馬酔木の花言葉は・・・純真な心・・・だが、毒があっても純が良い?
俺は、毒毒しい、汚れ果てた末の簡素な枯れ花のほうが、魅力を感じる。
幼い、若い、初心、純粋・・・みな、薄汚い半端モノばかりなのが解って来ると、自分なりに最低限で整えて、ごくごくシンプルに生きている高山植物は、綺麗だ。
メディアが取り上げる人物は、そもそもがみな役者のような存在になっておって、演じるシナリオは別にある。
報道ニュースであっても、芸能・スポーツであっても、政治や経済であっても、メディアから流れる話は、すべて脚色されて、シナリオに沿ってダダ漏れになってる。
その解説や受け取り方、感動の仕方はあらかじめ義務教育や社会教育で洗脳し果てているから、シナリオ通りに国民の多くは反応し、集団でおなじ動きを始める。
飼育豚の養豚だ。
そもそも、皆さんが春先から大騒ぎをしているコロナウイルスとは、どういうウイルスなのか? 詳しく解っておれば、こんなに大混乱にはなっていない。
新型肺炎コロナとは言うが、ナニがどう新型なのか? 解りやすい説明などナニも無いまんまに、やれ検査だ、やれ抗体を調べろ、やれ自粛だ・・・と、喧しいだけのミーハーな社会が滅茶苦茶な動きに精を出しておった。
PCR検査とは言うが、なにを検査してなにを見つけるのか? それすらはっきりとは解らない。
そこでナニかが見つかったとして、それが新型のコロナだと確証できるのか? それもエエ加減なまんまだ。
なんども言ってるが、この地球上には数えきれないウイルスが蔓延していて、人類が生きる為に必要不可欠なウイルスもたくさんある。
放射能がなければ人類は生きてはいないだろう、という事実とおなじ結末になる。
ウイルス自体、常にいろんな種類のモノが混在して、人間の体内には常に入り込んでおって、新型コロナとは言うが、どういうウイルスがそれなのか? 解ってない癖にワクチンを年内に作るんだとまた大騒動だ。
ワクチンが効くのか? 副作用や害はないのか? という治験には5年以上の月日は最低でもかかる。
インフルエンザのウイルスですら、色々あり、新しいウイルスだと言われても、それはあんたら専門家が努力もせずに欧米や中国の報道に振り回されて混乱してるだけの精神的な動揺なだけで、ナニがなんだか解らないまま、3~4ヶ月が無駄に過ぎていってる。
そんな支離滅裂な対応でも、例年のインフルエンザと比べても酷い被害は出てないことが見えてきてる。
そもそも医学の医者や専門家や学者は、われわれ自営を長く続けている経営者と比べると、ずいぶんと楽な仕事をやっておった。
それがいきなり日の当たる社会の中心に立たされてしまった訳だから、どいつもこいつも舞い上がってしまい、自分の研究で調べたものでもない単なる又聞きの情報で、解説を始めているから余計に収支がつかなくなってる。
では国民の側は? なんで皆さんはそんなにビビッて閉じ籠って、ノイローゼになっておったのか?
そう、気が付けば、お笑いな間抜けでお馬鹿なオツムに成り果てておるからだ。
・・・みんなが騒いでるから!
・・・国や自治体が大騒ぎしてるから!
・・・テレビや新聞でその恐ろしさばかりを吹聴しているから!
・・・コロナは怖いんだって!!
そればかりで、根拠も無く、自分で調べようともせず、理解もせず、ただただ右往左往している。
挙句に経済だけを止めてしまい、自分たちの首を締め上げていってる。
これをキチガイの狂騒だと言ってる俺は、社会では四面楚歌、オモシロイもんだよ。
大笑いだろう。
この3ヶ月、当社は自粛要請もない業界で、困り果てた顧客らのために奔走し続けてきて、支援も助成もないまんま、自腹で動き回ってきているが、国や都や区になんか期待することも最初からまるでなく、自分で生きて行くわい!と、隠密裏にアチコチで動いてる大きな取引も根回しを続けてきて、無事に今日はその一つが成約となる。
疲れ果てたが、成果も大きい。
千に三つのギャンブラーと言われる由縁だろう。
たった一つの契約で、皆さんの年収の何年分かはアッと言う間に稼いでしまう。
元手はこの障害を負って老いてボロボロになった身体ひとつ、それ以外に無駄な経費もかからない。
借金も負債もビタ一文抱えずに、その日暮らしを続けている。
そうしてそれは自分の力だけでは生きて行けない多くの身内の者へと還流し、俺の手元にはいつも残さない。
すぐに次の大きな取引の根回しが始まっているし、日常の種まきもアチコチで続けている。
こうやって、こんな情けの無い国家とも言えない国でも、自営を悠々と続けている。
大人のいなくなってる幼稚でナ~ナ~な社会でも、厳しく生きている。
すでに去年を超える売り上げをあげている。
社会や国家や世界の情景とは、いつも関係なく、マイペースで生きる。
コロナ貧乏の罠にどっぷり嵌ってしまってる善良なる庶民の皆様方は、滑稽な価値観にカビが生えて居る。
その泣いたり笑ったり怒ったり悲しんだりは、明治・大正・昭和の丸写しコピーのまんまだ。
愛や恋だと逆上せ上がったところで、自意識過剰のなせる腐臭漂う自慰。
興味も湧かないし、心の動く場面もなくなってる。
とっとと稼いだら、俺はまた奥山に出掛けるわさ。
こんな阿呆ばかりの世の中社会に、休日まで付き合うのは御免だね。