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「高校授業料無償化」裁判で朝鮮学校が全面勝訴(大阪) ~民族教育の歴史に正面から向き合った画期的な判決文

2017-07-29 12:20:16 | 命 人権 差別

民族教育の歴史に正面から向き合った画期的な判決文

https://blogs.yahoo.co.jp/remember_0416/14921307.htmlより引用

「高校授業料無償化」裁判で朝鮮学校が全面勝訴(大阪)

「朝鮮学校yoriイメージ 1
▲朝鮮学校の勝訴を報告する原告弁護団
 
原告全面勝訴の判決 
 7月28日、大阪地方裁判所で、大阪朝鮮高級学校への授業料無償化の適用を求める裁判の判決公判があった。西田隆裕裁判長は、国(文部科学大臣)が2013年2月に「高校授業料無償化法」の省令(施行規則)を改正して朝鮮高級学校を無償化の対象から外したことを、法律の趣旨を逸脱した違法な行為で無効だと指摘し、朝鮮学校を無償化の対象から外した国の処分を取り消したうえで、朝鮮学校を無償化の対象に含めるよう命じる原告(学校法人「大阪朝鮮学園」)全面勝訴の判決を下した。この判決は、民族教育の歴史をふまえて朝鮮学校の教育の自律性を全面的に認めた画期的な判決だった。
 
原告の請求-不指定処分の取り消しと指定の義務付け
 この裁判で、原告側は、①2013年2月20日付で国が朝鮮学校を「無償化法」施行規則第1条第1項第2号ハ(※)に基づく指定をしなかった処分を取り消す<取り消し訴訟>と、②国は大阪朝鮮高級学校を同規則ハに基づく指定をせよという<義務付け訴訟>の2つを請求していた。
 このうち①は、政治的理由で朝鮮学校を狙い撃ちにした行為であるという違法性を立証できれば勝ち目は十分にあると見られていた。しかし、②は「指定をしなかった」ことを取り消した上で「指定をさせる」という積極的な措置で、比較的新しい請求であるため、原告側もここまで獲得できるかどうかは微妙だと見ていたようだ。その意味で、①②どちらも請求を認めた今回の判決は、朝鮮学校の主張を一切顧みることのなかった19日の広島地裁の判決と正反対の「完全勝利」に近いものだった。
※「無償化法」施行規則第1条第1項2号ハ 
 「無償化法」の対象となる学校で、インターナショナルスクールや中華学校、韓国学校などいわゆる「外国人学校」と呼ばれる各種学校に関する規定で、(イ)外国の教育課程で高等学校と同等の教育をしていると位置づけられている学校(ロ)国際的な評価機関の認定を受けている学校(ハ)その他文科大臣が指定した学校の3種類があり、朝鮮学校が(ハ)に該当するかどうかを文科省が審査して結論を出すことになっていた。
 
「教育の機会均等とは無関係な外交的・政治的判断で無効」
 
 国は、朝鮮高級学校を無償化の対象としないと判断した理由について、①施行規則ハの削除によって無償化の根拠自体がなくなったことと、②施行規則ハの判断基準として設けた規程第13条の「債権の弁済(授業料の無償化)への確実な充当など法令に基づく学校運営の適正」に朝鮮高級学校が適合すると認められなかったことを挙げた。
 
 このうち①について判決文は、各種学校の範囲をどう定めるかについて文部科学大臣に一定の裁量権が存在することを認めながらも、それは「教育の機会均等」という法の趣旨を逸脱しない範囲内でのみ許容される、とした。そのうえで、当時の下村博文文部科学大臣が「拉致問題の進展がないこと」を削除の理由に挙げ、「外交上の配慮により判断しない」とした民主党政権時代の統一見解を廃止したことは、教育の機会均等の確保とは無関係の外交的・政治的判断によるものであり、施行規則ハの削除は法の趣旨を逸脱した違法なもので無効だと結論づけた。
 
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▲東成区民センターで行われた裁判の報告集会

 
規程13条の解釈については国の主張を認める
 
 ②の規程13条は、広島裁判でも争点となっていた。広島裁判の原告は、規程13条で財務関係などの学校運営までを指定の条件に含めることは裁量権の逸脱であると主張したが、広島地裁の判決はこの点に関して国の主張を全面的に受け入れ、朝鮮学校が受け取った就学支援金を授業料無償化に使わずに流用する恐れがあるとした。
 
 今日の大阪地裁の判決でも、規程13条自体は法の趣旨を逸脱するものではなく、「法令に基づく適正な学校運営」は「不当な支配」からの独立を謳った教育基本法第16条1項も含まれると、国の主張を採用した。
 
 そのうえで、大阪朝鮮高級学校は私立学校法に基づいて財産目録や財務諸表等を作成し、理事会等も開催されており、大阪府知事の臨時立ち入り検査の際に法令違反を理由とする行政処分はなかったことから、「特段の事情がない限り」規程13条の適合性が認められる、とした。
 
 それでは、朝鮮高級学校が朝鮮総連の「不当な支配」を受けている疑念を生じさせる「特段の事情」が認められるか。それが今回の判決の肝になる部分だった。
 
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国が主張する「不当な支配」には根拠がない
 
 国は、「不当な支配」の証拠として、保守系マスコミの新聞報道や、拉致被害者を救う会や朝鮮総連と対立する民族団体の文書、公安調査庁の資料などを提出した。判決文は、これらすべてを「根拠がない」「無償化に反対する立場からのもので信用性は慎重であるべき」と判断した。
 
 例えば、朝鮮高級学校が朝青(在日本朝鮮青年同盟)の会費を授業料と共に徴収していることを問題視する報道について、「朝青は生徒会と同様の組織であり、会費を授業料と共に徴収するのは合理的」だと一蹴している。また、理事会の議事録を偽造したとか補助金を目的外に流用したとの報道も根拠がなく、教育会については保護者・卒業生等で組織される支援組織であって、朝鮮総連による学校支配の機関ではない。むしろ、朝鮮総連のホームページに記載された「朝鮮総連が朝鮮学校を指導している」という記述が朝鮮学校の申し入れにより削除されていることから見ても、一部マスコミの報道が「特段の事情」の存在を証明しているとは言えない。
 
