映画のラストシーンのようだった。
首里城が夜の闇に浮かび上がり、燃え盛る炎の中で骨組みが倒れてゆく。
どこかで見た光景だった、そう、911テロで見事に崩れ落ちた高層ビルだ。
人が作ったモノを、人が壊す、それだった。
地球が温暖化することで北極と南極の氷が解け、海水面が上がっているとする話ばかりが普通になってるが、海に接している地域の地盤が、地球の中に沈んでいってるとは決して言わない。
地磁気が弱って、液体は引力が効きにくいために海水面が上がってるとも、言わない。
怖ろしいことが起こると話せば、大騒動になるからだろう。
日本なんざ幾つものプレートが衝突してる場所にある島国だから、一瞬にして海の中にすべて沈んでしまうことだってあるのだが、そんな話はついぞ耳にしたことなどない。
人類が地球に誕生してからの歴史では、そんなことはなかった、想定内とはそんなあやふやな基本の上にある。
偉そうな人類の想定内とは、ただの猿の自己満足に過ぎない。
地球の歴史は45億年とも言う。
人類が二足歩行を始めたのが300万年くらい前、その時間軸の違いは、富士山に蟻が登るよりも大きい。
安心して、安穏として、いつまでもあると思うな、人類の今。
俺は毎朝のようにお日様に向かってありがとうと言い、お月さまに向かっては手を合わせている。
そのどちらかが消失してしまえば、地球など生き物の棲める場所ではなくなってしまう。
これは厳然たる事実だ。
毎週のように山を歩き、夏は海に浸かって泳いでる生活を半世紀いじょうも続けてると、遭難、このニュースには呆れかえることばかりだ。
山での遭難にもいろいろあって、滑落というのが一番に遺体の損傷が激しい。
ボロボロになったモノ、と言っても良い。
遭難には必ず原因がある。
大自然の凄さや地球の大きさを美化する報道も多いが、小さな人間の方にいつも原因はある。
道迷いから遭難、競って遭難、時間に焦って遭難、天候の変化に追われて遭難、うっかり遭難、装備の手落ちで遭難・・・すべて山や大自然のせいではなくって、小さな人間の自業自得だ。
海での遭難は波に巻き込まれ、波にさらわれて、流され溺れる、これも原因がある。
そういう場所で半世紀も遊び惚けていると、なかなか人間の感性や感情などメンドクサクなってしまっておって、地球や宇宙の側の見方で、いつも生きてるようでもある。
冷ややかなのではなくって真実、厳しいのではなくって現実、当たり前のことを当たり前でないように言う、有りもしないものを有るように言う、そんな感情の起伏を叩き込む世の中社会のほうが、よほどに狂っておる。
モノに固執し、モノを抱え込んで、モノに自分を映して暮らす・・・その方がよほどに冷酷なことだろう。
名前や言葉や単語よりも先に、人間は在る、これが解ってない。
そうしてそこで繰り広げられる人間の日常は、無駄なことばかりの優しさ・喜びの大売り出し。
地球や宇宙の優しさって、どんなものか知ってる?
それを身をもって知るには、山を歩き、海で泳ぎを延々と続けるしかないだろうな。
有名人や著名人が人気取りにボランティアをする、そのコーディネーターがいる。
仕掛け人のような存在で、これは30数年前の不動産バブルの頃にもすでに暗躍してたプロデューサーのような存在の人間や企業であって、そこには人間の温もりなんざある訳もない。
いまは銀座で周旋屋をやってるが、不動産バブルの頃は南青山で周旋屋をやっておったから、政治がらみ芸能がらみプロスポーツがらみの仕事はたくさんやったもんだった。
世の中には裏がある、というような陰謀論ではなくって、本当にそういう仕掛け人は必ずいる訳だ。
テレビや新聞は購読者・視聴者のほうを向いて商売はやってない、これも当たり前のことだ。
犯罪集団と化してる上場企業の大方の大株主は今や日銀となってるが、その反社の元締めと言っても良い。
反社会勢力の最たるものは、上場企業であり、政治家であり、役人であり、そんな狐や狸に反社会勢力と名指しされてる暴力団や右翼や左翼なんて、すべてを見てる者から言えば可愛いもんだとも言える。
知らぬは善良なる庶民を気取ってる、そう、そこのあんたたちのことよ。