日々の顔を出しての1階の店で、細々とした近所との付き合いなどせずとも、オシャレな空中階に隠れて、メディアを縦横に駆使して営業宣伝をやっておれば、キツネやタヌキでも楽に儲かる時代が続いているが、いつまでもそうはいかんのだよ。
基本は堂々と顔を出し、恰好をつけることもなく、余分なモノを削り落としたいつもそのまんまで仕事をやる、これが一番に健康で長続きする自営の姿だ。
ということで、この日曜日は栃木と茨城の県境付近を、ウロウロと野暮用で動き回って居った。
野暮用でも、あちこちに楽しみがあって、ついでに近くの那須の山でも登ろうかとも思ったが、天気がね。
先週の半ばに体調を崩した爺様も翌日には八重洲ブックセンターへ散歩に連れて行き、便通も戻っている。
とりあえずは安泰ということで、早朝に爺様の主治医にも電話をしておいた。
ま~、現場での対応は医者よりも俺の方が詳しいんだがね。
朝からバイクに乗っていて大雨にやられて、上半身がびしょ濡れになり、裸足にサンダル履きで仕事を開始していることもあるが、夏はだいたい首にタオルを巻いている銀座の周旋屋は、そんなのが日常になっている。
海で沖に泳ぎ出るときは、銀座の祭りの手拭いを頭に締め付けて、悠々と泳いでいる。
田舎の観光地によく居る地元のオヤジそのもの、どこに出掛けても地元のおっさん、着飾ることも興味なく、もはや家や車やアクセサリーとて、どうでもよくなってる。
メディアに煽られて、黄色い猿どもが、胡散臭い西洋人から借りて来たような身につかない一張羅を着込んで、銀座の街をキョロキョロ歩いてる姿なんざ、遠目に笑って眺めている。
・・・可哀想なお前らの情報源は、成金趣味の自閉症・田舎者専用サイトだけなのか?
旧統一教会の話題は、いまが全盛で、じきに尻すぼみに消えてゆくに決まっているだろうが、消えなければ外圧の質が変わったということだろうね。
不動産バブルの頃にはすでに勝共連合という統一教会の政治団体が与野党の政治家だけでなく、官僚・役人の中にも入り込んでしまっていて、それでもいっさいメディアでは語られないで黙殺され現在に至っている。
メディア自体が、自分たちの金儲けならなんでも首を突っ込んできた過去を、すべて洗いざらい反省して語ることがない以上は、同じ脛に傷を持つ者同士、黙殺と情報操作でうやむやにしてしまうだろう。
アメリカ政界にも早くから入り込んでいて、世界中に布教活動というよりも肉弾戦術をかけていた。
日本だってすでに政界・官界・財界と、多くを乗っ取られていると言っても過言ではない。
ナニをいまさら? というような笑い話だ。
自信を失ったり、自尊心を傷つけられたり、過剰な自意識が空回りしてイライラしたり、報われないと思う気持ちが頓挫してしまったり、これはすべてが嘘の話だからこそ貴方の心に起きている事象だ。
すべてを壊して、最初から作り直してみれば解る。
なんておかしな自分だったんだろうか? と。
知識として持っているだけで、その退屈な親や爺婆を演じているだけの猿な連中のことは無視してそれをやることだ。
一度しかない命なら、腹の底から楽しんで生きるべき。
山や海で遊び惚けていると、いつも天気図を自分で描いて、遊びの種類や場所の選定をするわけで、それによって身ごなしや準備も変わってくる。
それを半世紀以上も続けて来てると、最低限の装備を工夫して常時そばに置いておくようになる。
爪を切ったりから、体調管理、いつなんどきでも山に入れ、海に泳ぎ出れる用意というものは、日本人ならば毎朝起きたときには終わっていなければいけない。
今だ! という時を逃しては、山や海では楽しくは遊べない。
一緒に楽しみたい奴らは、そこで即断即決、ついてこなければ忘れられた道祖神。
地球や宇宙とともに共存するということは、そういうことになる。
あらかじめ予定を立てて、天候など度外視して、小さな人間の都合だけで生きている連中は、哀れなもんだ。
山に登っていいとき、海で泳いでいいとき、そういうときがある。
その為には、メンドクサイ日常の付き合いはすべてオマケ、身内も親や子供くらいまでの付き合いに絞り込んで生きてないと、楽しく笑えなくなる。
それでも看病や介護が重なってくると多忙この上なくなる。
俺の価値観はそういう大きな筋で成り立っている。
仕事中でも仕事を放り出して山に登り、海で泳ぐ、そのくらいの覚悟を持ってないと、いつも笑ってはいられない。
そうしてあちこちに倍々で増えて行ってる身内の高齢者との関わり合いは空いてる時間帯に、ということになるのは当たり前と言えば当たり前のことだ。
こんな日常を送っていながらも、去年と一昨年は仕事で独自のバブルを作り上げ、今年は休憩する年になっている。
億単位の金だって、儲けたところですぐに雨散霧消する。
無ければ借りたり無理することもなく、そのまんまで生き、ナニかを残すつもりもない。
大きなモノが必要になれば仕事に精を出し、それが落ち着けば山や海での遊びに精を出す。
この繰り返しで半世紀以上も大笑いして生きている。
自分自身の趣味嗜好も精度をあげて余計なモノはこそぎ落として、身軽な状態で生きている。
すべての価値観が与えられたものではなくって、独自に作り上げてきたものだから、たまに皆さんと交わることもあるが、すぐに道を分かつのはそりゃ~そうだろう。
俺は二人といない生を、濃厚に、自由自在に、好き放題に生きている。
借金・負債、貸し借りも無い。
嫌なことや気分が乗らなければ、自分で止めにすれば済む。
こんな楽しい生き方が出来るようになるまでは、摩擦やトラブルは日常のことだったが、そうね~、50歳を超える頃からは自在にコントロールが出来るようになった。
猿の群れの衆には、なんの話なのか、理解などできないだろうな~。
さ、ちょいと金儲けの話をしてくるぜ。