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 そしてこれが特筆すべき部分であるが、朝鮮高級学校では朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の指導者に敬愛の念を抱き北朝鮮の国家理念を賛美する教育が行われ、それに朝鮮総連が一定程度関与しているのは事実であっても、それをもって両者(朝鮮学校と総連)の関係が不適正であるとは言えない、と明言している。それもまた民族学校としての朝鮮学校の自律性に属する、という判断だ。
 

 
民族教育の歴史と向き合った画期的な判決
 
 判決文は、「朝鮮高級学校は、在日朝鮮人子女に対し朝鮮人としての民族教育を行うことを目的の一つとする学校法人であるところ、母国語と、母国の歴史及び文化についての教育は、民族教育にとって重要な意義を有し、民族的自覚及び民族的自尊心を醸成する上で基本的な教育というべきである。そうすると、朝鮮高級学校が朝鮮語による授業を行い、北朝鮮の視座から歴史的・社会的・地理的事象を教えるとともに北朝鮮を建国し現在まで統治してきた北朝鮮の指導者や北朝鮮の国家理念を肯定的に評価することも、朝鮮高級学校の上記教育目的それ自体には沿うもの」であると述べている。
 そのうえで、朝鮮学校が朝鮮総連によって「不当な支配」を受けているという「特段の事情」は存在しないと認め、13条を含む規程の要件をすべて満たす大阪朝鮮高級学校に対する(授業料無償化の)指定をしないのは裁量権の逸脱・濫用であると結論づけ、国に対して指定を命じている。
 
 判決文では、日本社会の一角に(時には朝鮮学校を支援する立場の人まで)存在する「朝鮮学校が北朝鮮や朝鮮総連から自由にならないと無償化は難しい」という考えは完全に否定されている。朝鮮学校が北朝鮮や朝鮮総連と不可分の関係にあることは、朝鮮学校が朝鮮総連の協力によって自主的な民族教育として発展してきた歴史に照らせば自然なことであり、無償化の判断材料とはなり得ない。まさに民族教育の歴史をふまえた画期的な判決である。筆者は、曇りのない目で歴史と向き合い、子どもたちのために何が最善かを考えてこの素晴らしい判決文を書いた裁判長に心から敬意を表したい。
 
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▲決意を述べる弁護団
 
 
 
他地域の裁判でも勝利を、そして補助金裁判へ
 判決の日の夜、東成区民センターで行われた報告集会は、朝鮮学校関連では久しぶり、いや初めてではないかと思われるほど笑顔が溢れる集会になった。1月の補助金裁判や広島の判決があまりにも不当な内容のものだったので、声明文朗読やアピールで登壇する人がみな「不当判決バージョン」を準備してきたと笑わせながら、超満員の会場全体が勝利の喜びに酔いしれていた。
 大阪地裁の判決は全国5カ所で行われている裁判のうち1カ所での1審判決で、国はおそらく控訴すると思われる。過去に行政訴訟で下級審が画期的な判決を出しても上級審で覆った例はいくらでもある。弁護団の一人が「補助金裁判に勝ってから喜びたい」と言ったように、大阪では「補助金」裁判が高裁に場を移して進行中である。朝鮮学校に対する差別排外主義との闘いは、これからが本番だ。
 その闘いにあたって、この日の判決が他地域の無償化裁判や大阪の補助金裁判に大きな弾みとなることは間違いない。無償化裁判では、北朝鮮や朝鮮総連と朝鮮学校の関係(を理由にした無償化からの除外)を正面から問うている愛知の原告の主張に沿った内容であるし、判決で述べられている朝鮮学校の教育の自律性を考えれば、大阪府が提示した補助金支給の4要件(※)はまったく不当なものとなる。
 「法の正義」や司法の良心がいまだ生きていることを示した大阪地裁の判決を大いに歓迎し、今後の裁判でも同様の判決が出ることを期待したい。
※4要件 
 2010年3月12日に橋下徹大阪府知事(当時)が朝鮮学校に対する補助金支給の条件として提示したもの。①学校法人として、朝鮮総連と一線を画すること、②北朝鮮指導者の肖像画を教室から外すこと、③日本の学習指導要綱に準じた教育活動を行うこと、④学校の財務情報を一般公開すること。
 朝鮮学校はこれを受けて初・中級学校の教室から肖像画を外す等の措置をとったが、府側はその後も追加条件を出したり内容を拡大解釈して「4要件」が守られていないと断定し、補助金の支給を停止し続けている。
 
大阪朝鮮学園 声明文
2017年7月28日
学校法人 大阪朝鮮学園
 大阪朝鮮学園は、「高校無償化」の適用を求めて日本国を相手どり、2013年1月24日に提訴し、4年6ヵ月、16回に及ぶ口頭弁論を経て、本日、判決言い渡しを迎えました。
 本日の勝訴判決は、行政の不当な差別行為を、司法が取り消すという画期的なものとなりました。公正で平等な判断を下すべき司法が、強大な行政権力の意向を忖度せず正当な判決を下したものであると、これを歓迎いたします。
 この判決は、法治国家・先進国を謳い、国際化、共存・共生の社会を目指す、日本において、朝鮮学校に対する公的助成からの排除の流れを断つ、礎となり、始発点、転換点となることでしょう。
 また、朝鮮学校で学んでいる多くの子どもたちの教育への権利が改めて認められ、保障されたことをうれしく思い、我々の民族教育は正当であり、民族教育は法的保護に値する権利であることが証明されたと思います。
 「悔しさ」を胸に巣立っていった、数多くの朝鮮高級学校の卒業生や生徒たちの無念を晴らす何よりもの「吉報」でもあります。
 我々は、文部科学省の申請書類の作成や調査、視察、質問などに対して、真摯に応対し、誠意をもって対処してきたにもかかわらず、唯一、朝鮮高級学校だけが、指定どころか、挙句の果てには「除外」されました。
 国連人種差別撤廃委員会も、日本政府に対して、朝鮮学校に「高校無償化」制度の適用と、地方自治体には補助金の再開・維持を要請するよう勧告しています。
 「高校無償化法」は、政府自らが、政治的判断や外交上の問題ではなく、教育上の観点から客観的に判断し、「すべての意志ある高校生」が対象であると言っていたものであります。それがやっと実現しょうとしています。
 「教育への権利」は、差別があってはならないし、平等でなければなりません。
 学習権、こどもの権利は、何人も侵してはならない世界共通の神聖な権利であります。
 本日のこの『勝利』は、「朝鮮高級学校無償化を求める連絡会・大阪」のメンバーをはじめとする多くの日本人、丹羽雅雄弁護士を筆頭とする弁護団、大阪はもとより全国の心ある方々や韓国の市民運動家らの物心両面にわたる大きな支援の賜物であります。
 我々の裁判闘争を支えてくださり、協力・支援をしてくださった全ての人々に心からの謝意を表します。
 また、公正な判断を下された裁判長をはじめとする裁判官のみなさまに敬意を表します。
 日本政府は判決を真摯に受け止め、控訴することなく、すみやかに停止していた7年間の「就学支援金」を支給するよう強く求めるとともに、国家による「民族差別」をやめ、地方自治体の補助金再開を強く求めていく所存であります。



