オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

日本という島国の未来が見えてる

2024-06-05 11:34:29 | 地球と生きる

 

 

 先日の激しい雷雨で、南青山で管理している古いマンションやビルの雨漏れが心配になり出掛けておった。

 これからの梅雨の季節は雨漏れには気をつけなければいけない時節になる。

 顧客に会う訳でもなかったので、89歳の暇な婆様を同行してやって、さ~てどこで昼飯を食うべか? と走っておったら、スカイツリーにでも行ってみるか? となった。

 混み具合をチェックすれば通常の平日よりも半分くらいの人出だったから、雲も多かったが眺望は望めるだろうとそのまんま車を走らせてやった。

 いつもゴッタ返しているソラマチも意外に空いておった。

 腹は減っていたが観光客のランチ・タイムだったから今がチャンスとばかりにチケットを買ったが、想定通りの大当たりだった。

 アッという間に天空回廊まで登って、89歳の婆様は初めてだったので、揺れてるよ揺れてるよと大騒ぎだった。

 ・・・極楽浄土に来たような感じだろう?

 大笑いしてやると

 ・・・いや~、ここまで高いと怖くなくなるね~

 360度の眺望を俺のガイドで楽しんで、その俺は毎週いつもこの4~5倍の高さの山のてっぺんに登っていると教えてやったがな。

 降りてサッサと昼飯を喰って戻って来た。

 3時間チョイの雨漏れチェックの外出になった。

 スカイツリーの入場料金も障害者割引で同行者1名まで半額になるから、二人で一人分。

 前期高齢者の障害者に見えない爺ィを、89歳の高齢者に見えない婆ァが介助する構図になっておった。

 ・・・今夜は悪い夢でも見なきゃ~いいがな

 ・・・な~に、天国に行って来たようなもんじゃ

 喜んでおった。

 

 地球の表層でしか生きて行けない人類は、そのあちこちで神や仏という現世を離れた偶像を作りあげてその地域地域で大事にして来たが、それが教義を作りあげて宗教となった。

 小難しい取り決めやルールを作ってしまうと、それは支配する側の有利な利益となる。

 この日本という四季と厳しい自然災害とともに存在する島国では、もっと現実的な神や仏というものが存在して来たのが本当のことだ。

 生きて居る人間が、すなわち神や仏となるように生きる、八百万の神々が共存共栄して助け合って笑って暮らす島国だったのが、本当のところだろう。

 後付けの仏教やキリスト教の教義や経典などが伝来して以降は、それに染まっては互いに争うようになったが、それは島国にとっては悲しい後退でしかなかった。

 神に祈っている暇はない、仏に手を合わせてる時間がない、厳しい自然災害は生きて居る人間の経験と知恵だけで乗り越えて行かなければならない現実でしかなく、だからこそひとりひとりの人間が生きながら神となり仏になって手の届く範囲で自分の生の時間を犠牲にして生きて来た。

 いま、この国の景色を見回してみると、そんな大人社会などどこにもないだろう。

 大地震が来て、大津波が来て、怖ろしく荒れ狂う台風が来て、頼りになるものは生きて居る人間だけだと知っていた民族だったのが日本の民だったが、いまやナンの知識も経験も持たず、携帯の画面で検索しているのが哀れな実態だ。

 

 世界から注目されて投資されて島国が豊かになる為には、と考えて日銭商売に精を出しているようでは、本当の豊かさなど日本人には手には入らない。

 島国には天然資源などたいしてなく、自然災害の見本市のような国土で、ではナニを売りモノにして世界を呼び込むのか? 

 今まさに来日している外国人たちを見ていると、とてもじゃないが大金を落とす連中などではなく、ただ安い円と後進国化したおとなしい観光国で中流の満足感を味わう者ばかりがやって来ている。

 日本人がエコノミック・アニマルと言われ、一億総中流だとほざいていた時代のまさに逆さまな時代になっているだけだ。

 日本人の側も、目先の利益の為に変わったモノを提供しているだけのことだ。

 写真写りが良い、流行に敏感、みんながやっている、自作自演の安い商売ばかり、昭和の頃ならばともかくも本当に日本の島国に世界の目を向けさせるには、なんの魅力にもならないだろう。

 上っ面の、安い携帯画面に載せるための陳列棚みたいな街では、社会が崩壊して来る。

 日本人ひとりひとりがその生き様に自信を持ち、他人や世界の評価に迎合などせずに、四季があり厳しい自然環境の中でどう生きてゆくのかを実践する。

 それが出来なければアメリカの植民地から中国の植民地に変わるだけで、この国の未来は尻すぼみ、ダメだろうな。

 日常の生き方価値観を変えてみせることもせずに、親の言うがまんま、先生の言うがまんま、国家の言うがまんま、良い子になってそれを競っているばかりの島国では、人間としての魅力などナニも無いだろう。

