たとえば熱が出て身体がダルく重いとき、深夜に家を飛び出してゆっくりランニングをして汗をかき、熱い風呂に浸かってまた汗をかき、塩分・水分をとり直して布団に入るなんてことは、ガキの頃から日常だった。
医者にかかったり、薬を飲むのは、それでも難しい時にしていた。
海や山で遊び惚けていると、打撲や切り傷や酷い怪我にもガキの頃には遭っていたが、それすら医薬や病院を頼る前にまず自分で痛みには我慢して合理的に考えて対応することがほとんどだった。
自分の身体のことは自分が治す、他人に任せたり薬物の余計なお世話にはならず、だから傷や怪我の痕はたくさんある。
増してや俺の育ったアチコチの田舎には、良い医者や病院や薬なんざ無かったから、自己責任で色んな途方もない治療方法を考えて実践したもんさ。
医者や先生や親の言うことなど聞かず、自分の考え思う治療方法ばかりをガンガン試していた。
なんでもそう、どこの馬の骨が作ったのか? な常識は俺には当て嵌まらず、胡散臭いセオリーやノウハウは邪魔な生ゴミ、あくまでも自分の身体を使い、自分の日常の生で実地に試して、自分で確認しなければ納得など出来なかった。
自分の独自の生き方や価値観も、そうやって時間はかかったが、身につけて来た。
専門家や大人と称する間抜けな猿なんざ、いっさい信用などしていなかった。
コロナという訳のわからない洗脳や、ワクチンなどもそう、去年は古女房がいきなりステージ4を宣告された大腸癌でも、おなじように対応して半年で根治させた。
銀座で続けている自営の周旋屋も、別に経営など学んでないし、ナニかに属してもいないし、借金・負債に貸し借りもいっさいなく、それで悠々と30年を超えてくれば、それで良かったんだと笑っている。
だからこんな可笑しなジジィが出来上がっている。
知識や言葉よりも先に、俺は在る、これが65年の俺を貫いている。
なんでもまず自分自身でよ~く考えて、独断即決で生きる。
支援やアドバイスなんざ、な~んにも要らないのは、俺よりも厳しく生きて居る大人が社会にはいないと想っているからさ。
ヘナチョコな連中を、なんで頼る必要がある? そういうこと。
頭デッカチの権威主義者、既成の価値観の中を優等生で生きた者、自らの日常で思考や感情の元になっている言葉や単語の語彙が知らないうちに教育によって染められている者らは、たとえその時代に英雄や天才と褒められたとしても違和感は残り、最後はあの世や霊魂の世界に逃げ込んで行く。
脳の限界は、積み木遊びに飽いてしまうことで破綻する。
生まれ持った身体をくまなく使い、自然な姿で擦り切れ果てるまで生きる、その日常はあくまでも両の手が届く範囲で夢中になり、その日常の場は両の足で常に拡げ続けて、死をすべての終わりと捉えてまっとうする。
そこでは先人や歴史や良識だのという怪しいものなど参考にはせず、すべて自分の身体を持って試行錯誤を繰り返している。
あとは野となれ山となれ、死後のことなど余計なお世話。
人間の社会で、仮想の空想に夢を見る者には決して解らない後悔のない満足感は、おなじ数多の人間が蠢く社会で、とことん全方向の人間との関わり合いを尽くした獣にしか、頭で理解するなんて無理な相談さ。
俺の後悔のまるでない満足感は、肉体の衰えとともに昇華して、焼却すら必要のない擦り切れ果てたミイラとなって、完結する訳だ。
誰とも相容れない、おなじ生を生きる者のいない、全部がオリジナルな独創から成っている歩いた道は、すぐに雨風で消えてしまうだろう。
それで良い、それが自分を生き抜いたということさ。
ゼニカネだけで繋がっている人間関係は、ゼニカネだけで終わるに決まっている。
自分のことだけで生きて居る人間には、自分のことだけで生きて居る人間しか近寄っては来ないのとおなじさ。
まず日常の行動で黙って自己主張を続け、それから言葉で主張を始め、時間をかけて信用を得る、これしか人間の世界では繋がりを留める方法はなく、単なる言葉や意見だけでは人は離れて行く。
行動には説明はいらず、それを貫くことで理解させるしか、信用を得る方法もない。
それをやり遂げる意志と、四面楚歌や孤立無援になっても笑って過ごす肝がなければ、ナニも無いところでたった独りで、信用を得るなんてなかなか叶わないだろう。
そうして何十年も経ても、繋がりが剥がれて離れて行く人間だって多い。
それぞれに肉体的な事情や、金銭的な事情や、日常に抱えている色んな関わり合いやで変化して行くものさ。
そこでも自分は変わることなく、黙って自分の日常を続ける、死ぬまでの短い時間さ。
敵対勢力のイスラエルの中のシオニストと、ガザのハマス、これは米英欧の先進国らが作り上げた傀儡だから、構図はウクライナとおなじで、いまや世界の過半数を超えてしまってるBRICS諸国の側は双方から距離を置いて平和裏に解決しようと努めている。
日本でいえば自民党と維新の会のようなもんだ。
根っこはおなじ。
そんな猿芝居に世界はすでに騙されなくなっている。
間抜けな猿の続ける猿芝居は、じきに愚かな喜劇となり、狂い果てる時を迎えるが、傀儡は命令に背き短絡的に乱暴に暴走を始めるのが常で、邪魔な存在まで膨らんで、戦争経済バブルとともに崩壊させられる。
ウクライナ極右と同じで、イスラエルのシオニストとガザのハマス、みんな生みの親から見捨てられたということさ。
その後の世界まで筋書は出来ている。
昨日も早朝6時から高齢者の介護と通院に付き合うために動き出し、都内を走り回っておったが、乱暴な運転者や歩行者が多くなってるのは、オツムが固く退化してしまってる社会のせいだろう。
メディアの受け売りだけ、洗脳されなければ自分の意見などナニも無い、演芸猿そのものだが、さ~、身体という現実の変化が、怪しい医療行為で始まってくれば、見るも無残に木っ端みじんとなるだろう。
余裕なく、イライラ生きてる社会からは距離を置いて、のんびりやってこうぜ。