 

 

 


【共謀罪判決第1号?】 暗黙のうちに共謀←昨年の高江不当弾圧事件でとんでもない不当判決!! 

2017-07-29 00:55:13 | 沖縄

                    -記事画像は、http://ospreyfuanclub.hatenablog.com/entry/2017/07/28/170517より拝借-

 

http://blog.goo.ne.jp/chuy/e/341246995d89895cae1f76272e394ef3

チョイさんの沖縄日記

昨年の高江不当弾圧事件でとんでもない不当判決

2017年07月27日 | 沖縄日記 高江

 昨年8月25日、高江ヘリパッド工事を強行しようとする防衛局職員らがN1裏テントを撤去しようとした。市民らは強く抗議、その混乱の中で、防衛局職員がケガをしたということで、吉田さん、山城さん、添田さんたちが事後逮捕された。

 今日(7月27日)、公務執行妨害、傷害容疑で起訴されていた吉田さんに対して、那覇地裁で判決が言い渡された。

               (判決後、辺野古の仲間たちが吉田さんとの交流会を行った)


 判決主文は、「被告人を懲役1年6ヶ月に処する。3年間、その刑の執行を猶予する」と、検察側の求刑どおりの懲役期間をそのまま認めるという不当判決だった。そこでは、次のような判断が示されている。

・「被告人は、本件当日まで添田のことは知らなかったなどと供述して、添田らとの共謀を否定する。しかし、---山城の発言に基づき、被告人が山城及び添田らと暗黙のうちに現場で意思を通じ合い、共謀を遂げたことは明らかである

・「弁護人は、市民が占有していたテントを撤去するのは違法でありかつ、集会の自由を侵害するものであるから、公務執行妨害罪は成立しないと主張する。---弁護人が弁論において主張する内容を踏まえても、稲葉(防衛局職員)らの職務について、公務執行妨害罪の成立が否定されるような違法性は認められない」

・「(稲葉を診察した医者の尋問で、『各種検査では異常は認められなかった』、『全治2週間というのは、本人の要望に基づき書いた』、『このようなケースで頸椎捻挫が起こったことは、私の29年間の医者生活でもなかった』などと証言したことについては)整形外科医として相当の経験を有する医師が、被害者を実際に診察した上で診断書を作成したというのであるから、弁護人の主張を踏まえても、その診断結果は信用することができる」

 要するに、吉田さんが何を言っても、事実認定は全て防衛局の主張どおり認めてしまっているのだ。最初から、被告人有罪の予断に基づいて書かれた判決と言わざるを得ない。

 判決後、辺野古の海上行動の仲間たちが吉田さんとの交流会を行った。彼は、今回の不当判決に屈せず、これからも頑張ると意思表明し、皆の大きな拍手を浴びた。

 

 <関連記事>
沖縄で共謀罪 ? 沖縄先行型「共謀罪」裁判のヤミ ⇦ 知り合いでもないのに「暗黙のうちに現場で意思を通じ合い、共謀を遂げたことは明らか」で懲役1年6月というサイコ判決の柴田寿宏裁判長

 

 

 

 


【菅野完独占手記】 すべてを失った籠池泰典が私だけに語った本心

2017-07-29 00:20:36 | 森友学園疑惑

 http://ironna.jp/article/7257/ampより転載

【菅野完独占手記】すべてを失った籠池泰典が私だけに語った本心

菅野 完さんのプロフィール写真、自動代替テキストはありません。菅野完(著述家)
 
 「刑事問題となっている案件を議場で聞くなどという議会制民主主義を逸脱するような議員には、多少の疑問の念をもっている」
 
 7月10日開催された大阪府議会本会議に参考人として招致された森友学園・籠池泰典前理事長は、演壇の上からこう言い放った。
 
 籠池氏からの「教育的指導」を受けたのは、「大阪維新の会」の笹川理府議。この発言の後も、「特別支援児助成金の不正受給」など、地検特捜部の捜査対象となっている事案について笹川府議が質問するたび籠池氏は「同じことを何度も言わせないでいただきたい。時間の無駄です」と「教育的指導」を繰り返した。その姿はまるで出来の悪い生徒を教壇から𠮟り飛ばす老練な教師のようだ。
 
 「でも実際、籠池はんの言うことは正論やわな。議会で刑事事件を議論したかてしゃーないがな。府議会やねんから府の行政を検証せんとな。しかしなんやあの維新の若い子は。出来が悪いにも程があるやろ」
 
 府議会本会議の様子をネット中継でみていた在阪メディアOBが、半ばあきれるように嘆息する。長年大阪府政を取材してきた彼の目には、今回の籠池氏参考人招致は「府議会の劣化の象徴」のように見えたのだという。

