オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

禅問答すら、退屈な平和のお遊戯

2023-02-08 10:34:03 | 地球と生きる

 

 戦国時代から江戸時代へと移る時に、海賊や山賊は平地に定住を義務化されて、江戸時代から明治の時代へと激しく移り変わる時に、修験者や山伏は廃止され、それぞれ定住させられて墓まで管理され、しっかり徴税出来る体制作りが出来上がっているが、こうやって俺のように令和の時代でも、海賊・山賊を合法的に続けている獣もいる。

 浮浪の民、狩猟民族、住居を転々とする血が、相当に濃く身体に流れている。

 小学校を卒業する時分には、すでに10回の転居を経験し、小学校だけでも6回転校を経験している。

 サーカスの小屋で生まれた餓鬼、そんなことで笑って生きて来た。

 当然に義務教育なんてまともには学んで居らず、ただただ自分の読みたい本を世界中の古典から読み解いて独りで知識を身に着けて来た。

 あとは経験だが、これも常人の何十倍もの経験を、生きながら身に着けてしまっている。

 小さな日常に翻弄されている現代人とは違って、何百キロも離れた場所を常時往復しているようなことだ。

 見ている景色もショーウインドウではなくって、何百キロも向こうの景色まで、遥かに見通して生きて来た。

 2~3mの荒波で泳いで、厳しい雪山に登っても、日帰りでとっとと戻って来て平然と仕事に精を出している。

 それが普通に出来ていたのが60歳前くらいまでだった。

 腸が破裂して障害者となって、生き方は大きく変えてやった。

 ペースを落としたというよりも、趣向を変えた。

 楽しみや笑いの種類をちょいと弄ってやった。

 それからは元通り、笑いの絶えない日常になっている。

 

 親が子を育てる時代が、いつの間にか義務教育によって国家が子を育てる時代になり、つまらない個性の無い、コミュニケーション能力も無い退屈な大人社会が出来上がってしまってる。

 財産・資産の額によって、教育に差が出るとは言うが、土俵はおなじ些少な場所での話でしかなく、ゼニカネで差がつくのは色や形の話で、中身はみな間抜けな阿呆、そんな惨状になり果てている。

 人間のレベルが違い過ぎることはある。

 会話が成り立たないことが多くなった。

 それでも社会の中で、ナニをするか? と考えて生きてはいる。

 その場限りの自己満足や、恥ずかしいだけの自画自賛は嫌だから、動く気がなくなれば止めにする。

 

 日常に見ているモノがぜんぜん違ってくると、話し合いなんて無意味なことになる。

 進化とはそういうもので、言葉や外見の奇抜さではなくって、その生き様しか答えにはならない。

 どんどん霧の深い時代に紛れ込んで行ってるが、俺には行く先はよ~く見えている。

 人の居ない山ばかり、いつも登り口すら自分の車だけという行動ばかりやっておると、よ~く遠くまで、見えるがな。