ラグビーだけでなく、バレーやバスケットボールでもワールドカップが行われている。
相変わらずメディア全体での自画自賛、内弁慶の極み、有頂天なお祭り騒ぎは見るに耐えない恥ずかしい幼稚さだけが浮き彫りになってるが、まわりに聞かれれば、俺はいつも・・・アンチ日本だ!・・・と答えている。
どうでもいい、それが本音だが、消費者を騙して煽ってばかりの古臭いメディアの自作自演と乗せられてる間抜けな猿を見てると、わざわざアンチだと言うようにしている。
戦後の高度経済成長時の、エコノミックアニマル馬鹿騒ぎを、いまでも続けてることが不思議な喜劇。
当時も、俺はひとりで現地の女に会いに行き、そんな日本人のオヤジ連中を恥ずかしい思いで眺めて居った。
これで国民の多くが本当に一緒に興奮してるとしたら、こりゃ~不感症・変態の集団になってるということだ。
先進国なんかではなくって、ただの野蛮な島国原住民、阿呆も休み休み言えや! という惨状だ。
1億超えるマンションが売れてるとは言うが、その程度のマンションには田舎者の成金か、親がかりのヒヨッコか、無理した借金族か、安い価値観のヒヨッコか・・・そんなオツムの軽いのしか集まらない。
ちょっと小金を持って勘違いしてるのやら、俺なんざ、関わり合いたいとも思わない。
情報難民、偏向教育、オツムパッパラパーの所以だな。
令和の時代に? 笑っちゃう。
子供をいろいろ育ててきてると、最近の男親がやるという育休、この意味がさっぱり解らない。
そもそも、子供を育てるという意味が解っておるのかどうかも疑わしい。
母乳が出ない男は粉ミルク飲ませて、こまめにオムツかえて、寝かせて、起きてるときは目を離さずに一緒に遊んで相手をしてやる・・・これは親ならば父母どちらでも当たり前のことで、それが育児だと言われると???だ。
それだけ?? のために仕事を休んでるの?? 偉そうに育休だとほざいてるの??
メインはあくまでも子供であって、育休がどうたらなんて話はしょせんは親の側の安い自画自賛でしかない。
男親には男でなければ出来ない子育てというものがあり、母親とおなじことをワザワザ仕事休んでまでしてやってる姿はド阿呆そのもの、ひとりの子供しか育てない親が多いから、両親の自己満足と自意識過剰で終わってる。
親と子で二人遊び、これは母親がやってれば良いことだが、この頃は楽しく遊べない母親も多くって、おなじようなのが集まっては子供らを傍で放置して携帯いじってる。
男親が仕事の合間や休みに、みなを連れて山や海に出掛けて、自分の生きて来た経験と知恵の限りを見せてやる。
自然相手だといろんなアクシデントが起きるし、そこでなんでも対応してやって大声で悠々と笑ってみせること、先頭に立って遊びを教えてやること、人間の現実社会での生き方そのものを見本となって叩き込んでやること、その都度に、人間の習性や癖や良い面と悪い面、いろんな話を聞かせてやる。
山でも海でも、狩猟本能と採集本能を研ぎ澄ます。
自分で食い物は獲って解体し、喰う。
これは動物の基本行動だ。
そうして理にかなった方法で糞をして、休み、遊ぶ。
ごく普通に、そんな楽しみを知った女親は準備や片付けを進んでするようになり、男親に行動は任せるようになる。
俺はそんな家を、いくつも作って来てる。
都会育ちの女でも、俺の子を産み育て、ずっとそんな生活をしてくると、180度生き方価値観が変わってる。
育休だと言って街ばかりを子供とうろついてるような父親を見ると、お前ら阿呆じゃね~のか? と不思議に思う。
親が居ても子は育つ・・・俺はずっとそう言って生きて来てる。
ろくでもない、教えることすら暗記してる教科書知識と又聞きの御大層なお子ちゃま話ばかり。
まわりをキョロキョロ見回して、情報収集してから自分の話にしてるだけの、ただの猿やんけ。
経験も遊びの知識もナニも持たない大人社会では、子は親がいないほうが健康に育ってゆく。
最近の間抜けな爺様・婆様を眺めてると、ナニを尊敬しろと言うの? なにも無いじゃんか? 金だけだろう。
ロボットのように国家に教育されて、従順な良い奴隷として生きて来た?? それだけ?
俺の子育ては、先になんでも出来るとこを見せて、それを伝授してゆく、他人とは違う凄さを教え、なにも怖れるものなんてない、遠慮はいらないから自分の好きなように生きて行け、だ。
テレビや新聞やネットの情報をはるかに超える行動力を見せてやって、そんなものにしがみ付いて生きてる現代社会の愚かさを叩き込んでやる。
まわりを見て、他人を見て、ハウツー本を見て猿真似してるようじゃ~、子を産んだ、子を産ませた意味が無い。
子を育てるとは、つまりは自分のオリジナルの先にあるもので、だから俺なんかはいつも楽しくて仕方なかった。
他人とはぜんぜん違う、よ~く見ておけ!! それでこんなに大笑いできるんだぞ!!
旧帝国大学に行ったものや、反社会勢力にも見えるものや、いろんなタイプの息子や娘がいるけんども、みな学生時代はいろんなスポーツクラブでキャプテンをやって、都大会くらいは普通に出て行ってる。
生徒会長やってた子や、下町の悪の間では顔が利く子や、みな気持ちも強く前に前にと出てゆくのばかりだ。
人間は前に進むように肉体の構造は出来ている。
そうして成人したらさっさと相手を見つけて暮らし始めてる。
親など振り向かず、とっとと好きなように生きて行け! だ。
その選んでる相手もまた俺が喜ぶようなメディアなど見向きもしない、悠々と自分のしたいことを貫いてるのばかりで、遊びも行動範囲も広いのばかり、それで良いんだと俺は嬉しい限りだ。
そんな子供らがあちこちに居てもだ、俺自身はまた関係なしにもっと遊び惚けて生きて居る。
自営も日常の遊びも、死ぬまで引退はするつもりもない。
そうやって勝手気ままに生きておっても、子供らは寄ってくるし、そんな子供らとする会話はいつも新鮮で、刺激的、人間って、アクシデントの多い日常じゃなければ、飽きて退屈になってしまう生き物なんだぜ! と、笑ってる。
・・・怖いモノ見たさであんたを好きになってのめり込み、子を産んでまたまた刺激がいっぱい、騙されたの? でも後悔はない・・・
よく言われるが、良いのか悪いのかではなくって、そうやって生きてることが人間の意味ですらある。
だから俺は60年、ぜんぜん成長などしてないが、最初から生きる意味を探してたせいで、無駄のない後悔のない生を今でも続けている。
こうやってさ、人間は生きてゆくんだぜ。
山は、一気に秋の気配だ。