大阪地検に向け自宅を出る籠池泰典前理事長 =7月27日、大阪府豊中市(山田哲司撮影)大阪地検に向け自宅を出る籠池泰典前理事長
=7月27日、大阪府豊中市(山田哲司撮影)
 「そやけど、最近の籠池はん、サヨクみたいやな。180度の変わりようや。あの人の口から『議会制民主主義』なんて言葉がでるとはなぁ」
 
 刑事事件の容疑内容を議会で議論しても意味はないとの当然の指摘をとらまえて、「サヨク」呼ばわりとはいささか恐れ入るが、確かにこの老ジャーナリストの指摘どおり「最近、籠池氏が変わった」とは言えるだろう。
 
 都議選最終日。籠池氏は安倍首相の街頭演説が行われるJR秋葉原駅前に姿を現した。「安倍さんに100万円を返しに来た」というのである。駅前ロータリーに蝟集(いしゅう)する聴衆の最前列に陣取るが、あえなく警察によって排除されてしまう。それでも籠池氏はなんとか安倍首相に食らいつこうと、100万円の札束を振り回しつつ、「嘘をつくのをやめろー!」「本当のことを言えー!」とヤジを飛ばし続けた。きっと安倍首相からみれば、あの日の籠池氏も、あの日あの場で「安倍やめろ」コールを叫び続けたプロテスターたちと同じ、「こんな人たち」の一人ということになるのだろう。
 
 確かに籠池氏は変わった。今年の2月に森友事件が世間を騒がし始めた頃に流布された「ファナティックな愛国者」「狂信的な安倍政権支持者」としての要素は、最近の籠池氏の言動からは一切うかがい知ることはできない。議場で大阪維新の若い議員を𠮟り飛ばし、路上でプロテスターのように安倍晋三にヤジを飛ばす姿は、あの頃と180度路線変更したように見える。
 
 だが、当の本人の認識はいささか違うようだ。
 
 「第一次安倍政権のころのような、鮮烈さはもう安倍さんにない。あの頃はよかった。教育基本法の改正なんぞ、歴史的偉業ともいえるやろう。そやけどあの頃の安倍さんはもういない。いまあるのは、ただ単に地位に恋々としがみつく姿だけや。安倍さんは変わった」
 
 かつてインタビューで安倍政権に対する見解を聞かれた際、籠池氏はこう証言している。どうやら、籠池氏本人は「変わったのは自分ではない。安倍晋三であり、その周囲だ」という認識をもっているようだ。
塚本幼稚園の「愛国教育」

 繰り返される空襲で壊滅的な被害をうけた大阪の地に、学校法人森友学園の経営する塚本幼稚園が誕生したのは昭和25年(1950年)のこと。私立の学校法人が幼稚園を開設するのはこれが全国初の事例だという。

森友学園が運営する塚本幼稚園=大阪市淀川区森友学園が運営する塚本幼稚園=大阪市淀川区
 塚本幼稚園の経営は、戦後の「子沢山社会」の波に乗り順調に拡大。大阪市住之江区南港、兵庫県川西市清和台にも「支店網」を築くまでにもなった。昭和50年ごろからは各地の自治体から「小学校を作ってはどうか?」との提案が持ちかけられるようになる。しかしどの計画も具体化するたびに、法や規制の壁に阻まれ頓挫した。
 
 平成9年、小学校建設の夢半ばで寛氏は他界する。その後の学園の経営を引き継いだのが、寛氏の長女・絢子氏の夫である籠池氏だ。小学校建設を「先代からの宿願」として引き継いだ籠池氏は、2代目理事長に就任した直後からさまざまな活動を展開するようになった。
 
 転機が訪れたのは平成18年。第一次安倍内閣誕生の年だ。この年の12月、安倍内閣は教育基本法改正を断行する。
 
 「うれしかったね。一人の愛国者として素直にうれしかった。学校法人の経営者としても『これで、ようやく教育現場で愛国心を正面から教えられる』との喜びもあった。で、同時に、文科省の方針としても愛国心をカリキュラムとして扱うというのだから、以前から自分でもやりたいと思っていた愛国教育を学園のカリキュラムとして育てられれば、規制の壁も突破できるんではないかなと思うたんよ」(籠池氏)
 
 ご真影遙拝(しんえいようはい)、教育勅語の奉読、軍歌・戦時歌謡の斉唱などの「愛国教育」はかくて誕生した。それは籠池氏が青年期から胸に抱いていた彼なりの「愛国心」と、安倍内閣による教育基本法改正という「時代の風」と、小学校建設という「年来の宿願」がない交ぜになったものだった。
 
 籠池氏の狙いは正しかった。塚本幼稚園が愛国教育に力を入れれば入れるほど幼稚園の評判は高まりつづけた。各方面からの視察が相次いだ。その評判を聞きつけた中山成彬や山田宏など、「愛国心」を売りにする政治家たちが、「人を集めるコンテンツ」としての塚本幼稚園に目をつけるのは時間の問題だった。「愛国論評」で売り出し中だった青山繁晴や竹田恒泰などの保守論壇人たちも同様。彼らが塚本幼稚園で相次いで講演したのは、なにも籠池氏側からのアプローチだけが理由ではない。
安倍・籠池「蜜月」のころ

 実際にあの当時の保守業界では「塚本幼稚園の愛国教育」が「流行(はや)って」いた。当時のあの界隈(かいわい)の人士が幼児教育を語る際のトレンドは、「愛国教育に邁進(まいしん)する塚本幼稚園を称揚する」ことだった。現に、青山繁晴は当時ネットメディアに出演した際、「塚本幼稚園の籠池園長は立派。塚本幼稚園がんばれ!」と宣伝までしていたではないか。
 
 こうした背景を踏まえれば、籠池氏が安倍晋三夫婦と接近し得たことは、極めて自然だったことが理解できるだろう。「施政方針演説の直後の辞任」という前代未聞の醜態をさらして総理の座をほうり投げた安倍晋三を、保守業界は支え続けた。保守論壇誌には安倍再起論が盛んに掲載され、各地の保守団体のイベントでは安倍晋三をゲストとして招聘(しょうへい)する動きが続いた。
 
