生きて行けば、良いの?

 世界中の哲学書や宗教の本を貪り読んだのも、10代の頃に家に寄り付かなくなって広島の街で悪さの限りを尽くしていた時分だった。

 そのまんまヤクザな世界には入らず、高校を留年し卒業し、東京に出て来て、まずは自分で好きなことをやりながら食べて行こうと考えて詩や小説を書き始め、自費出版の文芸誌を発行することを始めた。

 とうぜんに喰えるものではなかったから、あらゆるバイトを掛け持ちしながらだった。

 本はジャンルを問わず、怖ろしいくらいに貪り読んでいた。

 質屋やエロ本屋や大人の玩具屋くらいしかスポンサーはおらず、それでも自費で出版した本をバイクに乗せては紀伊国屋やらの本屋の店先に並べさせてもらった。

 流通を通すことはしなかった。

 その頃はまだ、そんなことが出来ていたが、今は流通からして管理されて、権力社会・官僚社会に盾突く出版物は仲間外れにされて、庶民の手には届かない。

 携帯やネットメディアが栄えて来て、これはどこまで自由に出来るのか? と眺めていたが、この頃は興味も失せて来た。

 俺は周旋屋が天職だったんだろうとは思っているが、これはガキの時分に転園3回、小学校を6回転校して家や引っ越しには詳しくなっていたせいでもある。

 だから今でも、もっとナンか自分に出来る愉快な仕事があれば、変えてみたいという気持ちはある。

 生きる場所は地球の上、住まいも地球、それで充分だろう。

 

 短期の金(ゴールド)は円高に喰われて下がっている円建てのおかげで、そろそろ喰って置いても良い時期になったが、気温は下がらないが吹く風は秋を感じるようになったので、どうすんべ~かな。

 ドル建ては静かに静かに最高値を更新しては売りを吸収している繰り返し。

 台風10号は太平洋高気圧が発達して強い勢力になって来ているから、メディアのお祭り騒ぎのコースは通らないだろう。

 台風の勢力がそれほどでもなければ、東シナ海に抜けるかもよ。