この時期は不動産業界も安い給料で働いている乱暴で無知な賃貸屋が大騒動を引き起こす時期だから、当社も好立地の良い物件が空室になって新たに改装して募集をかけてはいるが、ネット掲載は極力しないで決めて行ってる。
マーケットが荒らされる、金になればなんでもやる、乱暴でオツム空っぽで経験も知識も無い馬鹿造たちとは付き合うつもりもないんだわさ。
SNSやネットの時代だとほざいているのなら、それはそれで良いことだし、俺には関係の無い安楽で狭小な世界の話だ。
なんだかな~、毎年のことだがネット広告・宣伝に引っ掛かって、ノコノコと親子で出掛けて行ってる人たちを見てると、可哀相にな~と笑ってる。
無駄な金を奪われて、無責任な営業で煽られて、それでもお金に余裕があるんだろうね~と眺めてる。
いい大人たちが、ナニをどうすれば良いのかも解ってない。
幼稚園児が集まってるノ~天気なお庭のようだわ。
馬と鹿の大騒動。
国家の権力を皆で分かち合い・・・というエセ民主主義や格差・平等の無い社会作りは、無責任で得体の知れない社会へと変貌して行く。
当たり前の話だろう。
強いリーダーシップに引かれて行くのが人間という獣だし、みんなで仲良くという家庭は学生運動に明け暮れた団塊の世代の特徴だったが、ガタガタになっててんでばらばら、自信を喪失してしまってる。
そうしていつの時代でも、俺のようなナニにも属さない者もあちこちで生きて居る。
決して他とは迎合しない、ベタベタはしない、そういうスタンスで社会や他人との関わり合いをどんどん増やして行ってる。
2時間携帯やネットで遊んで居るのならば、俺は車を運転して山や海に出掛けている。
そうして現実だけの自然の中でクタクタになるまで身体を動かして、帰りにアチコチの田舎で色んな人たちと笑い合っている。
自営の周旋屋の仕事がずっと愉しいと言うのもあるだろう。
憂さを晴らすとか、ストレス解消だとか、精神的な疲れはまるで無いせいでもある。
これは人生67年の筋になっている。
仮想ゴッコで生きるしか無くなったらならば、馬鹿馬鹿しいからとっとと終わりにするだろう。
冷ややかで残酷な現実が、解り易く大好きでもある。
推し活だとか、芸能人やスポーツ選手に入れ込んでる人たちに、貴方は金儲けに利用されて単に騙されてるんだよ!! と言ったところで、ワクチン接種会場に並んだまんま動こうともしないだろう。
そんな人たちを動かす、これをBRICS諸国やトランプ米国は始めている。
日本なんざまともな政治家ですらメディアに潰されてるような幼稚な猿の国だから、周回遅れどころか永遠に置いてけぼりになってるだろう。
そんな国でも愉快に好き放題に生きている俺なんざ、ガキの頃からだから性根も腰もしっかり入っているさ。
キチガイどもに総スカンを喰らっても笑って生きて居れるようにと、食い扶持作りも余念がなく、おなじようなホンモノだけでも相当な関わり合いが出来上がっている。
理想を描いて、真面目に努力して、真剣に生きていても、洗脳されたオツムのまんまで得体の知れない善良なる庶民様の群れにいれば、理想とは真逆の結末へと向かってゆく。
足元を見られて、その単細胞な真摯さを逆手に取られて、気がついた時には玩具になって自由自在に操られ、後戻りの出来ない自分を諦める。
こういう大人社会の仕組みが戦後の日本では延々と続けられている。
例えば・・・家を持ち家族を幸せにする・・・これを常識化するまで延々と映画やドラマや小説や、メディアを使って日常的に叩き込んでおき、自分自身の自分らしい価値観を持たない猿芝居の演者たちは知らず知らずのうちに高額な住宅ローンを組んでまでして家を手に入れようとする。
あとは仕事を頑張って、借金・負債を生涯に渡って返済する人生が始まる。
モノはすべて時間の経過とともに財産から負債になる訳だが、住宅ローンが終わる頃には大規模修繕や改築・修繕・建て替えの時期がやってくる。
また借金・負債を背負うことになる。
いろんな価値観があって良いのに、次は次はと洗脳は続けられ、斜眼帯をつけられた馬車馬は生きる目的まで叩き込まれて思考する時間を奪われてしまう。
その生涯をそんな無駄な時間に費やして、おおかたの大人たちは終ってゆく。
俺にはガキの時分から絶対に出来ない生き方だった。
くだらない、退屈過ぎる、よくもま~そんなことで笑っているな? そんなこと。
あとは酒を呑み薬漬けで健康・長生きを願い、与えられた選択肢の中から余暇や娯楽をつまみ食いして、子供の成長に喜びを分かち合う?
