パラジウムが1000ドルを切ってきたが、仮想の市場で遊んでいた連中が逃げて行ってる意味はなんなんだろうね~。
金(ゴールド)よりも高く、2800ドルまで膨らんでいたバブルが、3分の1にまで萎んで、プラチナに近づいている。
第二次世界大戦は、世界の金融経済がガタガタと崩れ、世界恐慌となってから始まったという歴史は、色褪せてしまったのか?
携帯やパソコンを使ってネットで自分の日常生活を露出する以上は、自らで足元を晒している訳だから、利用され玩具にされようとも、巧妙な詐欺な出会いに襲われようとも、所詮は自業自得、日常の対人の関り合いから拡がる人脈とは比較にならない浅薄なファンやコメント・いいね!の多くが、AIロボットによるサクラの仕業になってることくらい、気がつきなさいよ。
対人・対面で始まってすら出会いや交渉事には怪しいことが多い時代に、呑気にネットや携帯を弄って楽して出会いを得ようなんて、エエ加減に止めとけや。
くだらない。
加害者も被害者も、みな病んで歪んだ自意識過剰の、おなじ穴のムジナ。
俺がガキだった戦後の高度経済成長だとほざいておった復興期は、もっと酷い社会の表裏を見たもんだったが、すべて幼児化してるさ。
楽して、痛みを伴わないで、自分だけ気持ち良ければ後は知らないなんて、いまの高齢者たちの介護をやっていると、そのまんまだな。
ボケた高齢者たちが作って来た間抜けな社会で、若い人たちも溺れてチンケな猿になっている。
心の動く話にはなりようがない。
誰かに認めてもらって、支援や応援を受けて、既存の組織やグループに組み込まれてゼニカネ儲けをしているようじゃ、ナニも自由な楽しみなど手には入らないさ。
世界の価値がぐちゃぐちゃになってゆくときの生き様は、まずは自分自身を知り尽くす為に既存のあらゆるモノに絡んで関わって、迎合したり仲良くするのではなく、そこで何者とも違う自分を作り上げることが大事な準備になる。
いつでも孤立して自我を貫ける食い扶持作りも身につける。
小さな閉ざされた世界だけで満足したり、染められて支配・管理されることに安住してしまえば、その時点で個の生は終わりとなる。
誇りやプライド、自意識というものは、決して他人に対してや社会で外に出すものではなく、己の中で己に対して、常に真正面からキレキレの刀を突き付けているものであって、日常の現実の生き方でそれは見せて行くだけのものだ。
モノや外見・恰好や、ゼニカネを見せびらかせている猿な社会には、人間はいない。
なんか洗脳されて、日本語の使い方まで可笑しくなってるが・・・大笑いだろう。
ところで、自分たちが楽をして生きて行けるようにと、他のグループや組織や民族を集団で殺してしまう、こんなことを延々と続けているのが人類という間抜けな獣だが、人間以外の生き物ですら邪魔だからと乱暴に殺して絶滅させることを、経済活動では合法的に続けている。
ここで言う合法的という意味は、人類にとってという歪んだ根拠の上にある。
キリが無いことだ。
人間には個々の特性があり、それも日々に変わってくる特性もあり、現代人の軟で脳タリンなオツムでは、いちいちその時の気分で殺されている生き物は迷惑千万、殺して食うことが生きる為だけでなくゼニカネ儲けの経済活動になって、我欲の対象に繋がっているからこそ、おなじ人間同士でもそれを延々と続けている。
好き嫌いで激しい殺し合いをやっているのが、人類という下等動物だ。
世に言う冒険家や探検家という類の冠をヒモ付けしてメディアに登場する猿は、すべてが脚本のある金儲けのための安い作り物だと最初から知っておれば、いちいちその言動に踊らされることもないが、講演会だの、記録本だのと喜んで買っている阿呆も多い。
感動してる連中は、安い猿にすら簡単に騙されて喜んでるマゾな小動物ということだ。
自分で常に行動を起こして仕掛けて生きている者には安い嘘はすぐに解るが、メディア奴隷の又聞き・覗き見ばかりの引き籠もりには、その真偽など理解すら出来ない。
今の日本の社会とは薄ら寒いメディアの作り物と、大多数の小動物で回転している場末の遊園地の薄汚れたメリーゴーランド。
とてもじゃないが、興味も湧かない退屈な狂騒。
昭和の頃から続いている、相変わらずな景色。
相対性理論とは、狭い世界に閉じ込めた猿2匹に、互いを必要だと思わせるところから始まっている酸鼻な仮定の口実。
太陽系に属しているだけで良いだろうに、日本だの、東京だの、みみっち〜組織やグループに属して喜んでる猿なんざ、阿呆の極みと言って良い。
俺は若い時分は大きな会社や堅い会社という幾つかの企業でセールスマンをやっていたが、一度も社長や経営陣が偉いと思ったこともなく、そんな会社に長くいるつもりもなかったし、すべて勉強だと考えて社内で威張ったり上の肩書を目指したりもなかった。
じきに俺がすべてを作り上げる自営を始める為の、準備期間だと考えていた。
もっと言えば自分の残りの生の時間を有意義に使う為の礎を作っていただけだ。
英・欧が続けた世界の植民地化から引き継いで、アメリカの世界覇権とはなんだったのか? ということを考えるべきだ。
世界の植民地化された地域で敵対する勢力を育て双方に支援して分断し、延々と搾取を続けることが高尚な金融経済の元となっていた。
英欧によって植民地化した地域が独立・自立しないように混乱させ内紛を作り、殺し合いを止めないように娯楽と酒と麻薬を社会にはばら撒いて来ただけだ。
猿芝居とは、このことを言う。
我が国の与・野党なんざ昔からそんなことで作られた猿芝居政党に過ぎない。
上っ面のキレイゴトなど見る必要はなく、ただそのことから目を離さないでいること。
それでも世界はいよいよBRICSを中心にして自立を始めている。
ウクライナや中東の紛争は、米英欧が打ち上げる最期の花火でしかないが、無意味に殺し合いをさせられている現場の市民のことを他人事として眺めている日本人が多いが、貴方がたにはすでにバイオテロが仕掛けられている。
飲酒の習慣、美容整形、医薬健康食品、予防医学にワクチン接種、生まれてから既に施されている人工的な飼育豚の養成は、義務教育・偏差値教育で焼印を押され、生産と消費の機械的な輪廻の輪を、死ぬまで続けることが生きる意味になっている。
こうすれば人類は飼育できるという見本になって、完成したかに見える島国だが、人間を知らないロボットに管理された獣たちは、そのロボットを破壊し始める未来が、俺には見えているさ。
暇な時間つぶしにしては、退屈な日常だこと。
日本の島国には、要らないモノがたくさん作られているが、人工のモノがナニも視野に入らない高い奥山には、人間が忘れ果てた魅力が、際限なく在る。
それをアクシデントだとかトラブルだとか騒いでる猿な社会は、もうたくさんだな。
なんども書いてるが、人間に出来ることとは、自分の両手を目いっぱい開いた範囲でという真実を、みな忘れてしまってるさ。
自らの行動範囲を無限に拡げて行けば、その範囲も拡がってゆくだけの話で、楽して安全に籠っていたって、能書きと勘違いと思い込みが増えてゆくだけで、ナニも生まれない。