オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

おかしなおかしな人間社会で遊ぶ

2018-12-30 10:39:17 | 地球と生きる

 

 仕事は今日でやめとくわい。

 利他主義だとかキレイゴトを抜かして上場して居った不動産屋が銀座にも居るが、顧客を放置したまんま、連絡もないまんま、自分らの休暇にとっとと入っておるが・・・これが日銀の買い支えてる日本の上場企業の実態だな。

 笑えもせんがな。

 

 トランプの続けているアメリカ国内の好戦派の排除が、来年には終わるだろう。

 世界中で戦争とテロを仕組んでは利益を上げていた軍需産業と大メディア群の解体が、終わる。

 醜い自作自演のゲームは終了する。

 新しい世界の秩序は、トランプの黒幕が既に動いてる通り、ロシアと中国が中心になって構築して行くだろう。

 馬鹿で乱暴なドンキホーテを演じ続けてるトランプは、良い役者ではある。

 ただ、新しい秩序はハッピーだとは限らない。

 特に我がイエローモンキー国家にとっては、悲劇を生むかも知れない。

 国民がそれを許している以上は、仕方のないことだろう。

 

 地球は活動期に入っている。

 温暖化という資本主義での身勝手な解釈とは別個に、地球は活動期に入っており、地球の歴史で言えばほんの一瞬しかまだ生きてない人類の経験則では理解できない、そんな異常なことがどんどん起きて来る。

 すべてが想定外のことになる。

 知識や経験がない大人たちが、滑稽な醜態を晒してる社会とおんなじさ。

 ながく山や海で遊び呆けてる連中の間では、すでに以前からこの地球の異常気象については頻繁に話題になってる。

 海でも不思議なことがたくさん増えてるし、山でもそれはたくさんある。

 学者たちがパソコンの前から離れ、そんな山や海で遊び呆けてる連中の話を聞きに来るようになれば、もっと学問も進むんだろうが、残念ながら、現代の学者や専門家は、覗き見と又聞きがその日常の仕事になり果てて居る。

 どうしようもないのは、そんな薄っぺらい自己満足で過ごしてる社会そのものだ。

 来年はもっと地球の変動に人類は引っかき回される年になる、これは想定内の話。

 そうして人間の社会も、すでにグチャグチャになってしまってる価値観がもっとグチャグチャになって行く。

 それでエエんやで、そうやって時間をかけて変わるしか、人類の価値観は変われない。

 

 恋愛がうまくいかないとか、仕事がうまくいかないとか、後を引かないようにやっておっても、人間のやることには流れというものがある。

 逆らえない流れというと語弊があるけんども、独りで山奥で淡々と暮らしてる訳ではない社会では、そんな群れの作る流れに身を翻弄されてしまうこともある。

 これは歳をとっても、普通にある。

 そんなときは、ナニもしないことが一番、自然で良い。

 神や仏なぞいるもんでもなく、他人や社会だって頼りにはならない。

 ジッとやる気なくして、笑ってボ~っと山や海で遊んでるしかない。

 そうして過ごしてるうちに、また流れが変わって来る。

 時間しか、解決法は無いとも言える。

 銀行屋だった親の定めで転居の多かった俺のガキの時代、転居の話を聞くとそうやって過ごしておったわ。

 余計な動きはしないに限る。

 日本人で生まれたいじょう、山や海はどこへ行ってもある。

 遊びには、困らない。

 

 自分の子供ですら、どう接すれば良いのか解らなくなってる間抜けな親は多い。

 思春期や反抗期になればなおさらに、あとで解消できないような距離を作ってしまってる。

 俺は俺自身が、家にも寄り付かないとんでもない激しい思春期を過ごしたもんだったから・・・

 ・・・おい、お前には腹違いの兄ちゃんや姉ちゃんがおるんやで・・・

 日常の会話の中で、普通に思春期を迎えてる子供に話してやって居る。

 ・・・おい、お前には腹違いの弟がいるんだよ

 普通に飾り事も無く、臆面もなく話してやって居る。

 みな、一瞬はギョッとなるが・・・たいした問題じゃ~ない、俺の生き様だ。

 そんな父親の子供として、みなずっとキチンと遊んで育てて来てるから、別に距離もナニもありゃ~しない。

 嫌になるほど俺の吐く息を顔にかけ、嫌になるほど抱き締めてやって、体温を共有してやってる。

 ・・・今度紹介してやるから一緒に遊ぼうぜ!!

 またまたギョッとしてるが、関係ない。

 そこでも普通に遊んでる。

 この夏に4人で遊んだときは面白かった。

 ・・・考えてみれば、お前らはみなスポーツ・クラブのキャプテンだな~、さすが俺の子だな~

 息子たちはみな、学校最後の運動会では騎馬戦の大将になっておる。

 時代も学校も取り巻く環境も違うのに、それぞれが人間の集団で生きる術を身に付けてしまってる。

 みな平等に可愛いことに違いはなく、誰かだけということもなく、俺は俺でまた自分の残った生を生きて行くだけのことで、忙しい。

 当然に、それぞれはたくさん壁にぶち当たり、若気の至りを繰り返すだろうけんども、生きるとは、そういうことだし、それが愉しめるようになって欲しいといつも願っている。

 素敵で優しい爺様には、なりようがない。

 若い頃は決別ばかりだったが、いまはそのまんまで良いと思うようになった。

 自然で良いじゃ~ないか?

 自分が何度も死にそうになって、終わりを意識することが多くなると、自然で良い、そう想うことばかりになった。

 余計なお世話なことばかりが多い現代では、この自然で居ること自体が、難しい。

 

 今夜から、片道1000キロのドライブに出かける。

 免許をとったばかりの息子と出掛けるわけだが、日本中で周旋屋をやってきた俺には別にナニも感動はないし、毎週のように往復5~600キロ、山の行き帰りで走ってる爺ィには新鮮なことはなにもないが、景色の変化は愉しめるわけだ。

 あちこちでなんか美味いモノを喰う。

 地元の奴らにちょっかいを出す。

 若いうちには、自分の生まれた国を目に焼き付ける、これも大事なことには違いない。

 すぐに海外のパンフレット通りの観光に出掛けてる阿呆にはなって欲しくない。

 オリジナルの生を、自分で作って行って欲しい、これはどの子にもおなじ願いだ。

 時間や人間社会に煽られたり、振り回される大人にはなって欲しくはない。

 こんな無味無臭の洗脳されてる土人ばかりの国で生きるには、ゆっくりで良い。

 自分の足型に凝るくらいで丁度良い。

 ただ、その足型の向かう先のことは、自分でいつも考えておけ。

 どんな形であれ、命を繋ぐことを忘れるな・・・そういうことだな。

 

 いよいよ仕事納めなどナニもなくなって普通どおり、新年のためにナニかをすることもなくなって、年賀もやめにしたから悠々と、簡素に合理的にが研ぎ澄まされて、自由自在に、なるように生きる、そうなった。

 またさ、来年はもっと簡単に単純に生きようと想う。

 神や仏の峠を越えてしまうと、あとは笹原の快適な尾根の道。