さ、そろそろ積み重なってた仕事を一段落させて、私用で動くべさ。
稼いだ金は手元にはほとんど残さず、こうやってバラ撒くように生きた使い方をする。
幾らでも稼いでやるっぺよ。
コロナ教に右往左往してる情けの無い人類社会なんざ、屁みたいなもんだ。
早く終活、自分の終わり方をシンプルに決めて動いてないから、荷物に囲まれた高齢者が孤独の中でゴミのように最期を迎える、そういう場面が増えて来てる。
あちこちで身寄りもなくなって生きてる高齢者のそれを看取り、その後の部屋の片づけまでしていると、痛感させられること、それはキレイごとばかりに終始して、弱さを隠して上塗りし、正直に生きれない現代人の恥ずかしい終わり方ばかり、無いのに有るように見せかけて、その場だけを誤魔化そうとするみみっちさ。
あれほど幸せそうに見えておった家族も喰えなくなって身内の世話など二の次になり、友達のように育てた仲良し子供らも、喰うだけで精一杯になって、身内の世話など手が回らない。
その歳になってやっと気が付いても、遅きに失してる。
高度経済成長とは、ただの敗戦国の復興、洗脳と煽動だった。
自分で自分の生を考えるよりも、群れて国家や社会に流されて、老いを迎えている訳だから、最後に自分の終わり方を考えろと言ったところで、ナニも出来ないのが本当のところだろう。
親やまわりや国家の言うがまんまの猿真似だけで、素敵に生きておれた時代なんて、随分と楽で単純な生だこと。
戦時の苦労だとか、敗戦後の苦労だとかよく聞くが、実際のところはいま生きている高齢者たちの親の代がそれをこなしていたから、自分自身のことすらよく解ってないまんま、高齢化してしまったというのが真実だろう。
いまの若い世代を見て居っても、おなじようなことが言える。
哀れなもんだが、それも哀れというよりも滑稽な話、生きるということとキチンと向き合ってなかった証だ。
60歳代の、俺の世代でナニにも拠らずに自営業を黙々と続けてきた連中は、俺とおなじように団塊の世代から上の世代をつぶさに眺めて来てるから、だいたい同じような思いを持って笑ってる。
甘ったれて、呑気なもんで、群れておれば誰かが助けてくれた良い時代だった。
今とこれからは、そんな甘い幻想など微塵もなくなるだろうよ。
平和に浸って欲ボケになっていた日本人は、要らないしきたりや挨拶や風習や習慣や伝統をたくさん作り過ぎた。
断捨離しなきゃいけないのは、モノではなくって、そっちの方なのが本当だ。
俺の時代は、それらの整理整頓、片っ端から破壊して、捨てて行き、シンプルにする。
ナニが人間にとって大事なモノで、なんの為に生きるのか?
俺の日常は、ガキの頃からその答えになっている。
不倫? 俺はあちこちに子供がいるが、みなキチンと育てあげて来た。
その爺婆・兄弟までも、面倒をキチンと見ている。
子供同士はみな俺の子だ、だから仲良くせい! となっている。
惨めったらしい資本主義社会で、金ごときで生きることを左右されるな! だから寝る間もなく仕事をして、そうして週末はすべてを忘れて、厳しい山修行と海修行に精を出している。
苦しければ、身内や他人や国家をなおさら頼るな!
辛ければ、神や仏に自分でなれ!
そうやって若い時分の荒波・時化を乗り越えて、大笑いしている今がある。
コロナ? 俺の毒の方が遥かに強烈だろう。
ちっちぇ~大人ばかりになってる。
アホンダラ。