オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

守られて生きることなど、無理さ

2023-02-10 11:27:11 | 銀座の周旋屋

 

 南岸低気圧がやって来るとは言っていたが、そこで待ち受けている気象とのぶつかり合いで、どんな天候になるかを考えて置けば、なんということもない。

 人間の人生とおなじで、どんな事象が起ころうとも、今の自分が独りでも自信満々で強く生きておれば、なんということもない。

 朝から小雪の中をバイクで走って来たが、指先は冷え切って、ウインカーを押す感覚がなくなっていた。

 目出し帽を被って、ネックウオーマーをして、完全防備のアウターとオーバーズボンをはいて手袋を二重にして、あとはヘルメットをかぶってお仕舞、そんな感じ、都会のボンクラどもは神経質にメディアに踊らされている。

 それでも雪山とは装備は較べられないが、都会の冷え込みは土が無いだけに薄っぺらく鋭利に安っぽく冷え込んで来る。

 ところどころ凍っているアスファルトもあった。

 山用の小さな4駆はメンテナンスランプが点灯しておったから、消してもらうのとついでにオイル交換とブレーキを調整してもらっておいた。

 登山するには、往復する車のメンテナンスも自分で考えておかなければ、毎週毎週は行けないんだよ。

 4駆でスタッドレス履いていても、チェーンも積んである。

 アイゼンだって本格的なモノからチェーンアイゼン、6本の簡易アイゼンまで積んである。

 どんどん簡易化して来てるが、最低限の準備だけは、常にしてある。

 ナニが起こっても良いようにと、経験から準備はする。

 今の世界の狂い果てた状況も、同じように激動期に入っているから、準備は怠らない。

 天気図は自分で描いているし、メディアのゼニカネ儲け報道など、見るだけ無駄な余興だろう。

 

 人類が、人類の都合で戦争を繰り返し、地球の蠢き続けている地表に刺激を加え続けることで、地震は発生する。

 トンネル工事や二酸化炭素の地中注入廃棄処理や、天然ガス掘削、いろんな工事の繰り返しでも地震は起きている。

 この日本と言う国土で、懲りもせずにそんなことを延々とやってる日本人は、世界の笑いモノになっているだろう。

 地表は年中伸び縮みを繰り返し、杭で定めた地面の面積は常に変化しているのが、周旋屋家業では当たり前の話だ。

 人類は、地球様からそんな蠢き続ける地表の部分を、借りて暮らしているのが本当で、その借り賃は払ってない。

 自業自得の事件や事故や、災害が続くのも仕方の無いことだろう。

 どんな学問も、自然災害の前では屁の役にも立たないのは、当然のことだろう。

 予期する? 予防医学と言う詐欺で人類を振り回しているのとは違い、自然災害の予知は、人類には出来得ない。

 地表のことしか解りもしない癖に、それすら予知出来ない癖に、偉そうに人類の世界だけでほざいている猿は昔からたくさんいるが、当たった試しもない。

 予知するよりも、過去の経験則で日常を考える、それこそが自然災害への対応の限界だろう。

 人類なんざ屁みたいな芥子粒だと、自覚したうえで、もっと謙虚に大自然の中で生きるべきだろう。

 

 歴史というものは、書物によって引き継がれ、新たに書き写すことでどんどん内容は変化して行くものだ。

 その時代に、どういう立場の人間が、ナニを見て、わざわざ書いたものなのか? そこから考えて読むものだ。

 読み書きがそんなに民衆の間では進んでいなかった時代に、書いてあるすべてが事実ではなく、なんらかの意図があって書かれた、そう解釈する方が自然だ。

 その上に胡坐をかいて、良いように解釈してみせているのが、現代社会の旧習風習、良識常識という奴だ。

 いい加減な話ではある。

 大学まで行き、研究に研究を重ね、資料をあらゆる場所から手に入れてすら、その話の最初の箇所が作りモノであれば、ただの徒労、そういうことになる。

 あまりにも、そんな専門家や研究者は多い。

 そのすべてが、愚かな猿の物語、そう考えるしか結論はなくなる。

 

 俺のまわりの、裕福な連中は、みな無駄な出費ということをしない。

 世の中社会の構図をしっかり解ったうえで、品物のこともよくよく理解したうえで、流通しているすべてを把握しておいて、必要なモノを、宣伝広告など見ずに、妥当な価額で、手に入れる。

 胡散臭いブランド名や、猿山の流行ゴッコなど無視して、蓄えも円では持たなくなってる。

 だから無駄な消費がなくなる。

 無意味な旧習や風習や冠婚葬祭にも興味は無く、神は己だけだと生きて居る。

 あの世や霊魂や先祖などという、戯けた弱者の言い訳など、無視して聴くことも無い。

 心の貧しい人たち程、神や仏に手を合わせ、無駄な消費が日常には溢れ返っている。

 その消費自体が貧しさに拍車をかけているが、虚飾と見栄でしかその存在を確認できない哀れなことだ。

 財産や資産は、いずれ負債になるのがモノの宿命だ。

 モノよりももっと素敵な対象にだけ、存分に気持ちを向けて生きる。

 金がかからない人ほど、それが上手に出来て、ゼニカネの呪縛すら無関係。

 オモシロイもんだが、事実だ。

 

 遊牧民や、軽々と移住する狩猟民を、群れて一塊になって定住農耕暮らしに明け暮れてる連中は馬鹿にして蔑む人類の歴史があるが、本当のところは、真逆の立場で、能無しの奴隷生活に勤しませる為の方便だと、そろそろ気が付くべきだろうが、難しいだろうな。

 動き回っているものが主で、定住して守り続けている者は従でしかない。

 メディアごときの奴隷、コロナごときの洗脳、挙げ句に自分の命のことなのに怪しいワクチンを言われるがまんまじゃね~、そんなボケた社会では金持ちも貧乏人も大差のない同じ奴隷には違いない訳で、そういう愚かな範疇には決して入らない人間もいることくらい、知っていて欲しいね。

 愉快な面々、そんな笑い声が聞こえてくる。

 

 自分も年齢が70代に近づいてくると、餓鬼の頃に見ていた高齢者が、実はただのボケた老いぼれでしかなかったと、よ~く解るようになってくる。

 尊敬される、敬われる、一目置かれる、そんなものは時代や国家や習慣が価値に色付けしておった戯けた話で、山の獣は猟が出来なくなったら、終わりになる。

 ゼニカネだけで生かされている偉そうな高齢者など、自然界ではおらんがな。

 俺はそう生きる。