 そんな流れの中で籠池氏の周りでも「愛国教育で名高い塚本幼稚園で、安倍晋三講演会が開催できないか」との企画が立ち上がる。籠池氏が安倍サイドと初めてコンタクトをとったのは平成23年暮れのこと。人を介して電話で昭恵氏と会話したのが最初だという。昭恵氏と会話を重ねるなかで講演会の計画は具体化していき、平成24年10月に実現の運びとなったが、突如、安倍は総裁選への出馬を表明。講演会は直前にキャンセルとなり、籠池氏の手元には安倍事務所からの丁寧な謝罪の手紙が届いた。
 
 その後も籠池氏と昭恵氏の交流は続き、「安倍晋三記念小学校」という名称の応諾も、平成26年3月に東京のホテルオークラで行われた籠池夫妻と昭恵氏の会食も、「極めて自然な会話の中で」(籠池氏談)次々と決まっていった。籠池氏によれば、昭恵氏からは「普段から、主人は塚本幼稚園の教育内容に感心しており、いまも総裁選出馬で講演会が取りやめになったことを残念に思っており、いつかはお邪魔してお話したいと言っている」との話を何度も聞かされたのだという。

大阪地検に入る籠池泰典氏と妻の諄子氏 =7月27日、大阪市福島区(安元雄太撮影)大阪地検に入る籠池泰典氏と妻の諄子氏
=7月27日、大阪市福島区(安元雄太撮影)
 確かに安倍首相は今年2月「籠池理事長は大変熱心な教育者だと妻から聞いている」と国会で答弁してはいる。この籠池氏の証言はある程度は信憑(しんぴょう)性を認めてもよいだろう。その後の籠池氏と昭恵氏の交流が、どのような経緯をたどり、あの小学校の土地取引にどのような影響を与えたかに関する籠池氏の証言は、国会の証人喚問や各種の報道でご承知の通りだ。
 
 だが、この「安倍・籠池蜜月関係」も、森友事件が国会で取り沙汰されるにつけ、ヒビが入るようになる。はじめて国有地不当廉売事件が国会で質問された当初、安倍首相は塚本幼稚園の教育内容と籠池氏の教育者としての資質を称賛しさえしていた。
 
 しかし、不透明な土地取引の実態、幼児虐待疑惑、運動会での「安倍首相がんばれ!安倍首相がんばれ!」の選手宣誓など、新事実が明るみに出る中で安倍首相は答弁の方向を変更し、ついにはあの「私や私の妻や事務所が関与していたというのであれば、総理も議員もやめる!」と口走る。この不用意な一言で森友事件は一気に政局化し、そして籠池氏の運命も転落の一途をたどった。
籠池氏の「信仰回帰」

 籠池氏本人の認識にたてば、「先代からの宿願であった小学校建設に邁進(まいしん)するなかで、教育基本法改正という時代の風が吹いた。その風に乗ったところ安倍夫婦と繋がった。その後その風は神風となり、小学校建設一歩手前までこぎ着けた。にもかかわらず、安倍夫婦の変心で神風は逆風となり、いまやすべてを失った」ということなのだろう。
 
 「いまおもたら、ここ数年間は、安倍さん夫婦の一言一言に翻弄されてきたようにさえ思う」
 
 そう語る籠池氏の顔には寂寥(せきりょう)感さえ漂っている。当時の顧問弁護士だった酒井弁護士とともに盛んにテレビに露出していたころの、「大阪のあくどい中小企業者」然とした面影は、もはやどこにもない。
 
 3月末の国会証人喚問の後、籠池氏はある習慣を再開した。毎朝5時に起床。そのまま端座合掌し約一時間ほど瞑想(めいそう)する。「生長の家」の教祖・谷口雅春氏が提唱した瞑想(めいそう)法「神相観」だ。元来籠池氏は熱心な「生長の家」信者。かつては毎朝「神相観」を行っていた。しかし小学校建設プロジェクトが加熱したころからいつしかこの瞑想(めいそう)を行わなくなったのだという。

自宅前で取材に応じる籠池泰典氏(左) =7月27日、大阪府豊中市自宅前で取材に応じる籠池泰典氏(左)
=7月27日、大阪府豊中市
 「いろんなことが次々と起こり、舞い上がっとったんやろうな。神想観(しんそうかん)もやらんようになったし、『甘露の法雨(かんろのほうう)』(生長の家の経典)も読まんようになってた。いまようやくその大切さを思い出し、またやりはじめたところ。まあこんなんでは、雅春先生に怒られるわなぁ」と、籠池氏は自嘲気味に自分の「信仰回帰」を語る。
 
 「僕は何が大切か思い出した。何が根本なのかを思い出したんや。安倍さんはどうやろうなぁ? 第一次政権のころのような、あの混じりけのない愛国心はどこへいってしもうたんやろうな? 地位のため嘘をつき、他人を蹴落とす。あのままでええんかね? あんな人が総理大臣で、日本国はほんまに大丈夫やろうかね?」
 
 籠池氏の問いかけに、安倍首相はなんと答えるのだろうか。

 

 

 

 


朝鮮学校を無償化の対象から除外 国の処分を取り消す判決 | NHKニュース 2017.7.28 / 一方、広島では・・・

2017-07-28 13:59:43 | 命 人権 差別
<子ども達の教育の機会均等>
大阪地裁において、文部科学省が朝鮮学校を高校授業料の実質無償化の対象にしなかった事が違法との判決が下りました。

今まで無償化の対象外だった事がおかしかった。
これが認められた始めての裁判でした。

教育は誰でも平等に受ける権利があります。

朝鮮民主主義人民共和国の政治手法と、朝鮮民族の方が教育を受ける事を同列に扱う事はあってはなりません!
堂々と学びたい事を学びたいだけ学んでほしいです。(K・T氏FBコメントより)

画像に含まれている可能性があるもの:2人、、スマイル、屋外

 

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大阪

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170728/k10011078051000.html

 

国が朝鮮学校を高校授業料の実質無償化の対象にしなかったことについて、大阪・東大阪市にある朝鮮学校を運営する学校法人が違法だと訴えた裁判で、大阪地方裁判所は学校側の訴えを認めて国の処分を取り消し、無償化の対象に指定するよう命じる判決を言い渡しました。朝鮮学校をめぐる同様の訴えは各地で起こされていますが、無償化の対象に指定するよう命じる判決は初めてだということです。

