オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

ナニが起きても微動だにしない獣

2025-02-26 11:51:13 | 銀座の周旋屋

 

 

 近所の高齢者たちを連れて浜離宮庭園まで10分くらいのドライブ、菜の花がキレイに咲いていたが、高齢者の中には体調が悪いとかグズグズ言うのがいたから、そういう高齢者は無理には連れ出さない。

 一緒に出掛ける行動である以上、輪を乱すような身勝手な者は途中でも帰ってもらう。

 後で一人だけ連れ出して、キチンと話して笑って見せてやってる。

 これは俺がアチコチの子供らを育て上げる時にも、嫌というほどに叩き込んだことだ。 

 一緒に出掛ける以上は他の為に自我を抑える、または上手に自己主張する、対人関係のバランスを即座に自分で考える知恵をつけることだ。

 一緒にいる他の者のことを考えない四の五の言うガキは車から叩き出して、銀座の雑踏の中でも大声で怒鳴り上げて殴り飛ばして、チンケなガキなら俺の子供でいる必要はない!! と叩き込んでいた。

 そうやってみな大人になっていってる。

 最後のガキも志望する大学に無事に合格したようだが、俺にはあんまり興味がない。

 獣の自分との闘いは死ぬまで続く。

 

 現代社会では、親やジジババが子供を育てることを放棄して、メディアが子供と親やジジババも一緒に洗脳・煽動教育しているのが現実だ。

 

 世界は大動乱の革命が起きているが、島国では閉鎖的な情報源だけで大笑いするような惨めったらしい日常が続いている。

 野菜の価額があがった、米の価額があがった、卵の価額があがった・・・そのくせメディアやネットや与えられた娯楽に費やしてる不要で下らない出費にはいっさい触れない。

 あんたらのオツムには蝶々が飛んでいる。

 

 信用不安、経済不況、市場は調整局面、世界の恐慌な~んて、人間の社会だけのチンケな話にはなんの影響も受けない商売を愉快なまんま悠々と続けている。

 借金・負債を経営する会社すべてや個人でも持たない生き方で笑っている。

 いずれ負債になる財産も持たず、果てしない人との関り合いだけを資産にして67年を生きている。

 蓄えも紙幣や通貨では持たないから銀行や金融機関との付き合いも無いし、狙われたり奪われるモノも無い。

 コロナ禍でも毎年独自のバブルを作り、ワクチンはインフルエンザですらうったことはなく、関り合ってる人たちや介護や看護に走り回っていた。

 テメ~のことがキチンと出来た上で、世界を読みきって、余裕を持って他人や社会と関り合うから群れることはなく、組織やグループにも関わらず、納税もキチンとしている訳で、怖いモノなどナニもない。

 新聞やテレビやネットなどの愚かなメディアの手練手管にインチキ創作・プロパガンダは最初から見抜いて生きているから、猿の洗脳や煽動には微動だにしない。

 逆にそんな猿芝居を仕掛けている猿たちを、ジッと見据えている。

 右でもなければ左でもなく、上でもなければ下でもない。

 間抜けな人間の世界のカテゴリー分けなど屁をこいてゲップをするだけだ。 

 次から次へと新たなメディアの洗脳と煽動に引っ掛かってる猿社会は、餌貰いに堕落し借金を背負わされているからこそのお笑い劇場。

 なんの興味も湧かないから、同情も感情もいっさい無い。

 そこで日常に起こる生死のドラマは、すべてが安い猿芝居だと言い切れる。

 生きている価値観や基本からして独自に確立し終わっている。

 

 親の言うことをいっさい聞かず、身内や老師にも逆らって、俺は俺で地べたを這い回ってグチャグチャになって、すべてこの身で経験してから判断するように生きてやる・・・俺がガキの時分から想ってその通りに生きて来た筋でもある。

 親や身内や他人や社会の言うことは最初から信じることなどなく、まず自分で痛い目に遭ってからそれは考えようと生きて来た。

 だから行動力と精力だけは鍛え上げて来てる。

 今日一日をどう生きるか? 明日など考える暇などなかった連続で、67年が過ぎているが、これほど愉快で緊張感に溢れた生き方は、やっぱり正解だったと笑ってる。

 会者定離、一期一会、サヨウナラは言わずにじゃ~またなで生きて居る。

 高い山の頂に朽ちてある祠にも片手をあげて、おう!神がきたで!とやってる。

 下山するときは、じゃ~またな! で終わり。

 豪華な寺社に詣でても、おう!神がきたで! じゃ~またな!で終わってる。

 こう生きていると、とんでもない縁や奇遇すぎる再会などがたくさんある。

 それだけ長く生きて来たということだろう。

 だから子供らに俺の後を継がせるなんて腹は微塵もない、

 おなじように明日をも知れぬ生を生きてみるべきだと思っている。

 途中で挫折してダメになる程度の獣ならば、そこで終わればエエやんけ。

 親の借財を肩代わりしてやって、あちこちで子供らを育てあげて、いまはそのあちこちに増えた身内の高齢者たちの面倒を毎日のように見ている。

 すべて自営で稼いだ自腹で生きているからこそ、愉しいという話。

 親の財産をアテにして、退職金や年金支給を期待して、宝くじを買って生きて居るなんざ間抜けな猿のやることだ。

 組織の金を盗む、国の金をチョロまかす、弱者を騙して奪う、他人のモノを強奪する、人間のやることではなくって、単細胞な獣のやることだろう。

 そんな社会に成り果てているのに、この島国ではそれを競争して続けている。

 政治とか経済とか司法や行政なんてものは、その最たるものに堕ちてしまってる。

 外敵によって大きな破壊でもあれば再生のチャンスがあるんだろうが、このまんまではこの国の未来は世界でも珍しい珍獣が棲む国で終わるだろう。

 淫靡な我欲の競い合いばかりやってるうちに、国家ごと所有権が移転されるさ。

 俺はそうなったときのことも考えて笑ってるがな。

 

 今日も契約ごとがあり、次から次へと仕事が入って来ているが、高齢者たちの買い物や介護も忙しいんだぜ。

 

 



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