オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

悪霊と憑き物の捨て場所が俺の店

2023-02-01 10:22:57 | 地球と生きる

 

 銀座で10年を超える自営の歯科医を続けているオバちゃんがいるが、俺が転々としていた時代の中学校の10年後輩で、田舎から老いた両親を連れて来てからも二人の歯の担当医になってもらっていた。

 昨年末に亡くなった爺様も、最期はボケて入れ歯を三個口に入れようとしていたり、愉快な話はたくさんあるが、昨夜はそんなお世話になった人たちと、婆さんと、インド人の店で歓談食事をして来た。

 老いたら週に1回はカレーを食べると良いと友達に言われたからと、婆さんの言い出しっぺだった。

 不動産の話になると紹介のお客さんの近況や、幾らでも積もる話は出て来ていた。

 女性は目に見えないモノに惹かれる性癖があるから、毎週のように現実だけの大自然の中に身を置いているオヤジには、オモシロイ話ばかりで、笑い飛ばしてやることばかり、エステやネールの店をやってるオバサンたちでもそうだが、なんか嫌なモノを背負ってるお客さんがやってくると直感で感じてしまい、身体が重くなる話になり、その解決策は俺の店にすべてを置いて行くと、そんなことになっていた。

 憑依だとか、憑くだとか、面倒くさいから 俺のとこに置いて行け!! とは、昔からの除霊の方法だ。

 俺は幾らでも背負ってやれる。

 そうして皆さん軽くなって、元気にそれぞれの仕事に戻って行っている。

 俺は高い山のてっぺんに担ぎ上げて連れて行って、天に放ってやって、大笑いしておる。

 そんな女性たちから見える俺は、時に相当に重いモノをたくさん背負っていることもあるらしいが、関係なしに山に登って、綺麗さっぱりして降りて来てるらしい。

 よくわからないが、俺はそう見えているらしい。

 だからにっちもさっちも行かなくなったら、俺のところに来るらしい。

 ますます、よくわからないが、女性はみな好きだから、俺も歓迎して話を聞いてやっている。

 摩訶不思議で、オモシロイ話ばかり、その現象すら俺には理由が解るから、笑って聞いてあげている。

 

 そもそもが金儲けをしたいから、自営を始めた訳ではなくって、自分の時間をたくさん自由自在に生きて居たかったから自営を始めているから、金儲けだけで生きてる連中や、会社を大きくしたいとか、評価されたいとかで生きてる連中とは、話をしていても退屈になる。

 競争に勝ちたいとか、金メダルが欲しいとか、金持ちになりたいとか、メディアに取り上げられて有名になりたいとか、最初から興味もなかった。

 この魑魅魍魎が跋扈する猿社会で、俺はどう生きて行くのか? それだけで生きて居るとも言える。

 だから喜ぶとか笑うとかの場面も、俺の場合は相当に皆さんとは違ってしまってる。

 それで良いんだと、また笑っている。

 

 自営を始める前に、自分はどう生きるのか? 俺の場合はそれが一番に大事だった。

 思えばガキの頃から、そればかりを考えてやりたいように生きて来て、反対されたら親であっても捨てて家を出て、大本山の禅寺でマキ割り・掃除の修行を始めた17の頃でも、高僧と呼ばれていた禅僧とも話が合わずに止めてしまったり、そのまんま邪魔されても関係なしに、64年を自分の思うように生きて来た。

 そうやって生きて来て、老いて離れて暮らしていた両親も2年前から近くに引き寄せて、面倒を見るようになった。

 婆さんは田舎の友達連中に今ではよく言われてるらしいが、一番に苦労した長男が、一番に親孝行をしていると、傍観者からはそう見えるらしい。

 俺自身は、自分の思い通りに生きて来た訳で、子が産んでくれた親の面倒を見るようになっただけの話だが、黙って笑っている。

 世の中社会の善意の勘違いには、逆らう必要も無い。

 世間・社会とは、勘違いと錯覚で成り立っている幻想でもある。

 そのうちに逆の評価になるのも、よくある話だ。

 他人や社会の評価なんて、勲章や肩書とおなじで、別段にどうでも良い話だ。

 

 営業で、身内や知り合いにモノを売るようになったら終わりだろう。

 俺は40年も前に営業の世界に入ったが、最初からそれは自分に言い聞かせて来た。

 媚びたり乞うたり、コネやツテを使うような姑息な営業をやっておれば、おのずとやってる人間も陰湿・陰気になって行く。

 長く続けるには、いつも自由自在に堂々と、貸し借り無しでいなければ、ナニも笑ってできんわいな。

 遠慮したり、指図を受けたり、命令されてるようじゃ~、猿のまんまだろう。

 

 悪質で強引な勧誘や洗脳行動を続けている宗教団体が、調子の良い対抗手段に出るときは、決まって信教の自由と差別を看板に立て、あとは加害者ではなく被害者だと感傷に訴える安っぽい方法をいまだに取っている。

 これは悪徳商法を続ける訪問販売でもおなじで、芸能人を広告塔に使ってるマルチ・ねずみ講でもおなじだ。

 臭い芝居は昭和のセピア色、いまだにヒロポンでもうって、酒に溺れているようなもんだ。

 やってる方も、やられてる方も、マゾ気質なだけ。

 退屈な話だが、いまだにあちこちで騙した騙されたとやってはいる。

 興味も湧かない、猿芝居。

 

 さ~て、新年度が始まった。

 腹が減ったから、まずはなんかを喰って来る。