平成25年、文部科学省が朝鮮学校を高校授業料の実質無償化の対象にしなかったことについて、大阪の朝鮮学校を運営する学校法人「大阪朝鮮学園」は、「北朝鮮との外交問題を理由に不利益を与えるのは差別意識を助長し違法だ」などとして、対象から除外した国の処分の取り消しなどを求める訴えを起こしました。

裁判で、国は「外交的な理由で授業料の実質無償化から外したわけではなく、判断に誤りはない」と反論していました。

28日の判決で、大阪地方裁判所の西田隆裕裁判長は、「無償化に関する法律を朝鮮学校に適用することは拉致問題の解決の妨げになり、国民の理解が得られないという外交的、政治的意見に基づいて対象から排除したと認められ、法律の趣旨を逸脱し、違法で無効だ」と指摘して、対象から除外した国の処分を取り消し、無償化の対象に指定するよう命じました。

原告の弁護団によりますと、朝鮮学校をめぐる同様の訴えは東京や名古屋など5つの裁判所で起こされていますが、無償化の対象に指定するよう命じる判決は初めてだということです。

官房長官「関係省庁で精査し対応」

菅官房長官は閣議のあとの記者会見で、「詳細を承知していないので、これから関係省庁でしっかり精査して対応していきたい」と述べました。

 

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広島の判決では・・・

http://hiroshimastyle.com/blog-entry-3299.htmlより転載

広島朝鮮学校の授業料無償化裁判は学校側が敗訴

国が朝鮮学校を高校授業料の実質無償化の対象にしなかったことについて、広島市にある朝鮮学校を運営する学校法人などが違法だと訴えていた裁判で、広島地方裁判所は「朝鮮総連の強力な指導の下にあり、就学支援金を支給したとしても授業料に充てられない懸念がある」などと指摘し、学校側の訴えを退ける判決を言い渡した。

4年前、文部科学省が朝鮮学校を高校授業料の実質無償化の対象にしなかったことについて、広島市にある朝鮮学校を運営する学校法人「広島朝鮮学園」と生徒110人が、学習権や平等権を侵害し、違法だなどとして、対象から除外した国の処分の取り消しと合わせておよそ6000万円の損害賠償などを求める訴えを起こした。

裁判で原告側は「拉致問題など外交上の理由で対象とならないのは差別だ」などと主張したのに対し、国側は「北朝鮮や朝鮮総連の影響力は否定できず、適正な学校運営が行われているか十分な確証が得られない」などとして訴えを退けるよう求めていた。

19日の判決で、広島地方裁判所の小西洋裁判長は「朝鮮総連の強力な指導の下にあり、就学支援金を支給したとしても授業料に充てられない懸念がある」などと指摘した。そのうえで「文部科学大臣の判断に裁量の逸脱や乱用は認められない」などとして学校側の訴えを退けた。

判決を受けて、広島地方裁判所の前では弁護士2人が「不当判決」とか「司法は差別を容認した」と書かれた旗を掲げた。裁判所前には朝鮮学校の生徒や関係者たちが集まり、「不当判決は絶対に許さない」などと声をそろえて訴えていた。判決のあと、原告団や弁護士などが記者会見した。

このなかで「広島朝鮮学園」の金英雄理事長は広島高等裁判所に控訴する方針を示したうえで「こんな不当判決があるのかと怒りで声が出ません。判決では子どもたちの学習権という言葉が1つも無かった。国の政治情勢とは関係なく正当な判決を出すべきだ」と述べた。

また、3年前の卒業生で、原告の1人の金大貴さん(21)は「4年間やってきたことや自分たちの存在を否定された悔しさしかない。司法に認められるまで諦めず最後まで闘いたい」と話していた。

弁護団の代表を務める足立修一弁護士は「判決は国の主張の丸写しで、日本の学校と朝鮮学校との間に明確な差別が存在している。原告の思いをどうすれば裁判所に理解してもらえるのか、真剣に考えていきたい」と話していた。

判決について、文部科学省の初等中等教育局高校修学支援室は「国の勝訴の判断が示されたものと承知しており、主張が認められたものと受け止めています」とコメントした。(NHK広島)

広島朝鮮学校 敗訴

 

 

 

 


「相模原障害者殺傷事件」への「怒り」は足りていたか・・・「障害者の生命と尊厳が傷つけられたこと」に、「怒り」が足りていないのではないか (荒井裕樹 2017.7.25)

2017-07-28 11:43:34 | 命 人権 差別

 

http://imidas.jp/opinion/F-40-151-17-07-G688.htmlより転載

2017/7/25FREE

「相模原障害者殺傷事件」への「怒り」は足りていたか

いま私たちが積み重ねるべき言動について

時事オピニオン

荒井裕樹

 2016年7月26日未明、神奈川県相模原市の障害者施設で起きた凶行から一年。この事件に私たちはどう向き合うべきか。障害者運動や障害者文化論などを研究してきた二松學舎大学専任講師の荒井裕樹氏は、「障害者の生命と尊厳が傷つけられたこと」に対し、社会的な「怒り」が足りていないのではないか、と疑問を投げかける。

「相模原事件」にどう向き合うか



 あの凄惨な事件から一年が経つ。まずは、生命を奪われた方のご冥福を祈り、いまなお癒えない傷を抱えた方の心の内を推し量りたい。
 一方で、この事件を追う人たち(報道関係者や障害者団体関係者)からは、早くも事件の風化を懸念する声が漏れている。この原稿を書いている7月現在、まだ殺人罪などで起訴された植松聖(さとし)被告の公判もはじまっておらず、現場となった建物の再建問題も確たる結論が出ていないというのに。
 私は「相模原事件」にどう向き合うかが、この社会の未来を決めると思っている。重い障害を持つ人たちと共に、私たちはどのような社会を作ろうとしているのか。その理念や哲学が問われている。
 このことを前提に、本稿では「相模原事件」に関連して気になっている二つの事柄について書いておきたい。

