ロシアの強大な軍事力を世界に理解させて、ともにBRICS諸国の中心的な役割を演じている中国を孤立させずに新しい世界基準の中心に置くために、実際のところはシナリオ通りに陰ながら応援しているのが、アメリカでありイギリスの支配階級の立場の本当の真意ではある。
米ソ冷戦もそんな流れで常にロシアは悪で米英は善、そういう構図を世界支配の為にワザと作っていた訳だ。
どの国も、世界覇権をアメリカから中国に移す動きのために、国民は犠牲を強いられ、猿芝居の小道具にされているのが実際のところだが、世界はメディアによって洗脳され尽くしているから、その大転換は粛々と冷酷な時を刻み続けている。
植民地や奴隷労働者たちがバラバラにならずに、そのまんま新しい覇権国に親を替える、その為の大混乱が世界中で起きている。
答えは先にあり、答えが変わることはない。
すべては猿の群れの管理者の変更、その一点に絞られた動きだ。
米中冷戦、米中敵対なんて、メディアを使った猿芝居の一時的なシナリオでしかなく、じきに世界覇権から降りるアメリカに、いまだに付属して喜んで植民地を気取っている我が国などは笑い者になる運命だと答えは出ている。
その時に右往左往させられて、新しい覇権国に高い弁償金を払わせられて救いを求めるように流れは決まっているにも関わらず、岸田政権は神輿に乗せられている。
いまでも、世界でも群を抜いて互いに多くの輸出入を続けているのは、他ならぬアメリカと中国だという事実が厳然としてあることを見れば、明らかな話だ。
シナリオ・ストーリー通りに、事は進んでいる。
阿呆臭い話だが、最初からそれを見抜いて生きている者は、その時の大転換に乗る準備が終わっている。
間抜けな演芸猿として右往左往するくらいなら、山や海で自由自在に遊び呆けてその時を待っている方が、限りある命の使い方としては合理的、俺はそうやってこの40年は決めつけて生きて来た。
株でも為替でも商品市場でも、短期の目先の上下動で大袈裟に語られることが報道の癖になっているが、惑わされることなくもっと長期の展望を持っていれば、日々の騒動など気にするほどのことでもない。
AIロボットの錯乱か、ファンドの期末帳尻合わせか、みな大変なのよ。
カモになるのか、カモをゆっくり食べるのかは、貴方しだいと言うことさ。
人間は身体がまだ若い時分は、いちいち身体のことなど考えることもなく、意欲の赴くままに活発に行動できるもんだが、それを激しく続けていると身体は消耗してゆき、意欲があっても身体と相談しながら動くことが普通になってくる。
そのまんま老いが進むと、意欲と相反する身体の衰えに苛立ちと情けなさをいつも実感するようになり、その身体の衰えや消耗から起こる色んな病について貴方任せの医者任せにしていると要らない病名を付けられて、ますます身動きが出来ない囚われの身になってしまう。
無理をせず、安全に、静かに暮らしていなさいとは、獣の意欲を殺し、植物のように花壇で生きて行きなさいと言うことだ。
俺は腸が破裂するまでハードに生きたが、オストメイトとなってそれに慣れたら、またまた意欲に沿ってどこまでハードに生きれるのかを試して暮らしている。
医者や専門家の助言は助言として聞くが、あとは自分自身で判断を下している。
自分の身体のことは医者や病院よりも俺が一番に理解できるようになっているから、その意欲と身体のバランスコントロールは、なんども失敗を経験して、老いてからも上手に進歩している。
自分自身で身体のことを学び、上手く調整して意欲も満たしてやる努力をいつも続けていると、心身のバランス維持は上手くできるようになり、医者や病院や薬は必要なくなる。
意欲に沿った行動は、人それぞれで良く、個人差はあって当たり前、ただしメディアや専門家などには振り回されず、人と人の関り合いから学ぶ、これが大事。
先に知識や助言で小難しい洗脳を真に受けて行動していると、意欲のぶち当たる壁は厚く高くなるだけだ。
自由自在で良い、AIロボットよりも生き物・獣としての完成度は、人間の方が遥かに高く雲を抜けていることを実感すべきだ。
一気に秋の気配となっているが、俺が登ってる山々はすでに気温は一桁、良い塩梅になっている。
ここんとこは山歩きをしながらも、多忙な時間を割いて高齢者たちを連れて気分転換の日帰りツアーをやっていたり、相変わらずに色んな動きをハードに続けている。
それぞれの体調を見ながら、マニュアル通りの糞オモシロくもない医者や病院の判断をこちらで解剖して解釈し直して、無理のない、それでも少しは頑張りなさいというコースで戻って来ている。
人生を山や海で遊び惚けているジジィには、引き出しがキリのないほどにたくさんある。
この季節は、こんなとこが良い、そこに行くにはこういう日に、こういうコースが良い、観光ツアーなんざ屁みたいなマニュアル通りだが、もっと詳細な愉しさを幾らでも知っている。
そういうコースを辿りながら、周囲を囲む高い山々を指さして、毎週あの辺のテッペンに登っていると教えてやれば、その凄さも実感しているだろう。
高齢者の生きて来た箱庭では、消費医療と消費生活しか楽しみは無く、哀れなもんだったと自覚してるのかどうか? 多分、それすら解ってないんだろうと想うよ。