季節はめぐる、日本では、世界でも珍しいほどにこの季節というものが細かくいろいろ愉しめる。
なのに、だ・・・予定で動き、金儲けが先にあり、どうでも良い欲求と自我でそれを見逃してる日本人。
俺はガキの頃から、ナニにも増してそれを優先して生きて来てる。
他になんかあんのかい?
他にそれ以上の価値あるものが、あんのかい?
家の庭に花や木を植える、庭園を造る、池を造る・・・出掛ければ幾らでももっと凄い景色はある。
自分だけのモノが欲しい? みみっち~民族になり果てたもんだ。
子供を育てる、美味しいモノを喰わせる、オモシロイ作りモノを見せる、素敵な家に住まわせ、お洒落な格好をさせてやり、流行というマヤカシを着せ替え人形のように着せる・・・で? 山や海には出掛けないの?
そこで色んなアクシデントに一緒に遭い、それを愉しむ知恵や工夫を教えてやらないの?
すべてがゼニカネだけの、猿真似消費活動で終わってる。
身体障害者となる・・・生きるか死ぬかの8時間以上も開腹したまんまの大手術に臨む前に、仕方がないことだが、中途半端な障害が残ってしまったなら、地獄だな~、そんなことを考えてはおった。
まず性的不能、インポになってしまったら、俺の生はご破算となる、そうも想った。
1カ月半の入院を経て退院し、すぐに銀座の店に普通に出るようになったが、痛みと腹から出した腸の周辺の皮膚の酷い傷が治らず、5カ月間毎日24時間、地獄の苦しみを味わって、生きてること自体、嫌になったもんだ。
みなさんは退院して復活した周旋屋のとこに、いつも明るい笑い話を聞きに来る。
冷や汗流しながら、笑っておった。
5カ月間も右肩を下にした睡眠しか出来なかったから、その影響であちこちに合併症とも言えるガタが来た。
それでも3か月目くらいから里山をトボトボ歩き始め、温泉にも浸かって、泳ぐ練習もプールで始めた。
痛みとその折々の準備や後片付けがメンドクサイものだったが、それでも山登りに担ぐ重いザックが、早く担いでくれ!と、俺をけしかけていた。
60年、ガキの頃から山を歩き、海で泳ぎをして来た爺ィにとって、一番キツイ時期だったろう。
雪山の頂で、凍り付いた身体に浴びる朝日の温かさ、それと似たような想いを感じたのは、退院して半年くらい経った頃だった。
永久オストメイトにはなったが、傷も癒え、その他の部位には幸いにも障害は残らなかった。
普通に登っていた2000mの山の頂に、何度も転んで泥だらけになりながらも、肺が破裂しそうになりながらも辿り着いた時、目頭が熱くなった。
あとはガンガン自分の身体を鍛え直し、山に登り、海で泳ぎを始めるだけだった。
肺が、まずイカれていたから、筋肉の悲鳴よりも肺の悲鳴が先だった。
オストメイトとなって山に登り、海で泳ぐ。
腹のパウチは剥がれたり漏れたり、最初は数えきれないくらいにアクシデントに見舞われた。
すぐに海外から情報を集め、まず自分の身体と行動にベストなパウチを探した。
補強や保護、それに使う商品がなければ代用品を探したり作ったり、いろいろ自作もした。
いまでは実にシンプルなこととなって、健常者とナニも変わらない登山・遠泳が出来るように戻った。
まず知識がなければ不安は倍増し、キリの無い悲観がオツムを襲って来る。
それをことごとく解決し、次は行動あるのみとばかりにナニが起きても慌てない覚悟で、厳しい山に登り、荒れた海で泳ぎ始めた。
もう、心配事はなくなってる。
往復6~8時間くらいの運転をこなし、登山8時間前後、遠泳4時間前後、いっさい問題は起きなくなった。
生きるには知識と知恵、あとはどんどん行動することだ。
行動することでオツムの中はどんどんシンプルになって行く。
自然の中で遊ぶこと、それ自体がアクシデントの連続で、それを愉しむのが遊びでもあるが、それ以前にオストメイトとしての不安やアクシデントがあるということは、遭難に繋がって行く。
医者や看護師や病院は、無理をさせないような、後ろ向きなアドバイスが多い。
それでナニか起きたら責任は負えないからだ。
身体に障害を負ったなら、まずそれに慣れること、慣れたらどうするか情報を集め考えること、そうして行動して応用することによってオリジナルな障害者としての愉しい日常が始まって行く。
一度しかない命、くよくよ考えてるうちに、とっとと終わっちまうぜよ。
なんでも笑ってどんどん挑戦することだ。
いまの俺はオストメイトではあるが、ナニをするにしてもタブーや制約は持ってない。
なんでも出来る。
それも健常者よりも行動し続けている。
片足失って義足の父親が娘に泳ぎを教えていた。
・・・お前さんも、凄い男だな~
障害者同志、笑い合ったもんだった。
俺にはまだまだ登りたい山々があるし、泳ぎたい海がある。
パラリンピックみたいな健常だった頃を懐かしむような、未練な競技には興味もない。
今の俺に出来ること、それをやり続けることさ。
腹の底から大笑いしながら・・・。
それを子供らが目を輝かせて見ている。
一緒に遊ぶ、一緒に大笑いする。
生きてるって、そういうことだろう。