末期の胃ガンだとお医者さんに言われた後、
『手術をして半年間苦しみながら命を永らえるより、
今のまま自然に任せたい、苦しみは少ない方が良いと思う』と妻、僕も同意しました。
意識が無くただ息をして、生きながらされて居る人達を何人も見ていますので、
そのようにしたく有りませんでした。
僕の父もそうでした。
義父も他の方の見舞いに行き、
その光景を見て『嫌だね~、部屋に死臭が漂っていた』と話していました。
若い時は人一倍お洒落に気を使っていたそうですから、
自分の無様な姿を他の人に見られるのは辛いだろうと思いました。
個室に入れて貰えたのですが、
義母が入っていた東京の他の病院とは、
部屋の広さ、設備、看護婦さんや先生の対応が、
「今までの病院は何だったの?」と思える位、格段に違いました。
東京から籍を移したのが2月2日でした。
義父は自分では歩けず、車椅子に乗せられ、ホスピスへ移動でした。
その時の事を妻は、
『車椅子に乗せられ、ホスピスと書かれた入り口を見た時、
ジ~ジの顔がハットしたのが分かったわ』と話していました。
何年か前からTVでホスピスの事が放映されていましたので、
『TVで見て知っていたのだろうね』と話し合いました・・・
写真、
静岡県立ガンセンター
『手術をして半年間苦しみながら命を永らえるより、
今のまま自然に任せたい、苦しみは少ない方が良いと思う』と妻、僕も同意しました。
意識が無くただ息をして、生きながらされて居る人達を何人も見ていますので、
そのようにしたく有りませんでした。
僕の父もそうでした。
義父も他の方の見舞いに行き、
その光景を見て『嫌だね~、部屋に死臭が漂っていた』と話していました。
若い時は人一倍お洒落に気を使っていたそうですから、
自分の無様な姿を他の人に見られるのは辛いだろうと思いました。
個室に入れて貰えたのですが、
義母が入っていた東京の他の病院とは、
部屋の広さ、設備、看護婦さんや先生の対応が、
「今までの病院は何だったの?」と思える位、格段に違いました。
東京から籍を移したのが2月2日でした。
義父は自分では歩けず、車椅子に乗せられ、ホスピスへ移動でした。
その時の事を妻は、
『車椅子に乗せられ、ホスピスと書かれた入り口を見た時、
ジ~ジの顔がハットしたのが分かったわ』と話していました。
何年か前からTVでホスピスの事が放映されていましたので、
『TVで見て知っていたのだろうね』と話し合いました・・・
写真、
静岡県立ガンセンター