不気味な「安楽死」のニュアンス



 一つは、かつて、この社会で議論の末に退けられたはずの言葉や概念が、いつの間にかよみがえっている不気味さについて。具体的には、事件を起こす5カ月前の16年2月、植松被告が衆院議長に宛てた「手紙」(ほとんど犯行予告)にあった「安楽死」という言葉についてだ。
 この言葉は一般に、回復の見込みのない末期状態の患者に対し、本人の意向を尊重して、耐えがたい苦痛から解放されるために死に至る処置を施すこと、といった主旨で使われる。しかし、例の「手紙」で使われた「安楽死」は、どのように読んでも、こうとは解釈できない。むしろ前後の文脈を踏まえれば、「不幸を作り出すことしかできない障害者を殺すこと(殺してあげること)」といった意味合いで用いられている。
 極めて自分勝手な理屈にめまいがするほどの嫌悪感を覚えるが、私が真に不気味に思うのはこの点ではない。というのも、かつて「安楽死」という言葉には、同様の意味合いが含まれていたことがあるからだ。
 経緯を説明しておこう。煩雑にならないよう簡略な記述に留める(注1)。
 日本で「安楽死」という言葉が社会的な関心事となりはじめたのは1960年代初頭と言われている。この時期、ベルギーで障害児を殺害した家族や医師らに無罪判決が下ったことが大々的に報じられたり(62年11月)、司法の場で「安楽死」の要件が示されたり(名古屋高裁山内事件判決:62年12月)したことで、「安楽死」という言葉が一般向けの週刊誌などにも頻繁に登場した。
 当時の週刊誌などに掲載された「安楽死」の議論に目を通してみると、この言葉に現在とはかなり異なるニュアンスが含まれていたことがわかる。つまり、社会や家族の負担となり、生きていても仕方のない障害者を「安楽」に死に至らしめること、といった意味合いが含まれているのだ。
 ただ、当時はこのことに対して特に批判的な意見は出ていない。一部の障害者団体が敏感に反応しているが、はっきりとした反論はなされていない。

半世紀前の亡霊



 この言葉をめぐる状況は70年代に大きく変化する。多くの障害者団体から、障害者を標的にした「安楽死」は許さないという問題提起がなされたのだ。特にナチス・ドイツの障害者虐殺などが引き合いに出され、安易な「安楽死」肯定は障害者差別につながるといった批判が展開された。
 この批判の先頭に立ったのが「日本脳性マヒ者協会青い芝の会」(後述)であり、リベラル系の知識人の一部もその主張に同意したこともあって、「安楽死」という言葉には拭いがたい負のイメージが貼り付いた。70〜80年代に障害者問題に関わった人の中には、このニュアンスを肌感覚で記憶している人もいるだろう。
 先に私が示した不気味さは、この点に関わる。植松被告が使った「安楽死」という言葉は、かつて障害者運動に関わった人たちが全力で批判したはずの意味合いで使われている。彼が当時の言論状況を知っていたとは思えない。そんな事情など意識することなく、「安楽死」という言葉を、あのような意味合いで用いたのだろう。
 そう遠くない昔、私たちの社会の中で、議論の果てに「望ましくないもの」や「悪しきもの」として退けられた言葉や概念が、いつの間にかよみがえっている。まるで半世紀前の亡霊が現れたかのような観がある。
 現時点では、植松被告の「安楽死」観が広い支持を得るとは思えない。共感する人も多くはないだろう。しかし、「言っていることはわからなくもない」程度に受ける止める人は確実に存在する。
「わからなくもない」人たちが存在するからといって、すぐに同じような蛮行が繰り返されるとは断言できない。しかし、そういった意見の層が厚くなれば、障害者への人権侵害を黙認する風潮は確実に高まるだろう。

踏みにじられた「尊厳」への「怒り」が足りない



 もう一つは、現在の社会状況に関わるもので説明が難しい。強いて言えば、この事件に対する「怒り」が足りないのではないか、という点だ。
 この一年、自分なりに事件をめぐる「言葉」を追いかけてきた。各地で追悼集会が開かれ「悲しみ」がわかちあわれた。信じがたい凶行への「恐怖」が吐露された。識者からは、この事件が「精神障害者」に対する偏見を助長しかねないことへの「懸念」や「憂慮」が繰り返し示された。
 事件に関心を持つ人たちは、冷静かつ誠実な言葉を積み重ねてきた。ただ、19人もの障害者の生命と尊厳が奪われたことへの「怒り」の言葉は少なかったように思う。社会全体に目を向けてみても、事件の規模と残忍さを思えば、もっと「怒り」が共有されてもよいはずなのに、この事件に向き合おうとする熱量は上がっていない。
 社会の関心が高まらない背景には、被害者の顔が見えない異例の匿名報道もあるかもしれない。「怒り」よりも「おぞましさ」が先に立ち、早く忘れてしまいたい人が多いのかもしれない。しかし、最大の理由は、この事件が「障害者施設という遠い世界で、異常な人間が起こした例外的な事件」として受け止められていることにあるように思えてならない。

 もちろん、植松被告の身勝手な理屈に怒った人は少なくない。ただ、ここで問題にしているのは、「身勝手な理屈を振り回すこと」への怒りではなく、「障害者の生命と尊厳が傷つけられたこと」への怒りだ。
 被害者の関係者や、障害者の社会参加を求めて闘ってきた当事者団体には、はっきりとこのような「怒り」を示してきた人たちがいる。しかし、それが社会に広く染みているとは言いがたい。事件後、どれだけの人が「障害者の生命と尊厳が傷つけられたこと」に対して怒っただろうか。私自身、自戒の念を込めて思う。私の「怒り」は足りているだろうか。もっと怒らねばならないのではないか。
 障害者問題に関して言えば、この十数年で「障害者と仲良くするための言葉」は増えた(「みんな違ってみんないい」など)。「障害を肯定的に捉える言葉」も多様になった(「障害は個性」など)。しかし、障害者の尊厳が傷つけられたとき、とっさにどんな言葉を発せられるだろう。はっきりと「怒り」を表すことができるだろうか。
 一見、柔らかな言葉で接していても、なにか問題が起きたとき、その人のために怒らないのであれば、それは共生と言えるのか。理不尽に奪われた生命があるにもかかわらず、それに対して怒らないのであれば、「理不尽に奪われても怒らなくてよい生命」が存在することになる。「障害者の生命と尊厳」は、傷つけられても「怒り」に値しないものなのか。本当にそれでよいのか。そこが問われなければならない。
「障害者が殺されること」を他人事だと思ってはいけない。そう思った瞬間、「誰か特定の人たちが殺されても特に気にならない社会」を肯定することになる。そんな社会の「無関心という壁」の向こうで何が起きるかを想像してほしい。自分や自分の大切な人が、「壁」の向こう側に押しやられない保障など、どこにもない。

