対ドル150円半ばで、円全面高と報道するメディアには笑ってしまうがな、ナニを基準にしているのかどうか、充分円安だろう。
視聴者にダラダラと繰り返し見せて聞かせておくだけで、それが普通になってゆく洗脳行動はコマーシャルの常態だが、景気の良い前向きな話しか出て来ない割に、気がつけば国民の日常はナニも上向きにはなってない。
煽動している側だけが、いつも日替り定食のように喰われて人気になり、売れて儲かっているかのようだが、それもサイクルがあるからじきにブームが終わると負債だけになる。
人間の社会は財産がいずれ負債になる繰り返しで循環していて、無知の欲求と経験の無常観の輪廻、肉体の加齢による老朽化ともおなじで、生命もまた金儲けに利用される日常の歯車となり、気がつけば取り戻せない時間の浪費と消費だけが積み上がって行ってる。
40年も50年もそれで生きてしまうと、もはや諦めて流されるしかなくなってる。
俺はガキの時分から、そんな大人社会には染まらないと反感を持って生きて来た獣だから、義務教育すら満足に受けないで毎年のように転校を繰り返して揉まれて生きて来た。
今の素敵な社会では無意味だとか非合理だとか整合性がないとか、無駄や割り切れない方程式は罪悪だと叩きこまれ、AIロボットのように、あらかじめ用意された模範解答に向かって正確・単純に人間も生きることを煽動される。
それが優秀な人材で、それが素晴らしい人間で、それが正義だとまで決めつける。
管理しやすい飼育豚は、こうやって大量生産される。
機械やロボットの誤作動・劣化は壊されて分解・修理・部品交換で対応できるが、人間の老朽化は除外と廃棄しかない。
オストメイトは腹筋に穴を開けて腸を出し、メンテナンスフリーな身体を手に入れるようなもんだが、他の部位の加齢による肉体的な劣化は進む。
俺は生きて来た道筋でもオリジナルな道を作り上げて来たが、肉体もまた実験的な日常を作り上げていて、すべてが生身のこの身体を使った試行錯誤と生体実験の繰り返しだ。
生まれたその後に、どう生きるのか? は、個々の自由だ。
管理・支配されやすい猿芝居の舞台に立たされる飼育猿として、幼い時分から幼児教育・義務教育・偏差値至上教育に社会教育と、洗脳・煽動は続いている。
そんな中でもナニにも染まらずにグループにもならず、一匹で悠々と笑って生きて行ってやろうと、俺は66年を過ごして来ただけだが・・・愉快なもんだ。
生活が楽になることばかりを求めすぎて来た現代人は、その代償としてマニュアル洗脳や大量生産と大量消費のただの駒として生かせられ、楽の究極が養豚場の豚となることだと信じ込まされて、AIロボットに管理される日常に幸せを見出そうとしている。
医療や薬についても、個々の生体に対するオリジナルな医療や投薬ではなくって、マニュアル医療とマニュアル投薬で一律管理されて安心し果てている。
間抜けの究極ではある。
効率化や合理性を追求している人間が、実は一番に脳無しのあやふやな感情や感傷に染まり切ったまんま、行き詰まって行ってるのが現代社会の真の姿ではある。
経済活動と人間の欲望にはホドホドにというブレーキが効かない為に、すでに余計なお世話とお節介な干渉が社会には混乱の元となって氾濫してしまってる。
そんな戦後を生き抜いてきた俺は、自分の日常をナニも変えずに生きて来た。
青山や銀座という賑やかな中心地にいて食い扶持作りは続けていても、山や海を愛してやまない想いを毎週のように爆発させて、日本の風土を歩き回って泳ぎ回って、それが十二分な満足だと笑ってる。
俺が生きて居る幸せを震えるほどに胸に感じるのは、誰もいない険しい山の頂で絶景を見下ろしている時か、誰もいない海で大波に揉まれて泳いで空を眺めて居る時だ。
それしかなくなってもう数十年が経つ。
身体に障害を負って、それでもおなじ愉しみを味わえるようにと鍛え上げていた時、これが出来ないようならば此処で終わりにしてやろうと、笑って居た。
ずいぶんとマニュアル医療には無い独自な工夫や小道具を作って独創的なオストメイトとなっているが、そのおかげで素敵な日常を障害者となっても取り戻してやった。
医者や医療・医学なんざ補助的なものでしかなく、自分の身体にとって大事なのは自分自身で対応するという気構え心構えだ。
あちこちで子供を育てあげて社会の仕組みに放り込んで、俺のように強く生きて行ける者がいるのかどうかは、解らないし、そこまでは俺も希望などナニも無い。
こんな一律百円均一のような島国に落ちぶれ果てて、そこで孤立無援の一匹でも強く関わり合いを増やして生きて行くのは、軟な人間には叶わないだろう。
すべてが受け身ではなく仕掛けて生きて行く生き方なんて、すでに洗脳された小さな幸せや小さな守るモノばかりに固執している社会では、なかなか出来るものでもない。
会話が成り立たないほどに乖離してしまっているのが酷い現状だ。
今の俺は、周旋屋の自営の稼業で地べたを蠢き続けているが、そんな生で関わり合いが増えた高齢者たちの介護や世話でも走り回っている。
その動きの原資となる食い扶持作りも自営で続け、そうして関わり合った多くの人たちの為にそれを使って動き、ナニにも拠らずに貸し借りや借金・負債をいっさい持たない立場を貫き通すことは、一朝一夕に出来上がるものでもない。
かくいう俺ですら、なんども擦り切れ果てて倒れそうになって来た。
行き詰まって面倒になって、終わりにしようと考えたことも一度や二度ではなかった。
ドラマや映画のような、小説やアニメのようなことなど、俺の現実にはまるで無い。
こう生きれば、こういう結末になる・・・そんな安直なマニュアルに従った生など、薄ら寒くて興味も無い。
生きて行くと言うことは、ナニが飛び出すか解らないビックリ箱を自分の手で開けてゆくようなもんで、それも生き死にに関わるビックリ箱であれば尚更仕掛ける妙味も倍増するだけのことだ。
人間の社会なんて、命までは持っていかれないよ! というのが昭和の復興期だったが、いまは平和で安穏とした社会になって、逆に簡単に命まで持って行かれる社会になった。
というような可笑しなことを考えながら、仕事を始めるべよ。
このところ若く真摯で前向きな人たちがよくやって来る。
どう生きるべきなのか? を皆な自問自答して彷徨っている。
しっかり自信を持ってフラフラせずに、胸を張って笑って生きてゆけば良いと、愉快な話の中で伝えてやっている。
すべて自己責任ということさえ覚悟しておけば、やるだけやったら上手く行っても結果が出なくとも 次に行け! と。
立ち止まらなければ、勝ちも負けも無い。