オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

大潮の膨らんだ海で沖に泳ぎ出る

2024-07-22 11:37:07 | 銀座の周旋屋

 

 

 太平洋で泳ぎ始めているが、昼過ぎから出掛けて逆方向の渋滞を眺めながら悠々と高速を走り抜け、2時3時4時くらいから泳ぎ始めるのが毎年の恒例のようになっている。

 更衣室やトイレや海の家や売店やらがまったく無い海ばかりに向かうのは山でも同じで、マニュアル猿の現代人が金だけ持って出掛けるメディア・SNSのお遊戯会場には近づかない。

 ミ~ちゃんハ~ちゃんの喧しく煩わしい猿の衆がいないとこばかりになる。

 意外でもないが、プールで習うクロールだのナニやらだののマニュアル泳法とはまったく違う海での泳ぎ方の数々に、日本人ではない外国人連中がオモシロそうに眺めていたりする。

 昨日は満潮・満月の海の特別な日だったから、膨らんだ素敵な海の中で存分に泳いで来た。

 大潮には海の生き物がみな未来に向かって産卵を始める。

 その尊い日に、おなじ海に浸かって揉まれて、生きて居る幸せを感じる。

 波も荒れて高めがちょうど良い塩梅。

 まだまだ山仕様の身体が海仕様に変わってないので、沖に出ると流れや海底の変化で水温も下がってゆき、身体のアチコチが攣りそうになって、その都度に浮いてマッサージと柔軟体操をやっている。

 ハチマキ締めて、まだまだ今年も普通に泳げている。

 俺は自分の死に場所は人のいない山か海だと決めている。

 サッといなくなって獣らに喰われて、風雨に晒されて地球に還るのが理想ではある。

 ただ半世紀もこんな生き方を続けて居ると、達者になり過ぎて身体が勝手に動くから、まだまだ理想は叶わない。

 それまでは他人や社会に関わり続けて、最期までナニにも拠らずに属さずに、嵐の雷雨や津波のような立場で生きて居る。

 人間には、持って生まれた立場というものがる。

 キレイゴトで見返りを求めるなんざ、みみっちくて性に合わない。

 存分に泳いで身体がだるくなってくるのを待って、日が傾いて水しぶきをあげながら海からあがると、美味い猟師小屋で飯を喰って来た。

 今年はカジメが不漁で、美味いカジメ汁がなかった。

 楽しみがひとつ減って不愉快ではあった。

 アジフライのアジも小ぶりだったな。

 帰路は花火大会からの猿芝居観覧者渋滞に巻き込まれないようにと、道を選んで戻ったのは言うまでもない。

 

 常識だの、良識だの、道徳だの倫理だの、過去の猿らが勝手に線引き・カテゴリー分けしたモノなどは、今を生きる者にはナンの意味も無い。

 国家・国民がおなじ目的で生きて居た敗戦後の昭和ならまだしも、すべての価値観が根底から崩れ果てている現代で、相変わらずな日常を送っている猿らはただの洗脳マニュアル奴隷ばかりだ。

 生きて居ることには本来は形式や公式などはナニも無く、すべてを自分たちで独創出来るのが本当だ。

 それをせず、それをさせず、相変わらずな善良なる庶民ゴッコに明け暮れているのは、単細胞な教育・メディアの洗脳奴隷の為せる業で、業とも言えない薄っぺらい暗記だけ。

 電波利権に群がる有名・著名人らはいよいよコロナワクチンの6回目を接種するんだとさ。

 言い出しっぺが本当に接種してるのかどうかは別にして、メディアなんざ猿芝居の舞台と同じで、楽屋はセピア色した昭和のまんまだろう。

 模範解答が先にある生き方日常を、洗脳・教育で叩き込まれた方程式で生きるなんざナンセンスなことで、すべてをオリジナルで生きて行くべきだ。

 そういう愉快な連中だけが、いまでも俺のまわりでは長い付き合いになっている。

 

 銀座や青山で長く周旋屋をやっていると、浮ついた成金や勘違いしてるメディア洗脳消費奴隷には冷ややかに接しているが、今の日本は国家と大企業が先導して島国ごとテーマパークとなりつつある。

 単なる田舎や地方という辺境エリアですら、趣向の違う観光ブースを目指して、一過性であっても観光客を大量に呼べれば良いという経済活動に官民挙げて躍起になっている。

 田舎に一億づつバラ撒いて再生を図ったのは随分前のことだが、今では閑散としてゴーストタウンとなっている地方の町村を山や海の帰りにいつも眺めているが、都会の商業用ビル開発バブルも同じことで、単なる外国人観光客らの携帯スマホSNSバブル用にワンパターンな開発が進んでいる。

 経済活動である以上は儲かった者勝ちというのが現実だが、社会や他人との関わり合いを深めることには逆行して行ってる。

 仕掛ける側やメディアは無責任なもので、最後は自己責任で無視放置する。

 力がなかった、で負け戦、チャンチャン。

 箱物だけがバブルの残骸として残るのは、不動産バブル時に嫌というほど関わったもんだ。

 バブルな外国人観光客をオモテナシする側の日本人の日常は? 豊かになってるの?

 賑やかな外国人観光客の狂騒とは裏腹に、次にやって来る外国資本の来襲に備える力も失って、ただただ深夜の街角で身売り相手を待っている。

 日本という島国の正体とは、そんな程度のものさ。 

 この外国人観光バブルが落ち着いたら、次は時代遅れのギャンブル賭場となる筋書きがある。

 良い悪いではなく喰うためには仕方ないのだと、口封じも用意してある。

 俺みたいなナニにも依らない一匹で生きる自由人には、どっちもどっち、あんまり興味もないね。

 強いて言えば、消費から娯楽までメディアに管理され、AIロボットに仕事も管理され、ナニがオモシロイのか? という嘲笑だけはある。

 そんな脳タリン植民地支配の親分アメリカは、いよいよ国家分裂が決定的になって来て、ワザとらしい騒動は激しく仕掛けられるだろうから、植民地も煽りを喰って退屈な争いも始まってるさ。

 

 今日は散髪に出掛けていつもの角刈りに仕上げて来る。

 ハチマキがキチっと締められるようにと、さっぱりしてくる。

 暑さで家から出れなくなっている高齢者たちを連れ出すことも、俺の仕事になっている。

 貴方まかせ、金かませの介護はせずに、ナニがあっても付き添い続けていることを選んだ以上は、刑務所のような施設や病院に収監することはせず、在宅で最期まで面倒を見る高齢者ばかりになっている。

 本業の合間にも声を掛けて一緒に出掛けているが、先日には宇宙科学館で89歳の婆様を宇宙ステーションに乗せてやって、大喜びだったな。

 ・・・宇宙の果てはどうなっているのかが、子供の時から不思議だったよ

 人間は生きて居る間にやらなければいけないことは幾らでもある。

 それをひとつひとつ丁寧にこなして一日はアッと言う間に終わってゆく。

 自分の時間とは、それらをこなして仕事もキチンとして、それでも時間を余らせて寝る時間に食い込ませて、それから持つようになっている。

 仕事もイロイロと決まって契約予定が重なっているが、今の俺には海の方が仕事よりは優先順位が上になってしまってるかも。

 あと何年、こうやって自由自在に、愉快な海で泳いでいれるんだろうか? と、考えて面倒な仕事を始めている。

 



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