事件後に注目を集めた伝説の障害者運動家・横田弘

 


 とはいっても、「怒る」ことは難しい。「怒り」は往々にして嫌われる。日本語の表現上、「悲しみをわかちあう」は自然な言い回しだが、「怒りをわかちあう」という言い方はしない。「怒り」は個人的で突発的な感情とされ、理性的に処理すべきものとされている。
 しかし、この事件に関して、「怒りたい人」や「怒りをわかちあいたい人」も一定数いるのではないか。そう思える現象がある。
 事件後、一冊の本が注目を集めた。故・横田弘(1933〜2013)の『障害者殺しの思想』(増補新装版、15年、現代書館)だ。


 横田は「青い芝の会」(前出)に属した伝説的な障害者運動家。重度脳性マヒ者で、立つことも歩くこともできず、発語障害もあった。
 私見では、横田は「障害者差別に対して史上最も熱く怒った人物」だ。「障害者なんていなくなればいい」という植松被告の価値観を「優生思想」に基づくものだとして批判する論調が目立ったが、そもそも「優生思想」が障害者差別なのだと告発したのも横田と彼の仲間たちだった。
 横田は運動に関わった40年間、ずっと怒り続けていた。「障害者のためを思って」という「健全者」の一方的な「愛と正義」が障害者を街から排除し、時には殺すことにつながるのだと怒り続けた。
 そんな横田や、彼が属した「青い芝の会」が再注目されている。それは何を意味するのか。

横田弘の「怒り」にヒントを求める

 


 私なりに解説すると、横田の「怒り」には二つの特徴がある。
 一つは「共生のために怒ったこと」だ。障害者も街で暮らしたい。親や施設職員に人生を決められたくない。隣近所の子と同じ学校に行きたい。恋もしたいし、結婚もしたいし、子どもも育てたい。皆が「普通」にしていることから障害者を排除するな。一緒に生きさせろ。横田の怒りは単純明快だった。
「怒り」と「憎悪」は違う。「怒り」は相手の存在を認め、自分と相手がつながっていることを前提とした感情だが、「憎悪」は相手の存在を拒絶する感情だ。「怒り」には葛藤があるが「憎悪」に葛藤はない。
 横田は差別に無自覚な「健全者」に怒ったが、「健全者なんかいなくなればいい」とは言わなかった。彼は自分たちの尊厳を傷つけた者に対して怒ったが、その者と生きていくために怒っていた。
 もう一つの特徴は「空気を読まなかったこと」だ車椅子がバスの乗車拒否にあえば、抗議のために仲間とバスを占拠した。「養護学校」(現・特別支援学校)の義務化に反対して、デモや座り込みを強行した。そんな横田らの主張は嫌われた。「過激派」「エゴイスト」「生意気」「恩知らず」と罵られた。それでも横田らは街に出て、差別するなと訴えた。
 横田も、彼の仲間も、元々は「普通の障害者」だった。幼い頃から「愛される障害者」であれと教えられ、世間に迷惑をかけまいと生きてきた。しかし、どれだけ努力しても、社会は障害者を受け入れないことに絶望して「闘う障害者」になった。
 弱い立場の者は、どれだけ緻密に「空気」を読んでも苦しめられるだけ。だとしたら、虐げられている者は、自分の生命と尊厳を守るために怒らねばらない。横田の「怒り」は痛快だった。
 いま、横田弘や「青い芝の会」が再注目されているのは、そんな「怒り」へのある種の“憧れ”があるのではないか。自分よりも圧倒的に力ある者に立ち向かった横田たちに、「怒り」へのヒントを求めている人たちがいるように思えるのだ(注2)。

数十年後の社会のために

 


 私たちの社会は、いま、かなり不気味な状態にある。困窮者へのバッシングにせよ、マイノリティーへのヘイトせよ、人が人の尊厳を傷つけることへの心理的なハードルは確実に低下している。「相模原事件」も、このような文脈の中で受け止めなければならない。
 ただ、そういった状況に「怒りたい人」や「怒りをわかちあいたい人」も、やはり一定数いる。その「怒り」を孤立させてはいけない。
 数十年後の社会がどんな姿形をしているかは、いま私たちがどういった言動を積み重ねるかによって決まる。だとしたら、「相模原事件」に怒らなくてよいのか。私たちの次の世代が「障害者の生命と尊厳のため」にまっとうに怒れるかどうかは、いまの私たちにかかっている。

(注1)以下の記述に関して、詳細や具体的な事例に関心のある人は、拙著『障害と文学――「しののめ」から「青い芝の会」へ』(11年、現代書館)を参照してほしい。

(注2)横田弘に興味のある人は、次の拙著も参照してほしい。『差別されてる自覚はあるか――横田弘と「青い芝の会」行動綱領』(17年、現代書館)。

 

イメージ 荒井裕樹 二松學舎大学専任講師

1980年、東京都生まれ。2009年、東京大学大学院人文社会系研究科修了。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員、東京大学大学院人文社会系研究科付属次世代人文学開発センター特任研究員を経て現職。専門は障害者文化論・日本近現代文学。著書に『隔離の文学』(11年、書肆アルス)、『障害と文学』(11年、現代書館)、『生きていく絵』(13年、亜紀書房)、『差別されてる自覚はあるか』(17年、現代書館)などがある。