 先頭に立って、ナニも怖れるモノなど無いぞ!と、背中で見せてやって笑って生きて居る大人がもっと増えて行かなければ、本当の日本の歴史など喪失してしまい、司馬遼太郎やナニやらカニやらが支配者の側に合わせるように作った嘘の歴史に振り回されて、猿の島国で終わってまうがな。

 

 テレビや新聞という日本人洗脳システムに対抗する位置付けで、TwitterやYouTubeというネットメディアがたくさん社会に浸透しているが、その資本投機の実態を見ていれば、ナニも変わってないだろうと解る。

 アル中に酒の種類を変えて飲ませているだけで、薬中に麻薬の種類を変えて与えているだけで、どちらも三文演者が猿芝居。

 銀座の街でも携帯の画面ばかり見ている猿ばかりが行き交い、陽が落ちるとアルコールに薬漬け、異様な景色が日常になっている。

 テレビや新聞よりも手軽で直接的に洗脳や煽動が身近になっただけ。

 最初はサクラとヤラセだけだった出会い系サイトが、踊らされた猿の群がりで普通の結婚紹介所にもなってしまってるのは、テレビや新聞がやっていた読者・視聴者参加型詐欺の手口の猿真似だ。

 露出狂と覗き見趣味を引き合わせるコンサルタントは、今さらな話で、管理社会に消費生活という刑務所の可動域がどんどん縮んで狭くなっているだけのこと。

 常識だとか普通だとか、代々踏襲して守っているとか、つつましく伝統を継いでいるとか、学者や専門家や高学歴がどうたらこうたらも、ただの広告塔なだけで猿は猿。

 やっちもね~時代を生きている。

 

 さ、次の仕事に取り掛かってゆく。

 死ぬまで終わりの無い自営は、こうやって日常を積み重ねて行くだけだ。 

 

 


梅雨になれば高齢者と空を見て山

2024-06-03 11:27:27 | 銀座の周旋屋

 

 

 昔からずっと、この島国の国家・政府というものを信用しないで生きて居る。

 当然に、それらの表裏一体となっている大メディア群というものも信用してないから、半世紀近くも前に出版業界のルールを無視して、月刊誌の自費出版をして大手の書店にそれを並べさせてもらったり、20歳過ぎの若い頃だったが例外作りに動いていた。

 それも結局は既得権益やメディア神輿に乗った文壇・著名人という教科書・義務教育を押さえていただけの軽薄なお化けに遮られてしまったがな、それ以降も生きているスタンスはナニも変わらない。

 メディアによる胡散臭い偶像化は芸能人の自作自演とおなじで、青山や銀座を拠点にして政治家や芸能人やスポーツ選手らの実態をつぶさに見て接して来てると、馬鹿臭い美容整形みたいなもんで、たいしたのはおらんよ。

 昭和の時代から、歪んだ国家や既得権益に群がる猿や、大メディア群・社会の大企業化に歯向かって起きた経済事件の主役・悪役らには、今でも私生活の部分では長い付き合いになってる連中は多いが、みな元気なもんだ。

 中身も無くなってる箱物を守り続ける自意識過剰で陰気な大行列は、隘路を決して通らずマニュアル通りに動いて行くから、不健康そのものだろう。

 寡を持ってして大行列を蹴散らすことに成功しても、死ぬまで破壊を止めない性癖の愉快な者は、当然にまたドン底にも堕ちてゆくが、そこに生きている目的や価値は無いから、悠々とお天道様を見上げて笑っている。

 円すら、最初から信用などしていない。

 興味は昔から金・銀という実物・鉱物のことで、鉱脈探しに余念がない。

 どういう意味なのかは、言葉のまんまでは解らないだろう。 

 

 おかしなインフルエンザの亜流の感染症が流行った時には、ワクチンなどうたずに早く罹るようにと、社会の底辺を動き回って関わり合って、コロナに罹ったという人たちにも平気に会いに行っていたが、それでも鍛え上げた自然免疫が強くて元気なもんだった。

 もともとインフルエンザワクチンすらうったこともなく、それで感染するならとっとと罹って免疫を作ってやれば済むと生きて来たから、強いんだろう。

 そんな身体でも2年前に古女房がいきなり癌ステージ4を宣告されてアチコチ奔走し、クタクタになったところで上手い具合にコロナの症状が出た。

 2日くらい38℃を超える発熱があったが、すぐに収まった。

 それ以降は、身内のものがコロナやインフルに罹れば避けるどころか寄り添って看病をしてやり、身近な者でもマスクもせずに介抱してやれるようになった。

 そんだけのことだったが、皆さんは恐れ戦いてワクチン接種を何度もうけて大層なことだった。

 予防接種とは、自然免疫を壊して人工の薬剤を身体に打ち込む愚かな金儲けのことを言う。

 治験もたいしてやらずに、その人工のモノが自然免疫に代われると思っているからこそ、恐ろしい話だ。

 俺は感覚や価値観が現代社会のソレとはまったく交わらなくなってる。 

 

