毎日の朝の仕事はじめは、大量の迷惑メールと大量の広告宣伝メールの中に紛れてしまってる大事な仕事のメールのチェックからだが、こういう安易な営業・物売りを野放しにしているからこそ、俺は電話やショートメールだけで生きるようになってる。
こういう安易な営業ばかりやってる企業の名前は覚えてしまって、あちこちでダメな企業として話をしている。
人間が楽ばかり求めて来た代償は、人間としての退化と猿化、死ぬまで止まらない猿のオナニー行動になってしまってる。
大腸癌が一気にあちこちに転移して、いきなり癌ステージ4を古女房が宣告されたのが1年チョイ前のことだが、抗がん剤には頼らない半年の動きで根治まで進み、1年目の内視鏡検査や超音波検査などに付き合って来た。
ついでに俺も内視鏡検査を入れてあったので、前日から食い物が制限され、腹がぐ~ぐ~言っていた。
その間も、仕事の打ち合わせや、顧客の体調不良や転院の話、俺は医者や介護士でもないのに、頼られればアドバイスをしておって、暇そうに下半身だけで生きてる大人は腐るほどいるというのに、忙しいことこの上なかった。
後発白内障の対応で動き始める身内の婆様と、緑内障で動き始める婆様の面倒も見ているので、結局は自営で時間にも余裕のある俺が動くことになってる。
仕事が忙しいから・・・とは、都合の良い逃げ口上ではある。
俺は仕事で日本中を走り回っていた超多忙な若い頃は、あちこちで女が待っている、そんな状況になっておったな。
産まれて最初のうちは可愛がって育ててもらってた連中に限って、自分のことばかりの身勝手な子や孫は多くなってる。
原因は間抜けな消費生活と、自意識過剰な自惚れ斜眼帯生活。
目だけでなく、ボケや歩行困難になりつつあるのを見て、地域の包括支援センターにも連絡を入れて、色んな打ち合わせを俺が主導して動いている。
老いてくると、一日が短いようで長くなる。
残された時間にも限りを感じるようになると、ナニをする訳でもないが、会話もなく暇なだけに、変な焦りと諦めがその日常を支配するようになる。
高齢となり、体力の衰えが酷くなれば、足腰の弱りも一気に進み、どうじに自分で独自に動く楽しみを持たない受け身のメディア洗脳世代だから、ナニをどうすれば良いのかも解らず、ますます新聞やテレビだけに日を過ごすようになると、自分の生命のことも考えることがなくなってくる。
生きる屍とは、このことを言う。
まわりの子や孫たちは自分たちの幼児な洗脳消費生活に時間を浪費し、能書きだけですぐに行動を起こすことはせず、仕方ないのよと社会の構図のせいにして諦めて、自分の逃げ口上作りばかりをするようになる。
きっと自分たちのおなじような憐れな未来から、目をそむけるかのように・・・。
俺は関わった以上は、そうはさせじと動き回る。
先に言っておくことは、別に見返りはナニも要らないということ。
考え違いをしないで欲しいと、命の為に動くだけ。
悪いが俺はいつも儲かっているし、借金・負債もビタ一文持たない地球人だ、ということ。
こういう立場になって、初めて人や社会の為に動ける、ガキの頃からそう思って自分を鍛え上げて生きて来た。
白内障の手術も終わり、新しいメガネも作った婆様は、89歳という年齢も考えずに俺の役に立つことがあればとチョロチョロ喧しいが、老人同士の話相手にはなるだろうからと、邪魔にならない程度に同行させてやってる。
そういう日々を送っているジジイも、ここにいる。
新しい不動産の仕事も色々と入って来ているが、俺のそんな忙しい介護な日常も皆さん長い顧客の方々はご存じだから、優先順位のことも理解していただいている。
命が1番、金儲けは5番か6番、そんなことになっている。
金儲けよりも、皺くちゃの顔で笑ってくれる姿を見ている方が、愉しいでよ。
あちこちでやった子育ての愉しみもそうだったが、これからは老いぼれどもの介護を愉しむ。
不動産屋だから言わしてもらうと、住宅ローンは、借金・負債ではなく財産だと勘違いしてる人たちが多いが、それは国家や金融機関、不動産業者に騙されてるキレイゴトの嘘だ。
居住用ならばなおさらのこと、住宅購入にローンを組めば、メンテナンスや老朽化という輪廻のサークルが出来上がり、死ぬまで堂々巡りをする人たちがほとんどになる。
立派な借金だし、負債だし、生きてる上での手枷・足枷、どのみちサラリーマンや公務員は餌を貰って生きてる訳だから、お幸せに騙されておればエエという話だが、終わらない貸し借りの腐れ縁で、自由や自分という大切なモノまで担保に差し出しているという事実は、忘れてはいけない。
無理して見栄張って家を持つったって、そんな猿には要らないお荷物、もっとしなきゃ~ならないことはある。
メディアの洗脳と煽動を使って、国家が繰り出す新種の詐欺なんざ、無視して関わらないのが正論だ。
誕生日、クリスマス、ホワイトデー、敬老の日、母の日、父の日、なんとか記念日、あれやこれやの寿、色々と名称は作られて、モノを売る口実は昭和の昔からたくさんあるが、それを利用して日常の手抜きや身勝手な無視を誤魔化してしまおうとする、安易な祝う側の間抜けさだけが、際立って見える。
日常に、いつも大事に思って動いていれば、特別なことなどナニも要らない。
ワザとらしい猿芝居なんて、それは猿のやることだ。
メディアに煽られての日常生活なんざ、とっとと止めてしまえや。
なんかやらないと、置いてきぼりにでもなるの? みみっち~自意識だこと。
50歳や60歳で、すでに足腰弱ってオツムもイカレテなんて、役立たずも良いとこだぜ。
高齢者にすらなれない中高年は、腐り果てて来てるだろうよ。