ハリウッド仕込みの作りモノの国家・アメリカ。
国家としての歴史もたかだか200年そこらの国家が、世界の覇権とドル基軸通貨を持ち、世界の統一を目指したところで、結局は個々人の欲ボケで崩壊しつつある。
オランダ・イギリス・アメリカと続く世界覇権の移り変わりでも、キリスト教だけはその根底にあり、つまりはその総本山と欧州の王族たちこそが、世界中の富んだ者らの支配者でもあり、人類の管理を進めている、そういうことだろう。
国連やWHO、ユニセフに赤十字・・・アメリカが主になって作った国際機関は、もはや箱自体の崇高な設立趣旨とはかけ離れて、欲ボケ連中の玩具になり果てている。
俺の家の歴史よりも新しい国家、ガキの頃からそんな思いはあり、プラモデルでも無意味に最初から悪者になっていたソ連や中国、おなじアジアの国々の戦闘機や戦艦ばかりを丁寧に作って、アメリカやイギリスのモノを撃ち落として破壊して、笑っていた。
少数派、差別民、虐められっ子、暴力的な子、そう生きて居る連中こそが、6回転校していた小学校生活では、仲間になりやすかったし、行き来は多かった。
相当に、ガキの頃から変わっていた。
そうして思春期になると、今度はそんな少数派のインチキや常に被害者面して生きてる姿の多さに、愛想が尽きた。
広島・長崎に原爆を落とされて、大量殺人をされていながらも、ギブミーチョコレートを続ける哀れな国家には、興味も湧かなかった。
蛇やカエルやトカゲや小物の爬虫類を片っ端から捕まえては、解剖して遊んでいた。
その残骸を川や海の魚の餌にして、釣り上げてはまた魚を解体して遊んでいた。
意外に、生き物の構造は簡単だと知ったのも、その頃だ。
大人社会で、医療が小難しくなって、あ~だこ~だ言ってるのを聞いていても、ピンっとこなかった。
そのまんま、今でも人間のいない奥山にズカズカと入り込んで行っては、地球遊びを続けている。
俺自身、オストメイトになって、切腹して腹筋に穴を開けて腸の切れ端を引っ張り出して生きるようになっても、別にそんな程度の感覚はあり、以来それまでと変わらずに、海で遠泳して、山に登ってと、普通に生きて居る。
体型と、過ごし方が少し変わったのと、身体障害者手帳を持っていることが、チョイと違うだけ。
そうして人間社会の喜劇しかない間抜けな景色を眺めながら笑って自営の商売を続け、関わり合いだけが多くなっていってるが、別に深く付き合う気もしなくなっている。
頼られれば、どこにでも出掛けて行き、声がかかればヨイショと腰を上げて、知らん顔はしない。
ただ、自分の仕事がなくなれば、後腐れなく、とっととそこからはサヨウナラしてる。
借金・負債もなく、貸し借りもない、自由自在が大好きだ。
自営をしてなければ社会との関わり合いもナニもなくなっていただろうが、そう想っていたからこそ30代半ばでとっとと自営を始めた。
サラリーマンや公務員を選んだ時点で、すでに自分の命は捨てたようなもんだろう。
俺は看板を借りて自営をやってるつもりで20代は過ごしていた。
厳しい営業の世界でも、会社のノルマより自分で自分に課すノルマの方がいつも高いレベルだったからこそ、毎月の表彰される時間も無視して仕事をしていて、今がある。
自意識過剰に自惚れた時間を酔って過ごすか、他人よりも自分に厳しい自分と向かい合って生きて居るか、半世紀以上も経てば大きな差が出る。
普通ではない生を、ずっと生きている。
もう、人類ではなくなっているのかも知れない。
または、社会で生きる俺以外の人間が人類ではなくなってしまったのかも、知れない。
ここは、大笑いするとこだ。
仕事もキチンとこなして、他人よりも多くのみなを育てて養って、そのうえで看護も介護も、日常生活でも、山や海での遊びでも、生きて居るすべてのことで細分化されて専門家だとかプロだとほざいてるみみっち~連中と、どんな話でも真っ向から議論や討論が出来るだけの知識と経験を備えておく、大事なことだ。
そこまで武装しておくと、世界や世の中には、怖いモノなどナニもなくなるさ。
さ、死にかけている爺様のとこに、顔を出してくるわい。
今朝は調子が良いようで、壁掛けの日めくり電波式カレンダーをみつけたので、ベッド脇につけてやる。
カレンダーがあっても、今日が何日かが解らない。
漫画のような、笑える日常になっている。
爺様が自慢のコーヒーサイフォンで落とす美味いコーヒーを、せがんでやろうと想っている。
ゆっくりでも、起きて歩いてくれるかな。
日めくりカレンダーが、あと何枚、めくれることやら。