オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

生きて居る意味など、燃えるゴミ

2023-12-06 10:17:50 | 地球と生きる

 

 

 訃報が届いていた。

 若い時分の一時期を、おなじ釜の飯を喰った同世代のオヤジが、また先に死んだという知らせが来ていた。

 ここんとこ風邪気味なのが治らず、身体が重くって、気分も冴えない日が続いているが、先日の古い寺社の階段ばかり歩いて来た筋肉痛も残っておって、あ~あという感じ。

 高齢化社会とは言うが、俺のまわりの俺たちの世代はみな激しく生きて来たから、高齢化を待たずにすでに身体がボロボロになってるだろう。

 そうやって人間の社会は人口調節をする訳だ。

 俺ですらすでに腸をぶった切って、腹筋に開けた穴から端くれを出して、そこを肛門として袋を付けて生きて居る身体障害者になっている。

 いまさら別になんということもないが、どんどんまわりの激しく生きた同世代が先に逝ってしまうと、俺は生きて居ることに執着がなくなってくる。

 人間の日常の出来事のすべてが退屈で、下らない、猿芝居、俺はもうすでに充分に生きたと言う想いしかなくなってる。

 阿呆みたいなコロナ大騒動とその後のワクチン接種騒動でも、呆れ返って傍観するしかなかったが、今現在の日本の置かれている立場を考えながら島国の社会を見渡していると、醒めた感情しか湧いては来ない。

 あとは山や海でこの地球を感じて、新鮮なトラブルやアクシデントに身を任せるだけ。

 そんな年末になっている。

 

 日本は、太平洋戦争の最後に無残な無差別大量殺人とも言える原爆を広島・長崎に投下され、東京大空襲でも焼野原にされ、大勢の先祖が亡くなっていった。

 ド真ん中に位置する皇居は何故かキレイなまんまだった猿芝居。

 敗戦間近には日本人の心の拠り所の富士山を、血の色真っ赤に染めてやろうか? という作戦までアメリカ軍にはあった。

 そんな相手国のアメリカに戦後はすべてを牛耳られ、植民地として世界の笑いモノになって今日に至っている。

 俺から上の世代は、アメリカは凄い、イギリスは優秀だ、この一点張りだった。

 映画や音楽、芸術に至るまで、米英欧の猿マネを始めて、彼らの言うことを素直に聞いて上納金を差し出しておればこんなに平和な国家になれると、応援団のような立ち位置で令和の時代を迎えている。

 嘘ばかりだ。

 なにも米英欧を批判・非難している訳ではなくって、日本は戦後の復興期を高度経済成長と銘打って、良い思いもたくさんしてきてるが、これからの国家観は大きく変えていかなければいけない時代になったと、言ってるだけ。

 自立することを放棄したおかげで、アメリカの世界覇権が国内分裂で風前の灯となっている現在、ドル支配の経済圏は徐々にドルを使わない状況に変化して行く中で、アメリカとともに世界の中心から離れて行くような国家運営になりつつあるが、先に梯子をはずされてゆくのは、日本人の方だろう。

 そのうえ在日米軍が全面撤退する事態が近い将来にやって来る訳で、国土防衛をどうするのか? 大勢を占める資源国との交易はどうするのか? いろんな大きな問題を抱えているのに、国内では痴話喧嘩と足の引っ張り合いにうつつをぬかして、あとは芸能・スポーツニュースでお茶を濁している。

 この国は常に事が起こってから、井戸端会議を始める猿の国だ。

 

 30数年前の不動産バブル時に、不動産営業の最初の目標は年収1000万円だった。

 令和の今でも、目標の年収1000万円は変わってないのを見ていると、笑うしかないが、サラリーマンが住宅購入で組んでるローンの総額は2倍を軽く超えている。

 なんの疑問も感じずに、まわりと同じだからと首輪をはめられて喜んでる。

 日本国憲法の上には、日米安保がドスンと重石として載っているのもそのまんまだ。

 ナニも変わってない、変わったのは猿が目先の我欲を満たす消費するモノだけだろう。

 世界はBRICSの旗揚げで、大きく二つに分かれて来たが、この国には選択肢などなくて、最後まで米英欧の王様たちの僕として、優秀な植民地の見本となって、落ちぶれ果てて行くしかなくなっている。

 いまや東南アジアの後進国だと見下していた国々から、中流の人たちが気軽に観光でやって来れる国となり、オモテナシの幸せなマゾ国家は女・子供の未来をも買ってくださいと諸手を差し出している。

 残念ながら、これが日本の現状だ。

 植民地の中で、奴隷同志が競い合っていたって、支配者が変われば何の意味も無い。

 国民ひとりひとりが自営を始めて、まず自立し、そこから国家も自立する訳だが、キレイゴトばかりの言い争いを聞いていると、みな餌を貰ってる者どうし、これじゃ~国家の自立も難しいだろう。

 俺は30歳半ばで、後悔しない生を生きるためにと自営を始めた。

 口で偉そうな能書きを垂れる前に、やることをやって、それから悠々と言いたいことを言って自由自在に生きて行ける日常を手にしたかっただけ。

 その通りになっている。

 が、社会はナニも変わってない。

 その間、この国の国民の動静を眺めて来たが、駄目だな~と笑うしかなくなってる。

 俺にはこの自然に恵まれた島国で、四季のある山や海で遊び惚けるという楽しみが生涯を通してあるから、なんとかこの国にいるようなもんで、若い頃はこんなチンケな日本になどいなくても良いとすら思っていた。

 

 世界で起きる偶発的なテロやクーデターや、紛争や戦争が起きる前に、株式や商品・為替の市場ではその情報を予め知っていたような空売りや買い占めが普通に行われているが、これはずっと昔からのことだ。

 ワザと摩擦を起こし、火の手が上がる前の煙の段階で罠を張り、頂いてしまう手法だ。

 猿芝居で、多くの無関係な人々が命を玩具にされ、悲劇や感動的な再起物語をハリウッドではたくさん作っているが、そこでもゼニカネ儲けは行われている。

 ケツの毛まで頂いてしまおうという、意地汚いゼニカネ儲けの正体さ。

 高度な資本主義? 高等な経済学? 詐欺師の上っ面が変わってるだけのことで、なにも新しいモノは生まれてはいない。

 金が儲かればナニをやっても良い、手段は選ばない、とにかく儲かれば良い、そんな時代が訪れているが、結構なもんさ。

 人間がひとり、生きて行く意味、社会という集団で自分として生きて行く価値観、群れの中での己の意義、そういった生涯を貫く個性など、ゼニカネ儲けのロボット社会では生ゴミになっているさ。

 俺はそっちの方を突き詰めて生きて来たから、そろそろ御用無しなのかも知れないね。

 儲けを捨ててでも、ナニをやらなかったか? そういう話の方が俺には多いが、そっちの会話の方が愉快なのは、俺くらいかな。

 人間の社会は、いずれはそんな時代になるしか無いだろうが、生きて居る間は叶いそうもない。

 いまは個性なんぞは邪魔で要らない時代、豚舎の豚のように生きておればエエのんさ。

 合法的であれば、ナニをやっても良い、すべてが破壊されるまで続くんだろう。

 

 人間の世界では、心を動かすようなことがなくなってしまってる。

 その足元がぜんぶ丸見えになってしまってる。

 だから、どこの山に、登ってこようかな・・・。

 



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