他にナニかないのか? それを人間の生まれた幸せと言うのなら、俺なんかは会話が終わってしまうし、おなじ人間ではない獣だと言われた方が幸せだ。
昭和の時代から延々と続いている、政治や経済や芸術の世界でも見え透いた猿芝居。
貧しい癖に、金儲けは薄汚い人間の考えることだ、真面目に清貧に耐えておれば神や仏が手を差し伸べてくれる、そんな人たちが善良なる庶民を気取って宝くじを買っている。
肝の底にはキリスト教の原罪意識でもあるのかどうか、マゾには違いない。
別に今の時代も未来の時代もキチンとナニにも拠らずに自立して食べてゆくことを考えることは、悪いことではなく薄汚いことでもない。
そう考えて皆がやっているNISAを買うとか、株式・証券・債券を買うとか、それではナンの意味もない。
貧しいまんまで神頼みして仏や先祖に祈っているのと変わらない。
自分なりの稼ぎ・食い扶持を手にする方法は、幾らでもある。
無尽と言っても良い。
俺は高卒で大学中退、経営も経済もナニも学んではいないが、政治や経済や下世話な話までナンでも出来る。
先生もいなければ師匠もいないし、上がいなければ下もいない。
そういう意味ではいつも本当の平等な立場を作っている。
自由自在に好きに生きればエエやんけ。
これが基本にある。
社会貢献だとか、親孝行だとかは、テメ~のことを自分でキチンと全て出来るようになってから考えろ! そういうことだ。
餌貰いの脛カジリでは、全てが嘘になって藻屑と消える社会の騒音でしかない。
俺はテメ~のことを全て自前でこなせるようになって、借金・負債も無しにして、そこから社会や他人や親の面倒を見るようになった。
自分のケツも拭けない奴に、他人や社会のことなどでキレイゴトを抜かすなんざ、百年早いという話になる。
そうして国家の支援とも言える年金・援助などアテにはしてなくって、その時その時を気儘に笑って生きて居る為の準備は常に怠らない。
その日暮らしを豊かにしてゆくには、それなりの準備は当然に日常に必要なことだ。
ネットやSNSにうつつを抜かしてる社会では、見て見ぬふりをされる雑音だろう。
人は地球上に存在する生き物の中で飛び抜けて進化して、今のような時代を作り上げてきたと言うが、過去には今よりももっと素晴らしい景色を作っていたんだが、地球の大動乱によって粉々にされて、マグマの中に引きずり込まれて溶けてしまった、とは考えない。
俺はそんなことが何度かあったのではないのかと、想うことがある。
人工のモノがナニも見えない高い山の上で、大自然の豪快な景色を眺め渡している時だ。
人間の自惚れは果てしないが、実際は何度もおなじような進化という過程を経て、無に帰すような宇宙や地球の大動乱を経験して来てる。
そんな予感がいつも高い山に居る時や太平洋の大波に揉まれている時に、老いぼれた頭に浮かびあがってくる。
人の作る文明は過渡期を迎えて自惚れの頂点に達した時、粉々に無に帰す。
その高度な過去の文明の遺産として、世界中には考えられないような遺跡を遺ってる。
現代の人間には到底考えられないような凄い遺跡がある。
人力だけでは成し遂げられない現実がある。
ま、三連休でも仕事をやっている周旋屋の、よもやま話だ。
腹筋に穴を開けて腸の端くれを出しているオストメイトは、腸が腹の中で収まりが悪くなることも多々ある。
自分でそれをいつも直して良い位置にずらすんだな。
普通のオストメイトは自分ではやらずに、すぐに病院か医者頼みかな・・・。