 栄養を摂る、健康を考える、予防医学や予防薬学に消費と接種で応える、まず自分の全身をクタクタになるまで酷使して、体内にあるものをキチンと消化もしていないくせに、日常にそればかりを考えて生きていると、不自然な不健康が溢れ返ってくる。

 自分で自由に実際に動きもしないで、マニュアル通りの日常を選択肢から選んで習慣化して、そこでの感情も洗脳学習し、その後に起きることの対応もあらかじめ準備しておけば安全安心だという大人社会は猿の社会だ。

 合理性がない、論理性がない、整合性がないと信じないと言いながら、洗脳されてるだけの与えられた公式と模範解答だけで生きようとしている猿は、実は一番に自分という自在な個を無駄に封印して、コンビニの商品棚に自ら並べて喜んでいるだけの話。

 脈拍はいつも一定ではなく、視力や味覚もいつも違い、心臓の鼓動すら早くなったり遅くなったり、その自分の特性を知ろうとするならば、能書きは要らないからまずは本能のまんまに生きてみるべきだ。

 動いてから、考える。

 生きてから、思惟する。

 逆は有り得ない。

 後悔とは、動く前に知識も経験も無い癖に、アレコレ考えて責任逃れや逃げ道を探すから起こるもの。

 とっとと自信を持って動いてしまえば、あとは新しい自分をグイグイ生きてゆくだけだろう。

 それが出来るようにと、日常をダラダラ過ごさずに厳しく生きていれば良い。

 

  現場で、現実に、色んな関わり合いを続けて叩き上げてもいないのに、嘘の上塗りと自作自演と有能な権力の僕となることだけでメディアに支援され、現場での経験なんて持ってない猿でも、ポッと登場して脚光を浴びて、金儲け企業や店を始めて行列・大混雑している話題はゴマンとあるが、それが猿芝居の極致、現代社会の実態だ。

 メディア神輿に乗ってチョイと出の成金・守銭奴な政治家や芸能人・スポーツ選手やらも同じ範疇に入る。

 その大元締めは植民地管理の米・英大使館と相場は決まっている。

 メディアと相思相愛な奴らだけが楽して成長してゆく構図は昭和のまんま、スマホにネットの時代でもナニも変わってはいないがな。

 現場で長くやってる者が関わり合っている顧客層とはまったく違う、安く薄っぺらいその日暮らしの消費猿が群がる商売なんざ、ただの喧しいだけの喧騒だ。

 何十年も日常の現場でコツコツと関わり合いを拡げて来た者は、飄々と、堂々と、逃げも隠れもせずに笑って生きて居るが、メディア煽動の安い一見客ばかりを相手にしている連中には、ロクな取り巻きがいない。

 その実態や私生活は偏った変質者の集まりと孤独、酔いに任せた怠惰な日常とアル中から覚めた不機嫌、そんな程度のものだろう。

 今はまた多くの外国人の来襲によって混乱が酷くなって来てるから、俺の商売でもすでに決まっている契約の仲介に、ワザワザ・・後から入ってくれないか?・・仲介印だけ押してくれないか?・・という、取引の安心の為にと当社のハンコをつくような、そんな案件も増えている。

 高齢者どうしの取引だとか、金持ち素人どうしの取引だとか、イロイロある。

 なんだかなぁ。

 日常の煩雑・イレギュラーな取引に走り回って稼ぎ出す収入よりも、多かったりするから、周旋屋稼業とは因果な商売だ。

 メディアを利用して金儲けに走る時代には、そこで生息するニセモノ同士の皆が互いに疑心暗鬼になり、根を張って長く生きてる周旋屋に利益が回ってくることもある。

 信用を挟む、信用を入れる、実態の無い時代では、そんなことだろう。

 笑うしかない。

 

  昨日は息子のひとりが人気のスイーツ店舗をアチコチで展開している5代目か6代目かの老舗の娘さんと結婚するというのでご両親と会食して来た。

 お洒落なホテルのお洒落な個室で下世話な話ばかりをしていたのはいつものことだが、片目が見えずらくなっておって焦点が合わず、話も焦点が合ってなかったのもいつものことだった。

 ま~、しっかり手を抜かずに個を磨き、情けの無い日本の社会でも強い柱になって、新しい世界の構図の中でも生き延びて行けるように、それだけだな。

 人間社会のことはメンドクサイことばかりだが、それを言うと年寄りのワガママだと言われるから、黙って笑ってまた、とっとと山にさ登ってくるわさ。

 

 短期は火曜日の夜に、ニュートラル。

 金(ゴールド)も銀(シルバー)も、水曜日の朝にはすぐに買い場が来てるだろうかな。

 円が急騰して、金(ゴールド)が急落するなんて、日本人の為の買い場だろうが、都会でせっせと砂金獲りをして遊んでいるようでもある。。